十章【死神の少女と契約者】

 喫茶店--カフェ・デリカから帰宅しさがら荘の扉を開けると、


「ただいま……って、どうかしたのか?」


 ブラック残業を終えたばかりのサラリーマンみたいに疲れ果てた顔をした四条夏目しじょう なつめが玄関先でうつ伏せに倒れるようにして出迎えた。


 服の上から身につけた茶色を基調としたチェック柄のエプロンがよく似合っている。


「……おかえり、なさい。彼岸くん……」

 

 覇気のない顔でこちらを見上げてくる。


 孤高の撃墜王、他の学生からもうやまれている姿はどこ吹く風か、髪もところどころ乱れている。いったい彼女に何があったというのだろうか。どうやら事件は現場で起きているらしい。急なサスペンス展開やめろ。


「夏目さん、誰か来たんですかぁ?」


 リビングの奥からどこかで聞いたことのある無邪気な声とともに夏目の後ろから同じくエプロンを着こなした見知った顔が現れる。


 だが、こちらは夏目とは対照的にどんな料理をしたらそうなるんだと思わせるほどにエプロンに料理汚れが飛び散っていた。


「あ、先生。お帰りなさいお仕事お疲れさまですっ」


「なんで、朝比奈がここにいるんだ?」


「なんでって、そんな迷惑そうな顔しないでくださいよ。わたし今日からここでお世話になるんですよ? 夏目さんから聞いてませんでしたか?」


 きょとんと、不思議そうに首を傾げる。


 そういえば詳しくは聞かされてなかったなと、倒れている夏目を見下ろす。


 まだ疲れが抜け切っていないのか説明する体力も残っていないほどダメージがでかかったのか夏目はよろよろと立ち上がると、


「説明はあとでする……夕食、出来てるから冷めないうちに食べましょう」


 そのままふらつきながらリビングへ戻っていく。


 心配そうに朝比奈が夏目の後ろ姿を見送るとこちらに振り返る。


「今日の夕食は先生が好きだと思ってわたし、ハンバーグを作ったんですよ! 楽しみにしていてください」


 朝比奈はにこにこしながらそう言うと、夏目の後を追ってリビングへと消えていった。


 さて、ここまでで分かったことが3つある。


 1つ目は夏目をあそこまで追い詰めた犯人が朝比奈本人だということ。


 2つ目はあの姿から察するに朝比奈は絶望的に料理が下手だということ。


 それともう1つ、


 これから待っているであろう夕食に不安しかないということだった。



 まあ、覚悟はしていたことだったが。台所の惨状は予想以上だった。


 ハンバーグと言っていたが本当にハンバーグだけを作ったのだろうか?


 台所には調理器具や材料がいたるところに散乱しており、明らかにハンバーグを作るのに使わないだろうと思われる食材までもが並んでいる。


 にんじん、これはわかる。続いてキャベツにアスパラ。おおよその付け合わせに入れられる野菜たちだ。


 だがその横に明らかに尋常じゃないものまでもが並んでいる。


 納豆や昆布にインスタントコーヒーといった物までもが一緒に肩を並べ合っている。まさか全部入れたわけではないだろうな……。


「では、どうぞ食べてみてください」


 朝比奈はそう言って意気揚々に食卓へ人数分のハンバーグを並べはじめる。なにこれ、僕のだけみんなと違って大きくない?


