第5話

 俺に抱っこされていた姫の瞳には、かすかな光が宿っていた。


「あっ……ああっ!? し、信じられませんっ!

 生まれたときからずっと見えなかった目が、見えるようになるだなんてっ……!」


 彼女がパチパチと瞬きをするたびに、どんどん瞳に光があふれる。

 姫の瞳からは真珠のような涙の粒があふれ、キラキラと空に消えていく。


「あああっ……! あああっ! なんという、なんということでしょう……!

 これが、わたくしを救ってくださった、殿方のお顔……!」


 姫は涙声で俺の頬に手を当てた。

 俺は驚いていた。まさか俺のジャンプスキルに病気を治す力まであるだなんて。


 でも……。


「すまない、ラブライン様」


「ど……どうして謝られるのですか?」


「初めて見たものが俺の顔だなんて。もっといいものが見たかっただろうに」


「い、いいえっ! わたくしは今、とっても感激しております!

 わたくしを助けてくださった王子様は、想像どおりのりりしく、麗しいお方でした!

 王子様! どうかお名前をお教えくださいませんか!?」


「いや、ラブライン様に名乗るほどの者じゃない。王子様どころか、爵位もないしな」


「そんな! それに、おやめになってください!

 わたくしのことは『ラブ』とお呼びになってださい!

 わたくしはずっと夢だったのです! あなた様のような殿方にお会いするのが!

 お願いします、わたくしをおそばに置いてください!」


「わあ!? 抱きつくなっ!? 前が見えない! いま、空を飛んでるんだぞ!?」


「えっ……!? きゃああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」


 いま自分がどこにいるのかようやく気付いたお姫様は、大空に絶叫を轟かせていた。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 スカイとラブラインは、空のタンデム飛行の真っ最中。


 ふたりのまわりにはパノラマの景色が広がり、遮るものなどなにもない青空が彼方にまで続いている。

 そして白い雲、照りつける太陽は、絶好の空中散歩日和であった。


 のどかな田園の緑、その向こうにはカラフルな街があり、白い王城がそびえている。

 ついにふたりは帰ってきたのだ。


「よぉし、城が見えてきたぞ、ラブ! このまま一気に飛ばすぞ!」


「はいっ! ああっ、でも……! 帰りたいのに、帰りたくありませんっ……!

 このままずっと、あなたといっしょに空を飛んでいたい……!」


 ラブラインは生まれて初めての恋に落ちていた。


 無理もない。

 初めて目が見えた衝撃と、大空をジャンプするという衝撃。


 ふたつの衝撃があわさったところで、目にしたのがスカイの顔。

 それは殻を破った雛鳥が、初めて親の顔を見たのも同然。


 少女の心にはすでに、スカイの存在が完全に刷り込みインプリンティングされてしまっていた。


 スカイは城下町までたどり着くと、騒ぎにならないようになるべく高い屋根を静かに伝って王城を目指す。

 城は不審者の侵入を防ぐために大きな堀と高い壁に囲まれていたが、スカイのスキル前にはひとまたきだった。


「あそこが、わたくしの部屋でございます!」


 ラブラインに示されたベランダに着地すると、スカイはうやうやしく彼女の身体を降ろす。


「じゃあ、俺は行くよ。元気でな、お姫様」


「ええっ、そんな!? お待ちくださいっ!」


 それまで幸せいっぱいだったらラブライン。

 しかし別れを告げられたとたんに泣きそうな顔になる。


 跪いて、スカイの足元にすがった。


 王女が平民に膝を折るなど、決してありえないことである。

 王族が膝を折る相手というのは、国王以外には存在しない。


 しかしラブラインにとっては、もはやスカイは何よりも大きくなっていたのだ。

 父親である国王よりも、遥かに……!


 親から捨てられた幼子のような彼女を見ていると、スカイは思わず後ろ髪をひかれる。

 望みを叶えてやりたい気持ちはあるが、こればかりはそうはいかない。


 スカイはラブラインの頭に手を当て、やさしく撫でながら言い聞かせる。


「もう少し一緒にいてやりたいが、今の俺はただの泥棒だ。

 こんなところを誰かに見られたら、牢屋行きになっちまう」


 ラブラインは掴んでいたスカイの服をしぶしぶ離す。


「あ、あのっ! また、お会いできますか……?」


「ああ、俺に会いたければ簡単さ。空を見ていればいいんだ。 ……じゃあな!」


 スカイは姫のハートを盗んだ怪盗のように飛び上がると、大空へと消えていった。

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