第2話 ゾンビと少女と預金通帳(3)
「私、閃いた。さっきの図に名前を付けるわ」
「なんて? 」
「『動物園から逃げ出した中年おやじ』」
「シュールだ……。ってか、けなしてるだろ」
「いいじゃない。食べて、寝てばかりいる人間なんて、動物と同じよ」
「それ、僕も同じですけどね!」
彼女はやはり毒舌が玉に傷だった。それを真顔で言うところがまた彼女の特徴で、別に見下したり嫌味がこもっているわけではない。それは、彼女の素直な感想なのだろう。
「荒巻くん、確か君、人助けしたいんだっけ? 」
彼女にはそのことを話していたが、なんだか僕には嫌な予感がした。
「うん、まあね」
「なら、あの人を助けてあげなさいよ」
「え? なんで? 」
二つ返事で答えない時点で、僕が嫌だと思っていることは分かったはずだ。しかし葉菜は無理やり僕を説得する。
「どうせ助けるあてもないんでしょ? いいじゃない? 」
「ぐぅ、それは…」
「それに何もしない人間は動物以下よ。動物は餌を探し回るけど、人間にはその必要ないからね」
「ぐぅ……」
それって僕のことか?
「君はほっとくと何もしなくなりそうだから、そろそろ行動するべきだと思うわ」
「ぐぅ……。それは確かにそうかも」
確かに、このままじゃ何もしなくなりそうだ。
「この病院じゃほとんど話し相手もいないんでしょ? なら、大学入学までのプチ対人リハビリテーションよ」
僕はやれやれと思って、彼女の提案を飲むことにした。
「……そうだな、わかったよ。ただし、何かできたら報酬が欲しいよ」
「ボランティアじゃないの? 」
「本人からは何も取らないよ。葉菜さんから、ご褒美が欲しい」
相手が要求をしてきたからそれに乗じるのは処世術の基本だ。
「何か欲しいの? 」
葉菜が不思議そうに聞いてきた。そのしぐさがやけに幼く、やはり本当に弟に似ている。
「まあ、依頼を無事達成したときにでも話すさ。ただし、なんでも聞いてもらうぜ? 」
そういうと、葉菜は少し唇の端を吊り上げ笑った。
「いいよ、君のお願いならなんでも聞いちゃうわ」
「そ、そう…。なら決まりだ」
こうして、僕の二人目の救済相手は決まった。
次の日は、やはり雲が空を覆い、どんよりとした天気だった。
僕は楓さんとどう親睦を深めるかをさんざん考えて、結局はなんの脈絡もなく病室を訪問することにした。勇気はいるが、僕にはこの手段以外、彼と仲良くなる方法はなかった。
彼の病室は四人の患者が入る部屋だった。瑠璃川さんの場合はもういつ症状が出てもいいよう個室に移されていたが、普通この病院は複数人が一緒の部屋で過ごす。
僕は楓というネームプレートを見つけた。時計は午前十時ぴったりを指していた。ゆっくり部屋の中に入ると彼のカーテンの前にたった。
「…たい…。ちくしょ…よく…も…」
ここからもぶつぶつと声が聞こえたが、どうやらそれは一人でのつぶやきらしかった。
明らかに変人の色がする。しかし僕の思考に引き返す選択肢は無かった。
一つ咳払いをし、声を出した。
「えー、あのーすみません。楓恭一郎さんでしょうか? 」
返事は無かった。
「あのー、すみません」
やはり返事は無い。それどころか中から来る呟きすらぴたりとなくなってしまった。それに僕はすっかり困っていたが、どうするわけにもいかずにまた言った。
「あのー」
「うるさいぞぉぉぉ!! 」
急に飛んできた罵声は、外からではなく中からだった。僕は思わず身を引きそうになったが、すんででこらえて中から人が出てくるのを待った。
じきカーテンは開き、痩せこけた皮と骨を総動員して怒りの表情を浮かべるゾンビみたいな人が中から出てきた。頭の中央から前部ははげ、まわりにとろろ昆布みたく萎びた毛が生えていた。体は痩せこけ、肌は茶色をしている。そんな生き物にいきなり至近距離から怒鳴られたものだから、思わず身がすくんでしまった。
「なーにを午前中から人のベットの前で言いよるんや! 」
「あの……」
僕は話を切り出そうとしたのに、彼はさらに畳み掛けてきた。
「人が死ぬか死なんかの人生の岐路に立って悩んでいたのに、何をごちゃごちゃ言っとるんや !」
「あなたはもう死ぬつもりなんじゃ……」
「かー! だまれ! 」
しまった、思わず言ってしまった。いよいよ楓というおじさんは唾を吐き散らしてどなった。
「うるさいぞ貴様! 何を知った顔して言いよるんや!