 しかもハンバーグはところどころ焦げついていて、黒々としていた。今にも怪しい光を放ちそうだ。


 どういう調理をしたらこうなってしまうのか暗黒物質でもぶち込んだような禍々しさ。魔界村で出てきそうな料理だ。不安しかない。


 食べるのを躊躇していると朝比奈が不思議そうに首を傾げる。


「どうしたんです? 冷めちゃいますよ」


 僕は朝比奈の仔犬のような視線を振り切って夏目に水を向ける。


「おい、これほんとに食べるのか」


「食べられない原材料は使ってないから大丈夫なはずよ、たぶん」


 …………ごくり。


「……死なないかしら?」


「こっちが聞きたいよ……」


 もう、こうなったら一蓮托生で一網打尽だ。


 覚悟を決め、ナイフで肉を割りおそるおそる口へと運んだ。


 結論から言うと朝比奈の作ったハンバーグはぎりぎり食べることができた。


 味はというと、やはり台所のやつはおおかた入れていたんだろうが、インスタントコーヒーが主張しすぎて苦い味しかしなかった……。うっぷ。


 そして今後、朝比奈には料理を作らせないということが僕と夏目の間でひそかに取り決められたのだった。



 なんとか夕食を食べ終えることができた。


 人は窮地に立たされた時、頑張ればなんとかなるということを今回の夕食で学んだ気がする。


 台所では満足そうな顔をした朝比奈が機嫌よく後片付けをしている。


「ふーっ、なんとか乗り切ったわね」


 夏目は夕食を食べた後とは思えないほどの疲れ切った表情を浮かべながらリビングにあるソファに横になる。


 僕も額にあぶら汗を浮かばせていた。


 次に朝比奈がうっかり料理でもしたら今度こそ死人が出る。被害者は主に僕だ。


 そんな、くだらないことを考えながらリビングでくつろいでいると--


『ピンポーン、ぽんこつー』


 と気の抜けるような玄関のチャイムが鳴る。


 こんな遅くに「誰か来たのだろうか?」と思っていると夏目が玄関を開けに行った。


「お帰りなさい。明乃あけのさん」


 玄関から気持ち弾んでいそうな夏目の声が聞こえてくる。


 明乃さんとはたしか、ここの大家さんのことだっただろうか。もしそうなら遅くなったが挨拶をしておかないといけない。


 玄関先に駆け寄ると、夏目が楽しそうに女性と話している。夏目の背中に隠れて顔がよく見えない。身長は段差によって正確にはわからないが僕たちと同じくらいだろうか。


 後ろから覗き込むような形で女性の姿を確認する。


「えっ……」


 その女の子を見てすぐに声を出すことができなかった。「???」頭の中に疑問符が浮かびまくる。


 この人が本当に大家さんなのだろうか、夏目から童顔とは聞いてはいたがそこにいる女の子はそういうレベルじゃない。


 どこからどう見ても僕たちと1〜2歳上ぐらいしか変わらないように見える。


 そしてその顔はついさっき打ち合わせの時に見た顔だった。


 彼女の後ろでシベリアンハスキーのような長い白髪しろかみが尻尾みたいに揺れている。


 すると、女の子もこちらの視線に気付いたのか僕の方へと視線を向ける。


「はじめまして……では、ないですよね。さっきは挨拶が出来なくて申し訳ありません」


 ぺこりと丁寧にお辞儀をすると、


「私がここの大家兼、喫茶店で看板娘をやっている明乃神奈あけの かんなと申します。どうです? 驚いちゃいました?」


 にしし、と見た目よりもより幼い悪戯じみた子供の笑顔で笑った。


 井の中の蛙はたとえ大海に出られたとしても、思っていた以上に世間は狭いらしい。



 玄関で話すのもなんなので、僕たちはリビングで紅茶を飲みながら話すことにした。


「コーヒーでもいれましょうか?」と明乃さんが聞いてくれたが、さっきのこともあり数日はコーヒーを飲みたい気分にはなれそうになかった僕は首をふって夏目と同じ紅茶を頼んだ。


 しばらくすると僕たちの間を縫うようにしてテーブルに人数分の紅茶が用意される。


 朝比奈とはすでに顔合わせは済ませているらしく、先にお風呂に入ってもらっている。


 あらためて明乃さんの顔をながめる。


 女の子らしいやわらかな顔立ちに整った鼻、それにこちらの心が見透かされているかのように感じてしまうような幻想的な瞳の色。それに紅茶のような甘い香りもする。喫茶店で働いているからだろうか。


