天才少年現る
松長良樹
天才少年 現る
オサムは天才少年だと言われた。物心の付くころに家にいた飼い犬ゴンの絵を描いたが、これが実に写実的で周りの人達の度肝を抜き、近所でも評判になった。
小学生に進学したころには、学校の担任の先生の絵を描いたのだが、これまた写真同等、或いはそれ以上の精密画で独創性も備えていた。もちろん学校では金賞を貰い、県内の最優秀作品に選ばれた。小学生芸術家の誕生と言われた。
オサムは一度行った場所を二度と忘れなかった。例えば車の助手席に乗ったら、どんなに複雑な道を走ろうが道順を全て記憶できた。当の運転手さえ帰り道がわからなくなってもオサムがナビをした。
すばらしい記憶力だった。JRの駅名の殆どを記憶し、世界の国々の名と首都が頭に入っていた。
IQ250だと言われた。天才に間違いないと言われた。偏差IQは「同年齢の集団においてどの程度の発達レベルなのか」を把握するためのものだが、やはりオサムはずば抜けていた。
オサムは小学四年の時に物理学に興味を示した。理論物理学をはじめ様々な文献を読破し、ノートには一般人には理解不能な微分方程式が書き連ねてあった。小学5年生の時には本を書いたが、その題名は「相対性理論の矛盾点とダークマターの正体」という全く難解な本だった。出版記念に大勢の報道人や著名人が訪れテレビで報道された。
だが、悲しい事にオサムは生まれつき音を聞く事が出来なかった。オサム唯一の悲劇的な部分だった。
それを誰より悲しんだのは彼の父にして音楽家の西園寺だった。彼は一流の音大を出ていたし、国内外で数々の音楽賞を総なめにした人物であって、我が息子に期待するところは多く、オサムが生まれる前から息子は音楽家にしたいとコメントしていた程だった……。
ある時口のきけないオサムが『音楽が聞きたい』と手話で言った。
『小説や絵画や造形の素晴らしさを僕は知る事が出来たが、僕は音楽を聴けない』
とオサムが紙に鉛筆で書きなぐった。
『僕も父のように音楽を奏で、素晴らしい曲をつくってみたい』
文章はそう続いた。父はそれを知って泣いた。公衆の面前で泣きじゃくった。それを見た世間が同情した。何とか聴力を回復できまいかと、回りのみんなが真剣に考えた。
「もしオサムが聴力を持ったら、べートーベンをも凌ぐ名曲を書くかもしれない」
と誰かが言った。
「そうだ。あの子が聴覚を持ったら、西園寺より優れた大音楽家になるかもしれない」
音楽関係者がそう言った。事実そういう雰囲気が充分オサムにはあった……。
世界から名医が集められた。
「費用に糸目は付けません」と西園寺とオサムの支援者達が言った。
手術は永い長い時間を要した。テレビ放映されるほどの騒ぎであった。手術が終了するとテレビ画面に青年医師の凛々しい顔がアップになった。
真剣な医師の顔がやがて、ほころんで笑顔になった。
「手術は成功です。もう彼はCDを聞けますよ」
医師が言った。大歓声と拍手が巻き起こった。西園寺は感極まって嗚咽した。それから数週間が経ち、報道記者のインタビューが許された。早速若い記者がインタビューをした。
「おめでとうございます。私の声が聞きとれますか?」
オサムが頷いた。
「おお、聞こえるのですね。素晴らしい!ついにあなたは音を手にしましたね。ところで音楽を聴かれましたか? 感想は? 今後作曲されるのですか?」
記者は眼を輝かせて質問したが、なぜかオサムの表情は冴えなかった。そして予想だにしない答えが返ってきた。
『正直言って音楽のどこがいいのか僕には分かりません。べートーベンって誰? それにしてもお腹が空いたなあ。あれっ? 僕、朝ご飯食べたっけな?』
まだ言葉の喋れない、オサムが手話でそう答えた。なんともオサムらしからぬ答えだった。
その時から、いや、聴覚を獲得してからオサムはただの小学生になった。西園寺は随分と落胆し、周りも予想外の事に失望した。算数すら、掛け算さえ出来ないのだ。絵はへたくそで物忘れも酷い。普通の小学生以下かもしれなかった。
――いつしか世間は一切オサムに興味を持たなくなった。オサムは忘れ去られたのだ。今オサムは地方の小さな町でひっそりと野菜を作っている。
トマトづくりが何より楽しいのだそうだ……。
了
天才少年現る 松長良樹 @yoshiki2020
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