第10話

 それは時間にして数秒ほど、ほんの一瞬の出来事だった。

 スカイが「よし、着いたぞ」とスタッと着地した先は、なんと数キロ離れた銀行であった。


 まるで転移魔法でも使ったかのような瞬間移動に、アイリスは魂を抜かれたように呆然となる。

 スカイはアイリスを抱っこしたまま銀行に入っていき、受付カウンターに向かう


 アイリスはポカーンとしたままカウンターに書類を渡し、スカイは外に出る。

 アイリスはぼんやりしたまま、こんな声を聞いていた。


「これで届け物は全部か?」


「う、うん……」


「そうか、じゃあ後はその傷を治さないとな。次はちょっとばかし高く飛ぶぞ」


 次の瞬間、アイリスはふたたび宙を舞っていた。

 それも、さっきよりも高高度で。


 二度のジャンプを経て、アイリスはようやく我に返った。


「えっ!? えっえっえっ!? 飛んでる!? 飛んでるぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーっ!?

 なんでなんでっ!? なんでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」


「わっ、暴れるな! 落ちるぞ!」


 アイリスは暴れた拍子に腕から落ちかけ、眼下に小さくなった街並みを見る。

 全身の毛を総毛立たせてスカイの胸にしがみついた。


「言わんこっちゃない。でも、それだけ元気ならもう大丈夫だな」


 アイリスはすっかり怯えた様子で尋ねる。


「す……スカイっ! これはいったいなんなのっ!?」


「俺のスキル『ジャンプ』だよ」


「これ、スキルの力なの!? 魔法を使ってもこんなに高く飛べないのに!? し、信じられないよ!」


「俺も最初はそうだった。でも、もう慣れちまった。よし、キレイな顔に戻ったみたいだな」


 エーテル空間を空中散歩したおかげで、アイリスの全身にあった傷はすっかり消えていた。

 腫れ上がった顔も元通りになって、アイリスは自分の顔をベタベタ触って驚いている。


「け、怪我も治せるだなんて、そ、そんな……!?」


 スカイは、時計台の屋根の先端につま先立ちで着地していた。

 とんでもない場所に立っているというのに、大道芸人のような落ち着きっぷり。


「せっかくだから、このまま家まで送ってやろう。家は昔と同じところか?」


「う、うん……ひゃああああーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」


 悲鳴ごと、ふたりの身体は夕暮れの空に吸い込まれていく。


 遙か遠くには海が見えて、真っ赤な太陽が沈んでいた。

 地平はオレンジ色の光で満たされている。


 雑多な街中では決して見ることのできない絶景に、アイリスは思わず見とれてしまった。


「き、キレイ……」


「ああ、そうだな」


 アイリスが顔を上げると、そこには遠い目をするスカイの顔があった。

 目が合った途端、アイリスの全身に電流が流れる。


 アイリスは二度目の恋に落ちていた。

 身分の差があるからと、一度はあきらめていた同じ相手に。


 それも、無理からぬことであろう。


 チンピラたちに痛めつけられたうえに、家業が窮地に立たされ、人生最大の絶望を味わっているところに……。

 どこからどもなく颯爽と現れて、チンピラたちを追い払ったうえに、空を飛んでなにもかも解決してくれたのだ。


 しかもそれが10年ぶりに再会した初恋の相手で、精悍なる青年に成長していた。

 たくましい腕に広い胸板で、お姫様にするようにやさしく抱きかかえてくれているのだ。


 幼なじみはヒーローだったという衝撃と、大空をジャンプするという衝撃。


 ふたつの衝撃があわさったところで、目にしたのがスカイの顔。

 それは迷える子羊が、初めて神の手をさしのべられたのも同然。


 少女の心にはすでに、スカイの存在が完全に刷り込みインプリンティングされてしまっていた。


 あばら家の建ち並ぶ、下層階級エリアの住宅街。

 中には『運び屋アイロス』という看板が掲げてある一軒家があった。


 スカイはそこの二階のベランダに、ふわりと着地する。


「着いたぞ、アイリス」


 しかしアイリスはスカイの胸に顔を埋めたまま、降りようとしない。

 短く切りそろえられた髪の間からは、真っ赤になった耳だけが覗いている。


「降りたくない……」


「どうしたんだ急に。俺はもう行かなきゃならないんだよ、だから……」


「やっ……やだやだ……! もう少しだけ、このままでいさせて……!」


 スカイは本当は今夜のねぐらを探しに行かなくてはならなかったのだが、服をギュッと掴んで離そうとしないアイリスに根負けしてしまった。

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