俺はな、病気になって妻にも娘にも捨てられたんだぞ! その屈辱と悲しみがお前に分かるのか? 今まで会社にひたすら貢献してきたのに、景気が悪くなったらすぐに会社は俺に見切りをつけて捨ておった。ろくな謝礼もせず、今の俺に残っているのは治療のための金と、死ぬのを待つ時間だけや。
お前に俺の何が分かる? 」
「……」
急に早口でたたみかけられたおかげで、僕も少しパニックを起こしていた。この病院の大人しい人間性に慣れていて、こんな早口を聞いたことが無かった。
「……それは確かにそうですけど……」
情けなく僕はどもってしまった。
「……その、もし僕が何か力になれることがあればな―、なんて……」
しどろもろに、飛び散った思考力を手でかき集めるような手振りで話した。だが。
「力やと? お前が俺に何の関係があるんや? 」
「それは……まあ、無いですけど」
自分でも情けない、完全に気の萎えた声だった。僕はもう、すぐここから逃げ出したかった。
おやじはなかなか僕を離す気がないらしい。だから、看護師の中年女性が病室に駆け込んできてくれたことは本当に助かった。
「何してるんですか? 楓さんと……ええと、そこの君! 周りの人から苦情が来てますよ! 」
中年の、少し太めの女性だった。パーマのかかった髪を後ろで一つに縛り、赤色のちょっと変わったフレームのメガネを掛けている。
「聞いてくれや、こいつが朝から俺にちょっかいかけてきたんや! 」
「え! いや……そうでは……」
僕は頭が混乱してしどろもどろしていた。しかし看護師は僕も楓さんも相手にせずに言った。
「とにかく、病院は安静にする場所なんですから、くれぐれも大声で騒がないように! それと君! 」
僕が指差された。
「はっ、はい」
中年の看護師は「ちょっとこっち」と言って人差し指をくいくいっと立てながら僕を呼びつけた。
病室を出て、僕は近くにある給湯室に入らされた。
「君、なんのつもりなの? 」
看護師の顔は真剣そのものだった。僕の行いが、よっぽど病院の秩序を乱すふるまいだったようだ。僕は彼女の威圧感に、自分の腹の中がスース―している感じになった。
「いえ……、その、この前あの人が困っているようだったから力になりいたい……なんて」
そういって愛想笑いをして、そうした自分が少し嫌になった。看護師は僕を不審の目で見て言った。
「君さ、ここにいる人が患者さんだって分かってるよね? 病気で体力も気力も衰えてるのよ? それを何を面白がってそんなこと……。もしものことがあって君、責任ちゃんと取れるの? 」
「それはその……」
できないだろうな、きっと。
僕はこの看護師に責任についての説教を受けた。確かに病気の人は精神的にも体力的にも弱っている。それに手を出そうというのだから看護師の言葉は説得力があって、僕は相手の話に終始圧倒されていた。
五分の説教の後に給湯室を出た僕は気が萎えてしまって、もう人助けが実は人のためにならないんじゃないかという思考に頭を支配されていた。気分が悪い時は悪いことばかり考えてしまうもの。僕はさっさと自分の病室に戻ってふて寝してしまった。
葉菜が来たのはさらに三日経ってからだった。僕は先日の嫌な体験に触れられたくなかったが、やはり彼女はしっかり覚えていた。
「それで、楓さんのところへは行ったの? 」
「それはまあ、行ったかな」
「どうだった? 」
葉菜は漠然と聞いてきた。どうだった、とはある意味で感想を求めているようにも聞こえるし、どんな具合だったかと聞いているようにも受け取れる。しかしこの場合は後者だとなんとなく察した。
「いきなり怒鳴られて帰ってきたよ」
「そう、それはご苦労だったわね」
ほんとだよ、といって僕はため息をついた。。
「で、これからどうするつもり? 」
「どうするってそりゃ……もうあの人は無理だ」
「どうしてかしら? 私は君に彼を助けるように頼んだはずよ? 」
「でも、相手が悪いよ。だってあの人はちょっと変わり過ぎてる。あれじゃ話も聞いてもらえないさ」
葉菜は少し僕の方を見ていたが、「そう」と言って視線を他にずらした。
「まあそういう考え方もあるわよね」
なんて言って違う方向を見ている。僕はなんだか彼女に余計な労苦をさせられたことを咎めたい気持ちになってきた。
「……まったく、あんな変わり者を助けたいだなんて、よく面白半分で言ってくれたもんだよなー」
大っぴらに言ってみた。そして僕は彼女の顔をもう一度ちらと見てみた。彼女は目の前のお茶パックの袋をじっと見ていた。
――何を考えているんだろうか? 僕にはとんと予測がつかないが、彼女は少なくともお茶パックに注目しているのではないのだろう。
たっぷりと間を置いておいて、葉菜は言った。
「……君の考えは現実的ね。
相手が悪ければ、そもそもそんな相手なんて放っておけばいい。それでも人間は生きていけるんだし、あえて面倒事に首をつっこむなんて漫画のヒロイン救出劇ではありうるけど、現実にはないわね。大体、うまく解決なんて出来るものでもないんだし」
「……」
僕は黙って彼女の喋るままにさせておいた。
「だけれどね、私は思うの。今までならともかく、これからの人生ではもう私たちをはやし立てる親も教師も存在しない。一人の自立した人間として私たちは生きていかなきゃならない。そんな人生では、かえって逃げようと思えば逃げられることの方が多いと思うの」
「……まあ確かに」
「でね、誰を選び誰を選ばないかは、すべて自分にかかっている。そんな時、あなたはどんな基準で選択をするの? どんな考えを持って人と関わっていくの? 少なくとも私なら……一番困っている人は誰か、考えるでしょうね」
彼女はそう言ってちらと僕を見た。
僕はどうしたものか分からず俯いていた。誰が困り、誰を僕は助けるべきなのか。彼女の言葉はきれいごとのように思われた。しかしそう言って片付けてしまうのは、ちょっと惜しい気もする。
僕はもう少し考えたい気分になって、結局彼女に返答をしないまま彼女を帰してしまった。
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