十一章【死神事情】
「な、なんでそのことを、知ってるんだ?」
突然のことで思考が定まらない、足が宙に浮いている感覚に襲われる。
握った手が汗で湿ってくる。
「まあまあ、落ち着いてください。順を追ってちゃんと説明しますから」
どうどう、と明乃さんになだめられる。
「ワタシもココにいていいの?」
夏目が眉根を寄せて少し困った顔をしている。おそらく遠慮しているのだろう。
「問題ありません。夏目さんにも関係してくることかもしれませんから」
こほん、と明乃さんは咳払いをする。
「改めて。私は明乃神奈です。そして人間ではありません。死神と呼ばれる存在です」
「死神……」
唐突な自己紹介だな。
タイムリープを実際に経験しているのだから、今更人間以外がいてもそこまで驚きはなかった。
横にいた夏目に視線を向ける。
まさか夏目も死神なのだろうか?
すると彼女は首をふって、
「彼女が死神ってことは知ってるけど、私は普通の人間」
「死神と関わってるってことはつまり……なにかしらの事情があるんだな」
「ま、そういうこと」
それだけ言って、目を逸らした。
どうやら、それ以上話すつもりはないらしい。
「夏目さんについては話が逸れてしましますから。今は彼岸さんの事情について優先させましょう」
「あ、ああ。そうだな。そうしてくれ」
明乃さんはゆびを一本立てると、
「死神と聞いて、彼岸さんはどんなことを思い浮かべます?」
「そりゃあ……人の寿命の管理をしてる、神様……? いや、それなら神様の使いになるのか?」
「そんなところですね。大体あってます」
僕の答えに満足そうにうなずく。
「我々死神は、死者の魂を案内する役目を神から与えられた者たちです」
「けど、僕は死んでない……」
「そうですね」
少し考える素振りをしてから、
「彼岸さんは人の魂というのを見たことがありますか?」
「人の魂……? そんなもの見たことないだろ。第一そんなの見えるわけがない」
明乃さんは首をふる。
「いいえ、彼岸さんは見たことがあるはずです。ただそれを人の魂として認識していないだけで」
そう言うと腰のポーチからランタンのようなものを取り出した。
反対側からだとよく見えないが、何やら中が青白く光っているように見える。
そして、テーブルに置かれてやっとそのランタンの中に入っている光の正体に気付いた。
蝶だ……。数匹の蝶がランタンの中を飛び交っている。その光景に見覚えがあった。
時間が巻き戻る前、10年後の世界で駅前で見た蝶がフラッシュバックする。
「これは私たち死神が集めている人の魂そのものです。そして彼岸さんはこの魂を自らに取り込んで奇跡を起こしてしまいました。だから……今は彼岸さんからすれば二度目の世界ということになりますね」
「あー……ちょっと待ってくれ。えっとー……。俺は死んでないけど、10年前に戻って。パラレルワールドとか、そういう話か?」
「世界が分岐してしまったわけではなく……改変、上書きという考え方の方が近いかと」
「なんだって、そんなことに」
「たぶん、世界を書き換えるほどまでして叶えたい願いがあったのではないかと……心当たりはありませんか?」
「いやいや、なんだよそれ」
あまりに突拍子すぎて理解が追いつかない。
「今の現状に不満を抱いていたとかそういう想いはありませんでしたか?」
言われて思い当たる節がある。もう思い出したくないと思っていた記憶が呼び起こされる。
10年後の世界で作家になれず燻っていた自分。
社会情勢の悪化で仕事がなくなり実家に帰郷した時のこと。
電車に揺られながら、まぶしいほどに輝いている同年代の彼らを見ていたこと。
すっかり忘れていたはずなのに、いや、思い出さないようにしていただけなのかもしれない。
「仮にそれが本当だったとしても、なんで願っただけで叶うんだ? 誰かが後悔して叶えたい願いがあるって思う度に世界が戻ってたら、世界なんて無茶苦茶になるはずだろ」
「もちろん普通ではあり得ません。つまり彼岸さんは普通ではなかったんですよ」
そう言って僕の身体を指さす。
「……僕の身体は……一体どうなってるんだ?」
「問題は、身体ではなく魂です。魂は人が思うよりも強大な力を持っています。それが発揮されると人の身を超えた現象……奇跡すらも起こすことができるのです。その一部は今も伝えられていますね」
「奇跡っていうと……水をぶどう酒にしたとか海を割ったとか、そういのか?」
「はい。ですが気軽にほいほい奇跡を起こしては、彼岸さんの言う通り世界が乱れます。なので神は、奇跡など起こせる魂が生まれないようにしました」
「……でもそれなら僕は?」
「彼岸さんは後天的に魂が強力になってしまったパターンです。原因はソレ」
明乃さんは今度はランタンの中で飛んでいる蝶を指差す。
「さっきも説明しましたがこの蝶々は、魂の
そこまで言って明乃さんは視線を落とす。
「例外がある……ってことだよな?」
「はい、生まれ変わるための力が足りず……消えてしまったり、魂が現世に零れ落ちたり……」
「その現世に零れ落ちた魂が、この蝶なのか?」
「はい。とはいえ肉体の殻に収まっていない魂はいずれ消失します。ですが消失する前に、生きている人間の魂に取り込まれる場合もあります。取り込んだ魂はその分だけ強大になる」
「僕が、その取り込んだパターン……つまり、他人の魂が俺の中に?」
なにか自覚症状があるわけじゃないけど……少し落ち着かない気持ちになる。
