九章【打ち合わせ】

「1巻刊行お疲れ様でした。先ほど確認しましたが無事に都内の書店に並んでいました。焦らずジワ売れしてほしいですね。それでは2巻についてバックです」


 坂のてまえ、小道を分け入った場所に、人目を避けるかのように建てられている。喫茶店--カフェ・デリカ。


 店内に人はまばらで流れる往年のジャズがよく響いている。


 窓際のいつものテーブル席に着いて注文を済ませると、挨拶もそこそこに印刷原稿が卓上に広げられた。

 担当編集のビジネスライクな態度は、なかなか悪くない。


 担当はこちらに目もくれず、世間を恨むかのようにまじまじと原稿をにらみつけている。


 初めて担当に着いたらしく、新人同士もう少し仲良くやってもいいんじゃないかという気持ちもあるにはあるが、作家と担当編集は所詮ビジネスパートナー、相手が知ろうともしないのにわざわざこちらから行く気にもなれなかった。


「……どうぞ」


 店員が注文していたケーキを片手に飲み物を運んでくる。


 僕よりも少しばかり年上だろうか、カフェの制服に身を包み、シベリアンハスキーのような白い髪を背後に結んだ美人な店員が原稿の隙間を縫うようにして注文したケーキと珈琲がテーブルに置かれる。


「ごゆっくり」


 店員はこちらに一瞥をくれるとニコッと微笑んで店の奥へと下がって行く。


 その後ろ姿を担当編集は見送りながら思い出したように。


「そう言えば彼岸ひがん先生、ご入学おめでとうございます。大学生活は物語を書くにあたって大事な経験になると思いますので楽しんでください」


「ありがとうございます。それで、2巻についてなんですが……」


 担当編集がこんな事を言うのは珍しいなと、ふと思った。


 新人賞を受賞して作家になってから、実を言うとこ作家一本で行こうかこのまま大学に進学しようか迷っていた。


 そんな時に担当編集に相談したところ。


「学生というのは大切な時期ですし、先生にとっても生の学生と触れ合える機会ですので良いインスピレーションを受けられるかもしれませんので、一度大学に行ってみてはどうでしょうか?」


 と言われたのだ。


 そして、僕は大学に進学することを決めた。


 担当編集の言う通り、何か良い影響を受けられるかもしれない。


 それに、専業作家というのは難しいと聞く。


「そうですね、全体的な流れは率直に面白かったです。主人公のことをさげすむヒロインはイラストがついたら化けそうなキャラ強度があります」


「ありがとうございます。そう言っていただくとほっとします」


「彼岸先生はキャラクターで売っている作家だと改めて感じました今後も積極的に新キャラを投入していきましょう」


 彼岸先生--もとい、彼岸ユウキというのが僕のペンネームだ。


 基本的に作家という生き物は互いの本名をあまり知ろうとはしない。


 だから、実際に会って呼ぶのもペンネームの方が多い。


 担当編集が用事で大阪に来る時は打ち合わせはだいたいこの店で行っている。


 東京の編集部に通う作家もいるし、逆に作家の地元まで来てくれる編集者もいる。


 だけど、僕たちはここ喫茶店--カフェ・デリカで打ち合わせをしている。


 別にどちらから決めたわけではないのだが、引っ越すこともあり住所を担当編集に伝えると学生と作家の両立というのもあり僕の負担を軽減するために用事で担当編集が大阪に来る際は自然とここになったのだった。


「ただ序盤の話が動き出すまえのインパクトが足りない感なきにしもあらずなのでそれぞれ読者受けするエピソードを工夫したいと思うのですがいかがでしょうか」


 付箋が貼られた印刷原稿ばかりにらんで、編集者はこっちの顔を見ようともしない。


 いつも怒ったような顔をしている。淡々と切れ目なくしゃべる独特の声にも、どこか冷徹な威圧感がある。


 最初の口ぶりから察するに、先月に発売された新刊の売り売れ行きは思ったより悪いのだろう。

 

 NF文庫新人賞で受賞してから、デビューするに当たっていろんな手回しをしてもらった。


 当代最強と謳われているイラストレーターをつけてもらった。大量の宣材を作ってもらった。人気の声優を付けてもらいPVも流してもらった。


 そこまでしてもらったのにも関わらず、期待された値の4分の1にすら届かなかった。


 新人賞受賞作で、3巻を出せずに打ち切られたのは同期で僕だけだった。


 自分に才能なんてものがないことは10年後の世界で痛いほどわかっているつもりだったのに……。


 どこかで自分には実力があるのだと奢っていたのだろう。


 受賞した時は本当に喜んだ。まだ夢を見ているのかとさえ思った。


 刊行が決まると妹と手を取り合って喜び合い、大体、作家のもとには数冊の献本が届くものだが発売日には妹が自分で買いたいと2人で書店に並んだりもした。

 

「読者受け、読者受けか……」


 僕は2巻の初稿をぱらぱらと読み直した。


 今書いているのは、特異能力を持った主人公が同じように特異な能力を持っているヒロインたちが通う学院に組織のスパイとして潜入するところから始まる異能ラブコメモノだ。


 たしかに、ヒロインのエピソードが小粒になってしまっている気もする。


「展開入れ替えて、冒頭から主人公にヒロインを押し倒しますか。でもって、もうひとりのヒロインの着替えを覗いてしまったり」


 思いついたことを口にすると、担当は眉間に険しい皺をつくった。


「もう少しインパクトが欲しいところですが……。じゃあ、いったんその方向で改稿かいこうお願いします」


 担当は時計を一瞥いちべつすると、資料をそそくさとまとめる。


「それではお疲れ様でした」


 僕もテーブル越しに頭を下げる。


 打ち合わせは15分で終わった。


 会計を済ませてもらっているあいだに、腕時計を確認する。


「……もうすぐ6時30分か」


 帰ったらちょうど夕飯時くらいだろうか、お隣さんもすでに帰ってきていると思うし、軽く挨拶でもしておこう。


 それから、会計を終えた担当とカフェ・デリカの出口で別れ、さがら荘までの道をぼんやりと歩いた。


 横を学校帰りのランドセルを背負った子どもたちが走り過ぎていく。だれもがだれかと歩いている。 


 まあそんな光景など10年後にも一度たりとて送ったことなどない。だが今は無意味に時間を潰してしまったあの時とは違う。


 なりたかった小説家にもなれ、初巻も書店に並んでいる。売れ行きはあまり良いとは言えないみたいだが、10年後の世界で夢破れた小説家になれたのだ。これで満足しているはずだ。


 それなのに僕の心には大切なものが抜け落ちたみたいにぽっかりと穴が空いていた。


 小説家になるという夢を叶えた今、僕はいったいどこを目指しているんだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る