第2話 ゾンビと少女と預金通帳(7)
部屋に帰った後、お見舞いに。来た葉菜さんにそれを伝えた。彼女の顔は無表情だった。
眉一つ動かさない彼女の内部に激しい憎悪の感情が湧いているのが分かって、僕はぞっとした。プライドの高い彼女を怒らせることは全く持って賢明ではないと感じる
彼女は鞄の中から鉄製の果物ナイフをおもむろに取り出して、バックを僕のベットの脇に放り投げた。そしてくるりと向きを変えた。
「葉菜さん、どこに行くの? 」
「あのじじいの息の根を止めに行くのよ」
「やめて! 早まらないで! 」
僕は慌ててベットから飛び出して彼女の腕を掴んだ。掴んだ彼女の腕は少し太めだと思った。彼女の腕を掴んだことで、僕の心のどこかがざわついた。よく考えれば彼女の身体にじかに触れたのは初めてだった。
葉菜さんは、少し説得してようやく元の位置に座った。今度は眉をひそめて思い切り不機嫌な顔をしている。
「もしかしたら楓さん、ちょっと機嫌が悪かっただけかもしれないよ。最初は大声でわめき散らすこともあったぐらいだしさ」
「そういう問題じゃないのよ。ホントにやりたいことじゃない? 大学生でもあるまいに、いい年のおっさんが何言ってんのよ! あーマジうぜー」
「あなたこそ、自分が何言ってるか分かってるのか……」
彼女は切れると激情を押えられないらしい。しかし無理もないかもしれない。ここ数か月、楓さんの旅行費を稼ぐために僕たちは必死にアルバイトしてきたんだから。
「ちょっと楓さんの様子を見てみようよ。今日見に行ったけど、相当真剣に考え込んでいるよ。きっと自分の人生に真摯に向き合って考えてるんだ。僕らに出来るのは、楓さんが答えを見つけ出すまで待つ、それだけだろ?」
葉菜さんをなだめつつ、僕は自分自身でも気が付いた。そうだ、僕らは待つしかないのだ。楓さんが自分の人生と心底向き合い、心の違和感の原因を突き詰めるまで。僕らは人を救済するなんてボランティアをやっているものの、結局自分自身を救えるのは自分だけなのかもしれない。
「……仕方ないわね。荒巻くんがそう言うのなら構わないわ。それが弟の願い出もあるものね。無下にはできないわ」
そういって葉菜さんは不機嫌そうに足を組んだ。ちなみに今日の彼女はタートルネックのセーターの上に茶色のコートを羽織っている。デニム生地のショートパンツからは防寒用タイツの足が伸びていて、温かそうなもこもこした冬用ブーツを履いている。
思索にふけるその顔は、いつか見た白織優の絵を描いている時の横顔にとても似ていた。
「荒巻くん、どうせだもの、彼に直談判しにいったらどう?」
葉菜さんの言った言葉が、僕には理解できなかった。
「直談判て、どういう意味だよ」
「あのおじさんが考えてるのを待ってたら、彼、死んじゃうわよ」
葉菜の言葉に、僕はドキリとした。葉菜は重い言葉をさらりと言った。
「きっと裏で仕掛けがあるわ。楓さんは答えなんて、分かっている気がする。ただそれに気づきたくないだけなのよ」
「気づきたくない?自分の本当の望みに?」
僕には葉菜さんの言っていることがまるで理解できなかった。本当の望みが分かっているのに気づきたくないなんて、おかしいだろう。
「べつに」
葉菜さんは続けた。
「おかしいことじゃないわ。大人なんて、辻褄の合わないことを無理に合わせようとして、自分を見失っている人がとっても多いのよ」
「そんなの、どうして自分を見失うんだ?勇気はいるだろうけど、自分がどうしたいのかが大切だろう?」
僕は葉菜に、率直な意見を言った。僕にはそれ以外の答えは思いつかなかった。
「自分を殺した方が生きやすいことだって多いのよ。それに恐いんだわ、自分の本当の気持ちに気づくのが」
「どうして?」
「自分の足元がぐらついてしまうから。権威があると信じていたものが、実は自分にとって大した価値なんて無いって、みんな思いたくないの。本心で生きることは勇気がいるから、自分を殺して見えない何かにしがみついてる大人って、とっても多いのよ」
葉菜さんは淡々と言った。彼女の顔は、そういう大人を何人も知っているという顔だった。
「荒巻くん、」
そう言って、葉菜さんは僕の方をまっすぐに見た。
「君が彼の殻を、壊してやるの。君が直に彼に何度も聞き続けるの。『本当はどうしたいんだ』って」
「ええ!なんだか葉菜さんに、すごく面倒なことを押し付けられている気がするんだけど。できれば葉菜さんにそれをやってほしいんだけどなあ」
言葉の後半は、棒読みだった。葉菜さんの反応をうかがうように言ってみた。そして僕は、葉菜さんの方に目線だけやった。
「私は無理よ。あんなじじい相手になんか、やってらんないわ」
葉菜は、眉一つ動かさずに言った。
「本当のことをいわないで!」
もうちょっと、遠回しの言い方って、なかったのかなあ。どうせ僕がやるにしても、葉菜さんにはうまい言い訳を期待してたんだけど。
「男同士なんだから、四の五の言わずに正面から当たってみなさいよ。ぶち当たって、つまらない良識なんて、ぶち壊してやればいいの」
葉菜さんは明らかに作った笑顔をした。
「そうすれば、私がご・ほ・う・び、してあげる!」
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