「衰弱した魂に人としての記憶や意思はありません。他の人と混ざり合っているわけではないことは保証しておきます」
「……わかった」
「実は今、この衰弱した魂が死神業界で問題になっているんです」
「業界なんてあるのか……」
「これまでにも衰弱した魂は存在しました。ですが近年その魂が増加。現世を漂う蝶々も増加の一途を辿っているんです」
「なんでそんなことに?」
「人が持つ魂の力とは、希望であったり何かに対する執着するであったり……一言で言うなら、強い気持ちです」
そこで明乃さんはいったん言葉を区切る。
「ですが今は、若くても夢を見ない人も多い世の中です。疎み、絶望し、結果として魂が衰弱する」
「なんか切ない理由だな……」
「別にポジティブな気持ちでなくても構いません。『次こそは楽しい人生を送りたい』『アイツが許せない』なんてネガティブな執着でも、そこに想いがあればいいんですが、『人生なんて辛いばかりでもう嫌だ』と諦めてしまわれると、どうしようもなく……最悪の場合、衰弱した魂に引きつけられた蝶の負の感情に同調してしまうことによってその人が自らの命を絶ってしまうケースがないわけでもなく……」
本当に切ない話になってきたぞ。
「今時の死神の仕事は、死者の案内だけではありません。新たな蝶々を生み出さないこと。そしてそうした蝶による被害者を少しでもなくすために現世を彷徨う蝶々の回収も死神のお仕事なんです」
そう言うともう一度ランタンをゆびさす。
「しかし、蝶々を集めることはそんなに簡単なことではありません。蝶は人の感情に強く引きつけられる性質を持っていますが、なにせ私たち死神は現世の土地感がありません。なので死神は現世の人間とある契約を交わすんです」
そして、明乃さんは夏目に視線を向ける。
夏目はため息を吐く。
「その明乃さんが言っている契約者がワタシってこと」
「夏目さんには一緒に蝶の影響を受けてしまった人の悩みを解決してもらったりその人と私たちの橋渡しになってもらってるんです。もちろん、契約を結ぶのですからそれなりの見返りがあります。契約者は死神が蝶々を期待数集め終わると願いを叶えられる権利がもらえるんです。と言っても彼岸さんがしたように世界の上書きなんていう大それたことはできません。叶えられる願いはその人が努力の範囲で叶えられる小さなことだけです。第一そんなことをしたら本末転倒ですから」
そこまでして叶えたい願いが夏目にもあるということだろうか? どこか自分と似ている気がした。
「にしても、どうやって蝶々を捕まえるんだ?」
「そうですね、それは--」
明乃さんが何かを言おうとしたところで、
「あのー、バスタオルってどこに仕舞ってますか?」
お風呂場の方から朝比奈の声が聞こえてきた。
その声に明乃さんは話を中断する。
関係者でない朝比奈には聞かれると困る話なのだろう。
「とりあえず、今日はここまでにしときましょうか。気になる詳細はまた後日ということで」
そう言って苦笑する。その表情には先程までの真剣さは感じられない。初めて会った時と同じような子供みたいな無邪気な笑顔をたたえている。
そうしてお風呂場へと駆けて行く。
「洗濯機の左上に置いてある籠に入ってると思いますよ」
お風呂場の方からはさきほどと違った明乃さんの楽しそうな声が聞こえてきた。
バタン。
自分の部屋に戻りベッドに身体を放り出す。
お風呂上がりの熱がだんだんと身体から冷めていくのを感じる。
今日はガイダンスや打ち合わせ、それに蝶のことや死神のことと色々ありすぎた。
「とりあえず打ち合わせの原稿を修正しないとな……」
今は蝶のことは放っておいて目の前の原稿を次の打ち合わせまでになんとかしなければならない。大学から課題も出されるだろうし、フレッシュマンキャンプで何かつかめればいいんだが……。とにかく考え続けるしかない。せめて大学が休みの明日は案を出すのに集中しないと。
そう思っていると枕元に置いてあるスマホがふるえた。
スマホの画面を見てみると汐山とかいてある。
数回のコールオンの後、画面をタップする。
「どうしたんだ。こんな夜遅くに」
『悪い、起こしちまったか?』
「今から寝るところだったから別に謝る必要はないけど」
『すまん、どうしても伝えろって言われたんだよ。 まったく、いつも人をこき使いやがって……』
何かぶつぶつ不満をもらしていたような気もするが遠すぎてよく聞こえない。
すると申し訳なさそうに、
『ところで明日は空いてるか?』
「夕方からは用事があるからそれまでなら大丈夫だけど」
『なら明日、大学まで出てきてくれないか? 姉貴がおまえに会わせろってうるさくてよく』
「なんで、おまえの姉が会いたがってるんだよ」
汐山の姉と接点は何もないはずだ。
『言ってなかったか? 俺の姉貴っ文芸学科の実技担当で講師をしてるんだよ』
言われて引っかかる人物がいた。
「もしかして、今日のガイダンスにいた合法ロリか?」
確か、彼女の名前も汐山だった気がする。
電話の向こうで汐山が注意するように声を潜めた。
『そうだけど、それ。絶対に姉の前では口に出すなよ。殺されるぞ』
「殺されるって、そんな大げさな……」
『大げさじゃねぇよ。俺なら殺される』
とうに実体験がおありですか……。
『とりあえず要件は伝えたからな』
それだけ言うと電話が切られる。
せめて休みの日は執筆に集中しなければいけないのに。くそ、またやるべきことが増えてしまった。
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