 四条 夏目しじょう なつめにも負けず劣らない美人といった感じだが、子供っぽさもある分明乃さんの方が接し易いだろうか。大学生と言われても違和感がない。もし、同じ大学に通っていたら四条夏目みたいに『孤高の撃墜王』みたいな異名が付いていたのかもしれない。


 思わず顔をながめていると、


「変なこと考えてるんじゃないでしょうね」


 夏目が水をさしてきた。


「そんなこと考えてねーよ」


「はんっ、どうだか……」


 そんな僕たちを明乃さんは楽しそうにながめている。


「仲が良さそうでなによりです」


「仲なんてよくないわよ。もう初日から最悪だったんだから」


「最悪って、なにかあったんですか?」


 明乃さんが興味深そうに首をかしげる。 


 夏目は恨めしげに明乃さんを見つめて。


「男の子がくるなんて思ってもなかった知らなかったから、下着を……というか、下着姿をみられた…………男の子に思いっ切り見られた……はじめてだったのに」


 ぷくぅ〜っと不服そうにほおを膨らませる。


 そのあと何か言っていたようだが、小さすぎてよく聞き取れない。


「それは……ごめんなさい。謝罪します」


 明乃さんが頭を下げる。ちらっと、新たないたずらを思い付いた子どもみたいに夏目の顔をにやにやと見つめる。


「それにしても、そんなに人に見られて困るような下着だったんですか? 普段履きで油断しすぎた下着……逆に、気合の入ったエロい下着? だとすると、かなり恥ずかしいかもしれませんね」


「誰のせいで、こんなことになったと思ってるの?」


「あー……私です。すみません。茶化すつもりはなかったんですが……もう言いません。反省してます」


 その割には楽しんでいるように見える。


「ならもっと反省してくれない? 猛省しまくりやがってくれない?」


「はい、調子に乗りました。申し訳ありません」


「あと、念のために言っておくけど、ワタシは別にエロい下着なんて身につけてないからね。普通の下着だから」


「--えっ!?」


「なんでそこで声を上げる?」


「あっいや、なんでもありません」


 首をふって視線を夏目から逃す。


 すごい蔑んだ目でにらまれた。めっちゃ怖い。


「…………」


 夏目はまたぞろ不満そうにほおを膨らませる。


「夏目さんには普通でも、彼岸さんには刺激が強かったようですねぇ」


 明乃さんはそう言ってまた、にししと笑う。


「鈍器と刃物だと……やっぱり鈍器の方が楽かなぁ」


「ヤバい。今すぐここから逃げないとっ」


 逃走しようとする僕と鈍器を探す夏目の間になだめるように明乃さんが割って入った。


「まあまあ。それだけ夏目さんが魅力的だったということです。女子としては誇っていいんじゃないですか?」


「見られたのが、下着姿でなければね」


「それにしても、ほんとにおふたりとも仲がいいんですね」


「「どこが!!」」


「ほら、息もぴったりじゃないですか」


 明乃さんは僕たちを見て楽しそうに笑うと。


「それにです、私の話がまだ終わっていません。殺されてしまうと困ります」


「止めるならもうちょっと強めに止めてもらえないか」


 それに話し終わってからなら殺してもいいという風に聞こえるんだが?


「では、今度は私の話なんですが……」


 僕の抗議の声を無視して明乃さんはそう言うとぴしっと背筋を伸ばしつつ、僕の目を真っ直ぐに見据える。辺りにぴりっと張り付くような緊張感が訪れる。


 これから真面目な話があるのだということが嫌でもわかってしまう。そんな空気だ。


 そして、明乃さんはどこか凛と鈴まりかえった声で--


「彼岸さん、あなたは10年後から時を渡ってここに来た。そうですよね……?」


 僕が隠してきた秘密を口にした。


 その瞬間、世界が壊れていくかのような錯覚を覚えた。

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