第315話 赤い瞳の少女をスカウトした。
ニコラの解説が終わり、ドンに今回の報酬を渡した時の事。
床に膝をついて、改めて彼女に視線を合わせた。
驚いた彼女が、
「ドン。折り入ってご相談があります」
私が声に真剣味を帯びさせた為、彼女は緊張した面持ちでチラリとニコラの方を覗き見る。
しかしニコラがニコニコしたままだったからか、空気をゴクリと飲み込んだ後、私へと視線を戻してきた。
「ドン。私は貴女に約束しました。なりたくない娼婦の道など歩まなくて済むようにする、と。
その為に貴女に傍にいて欲しい。私の付き人になってくれませんか?」
そう伝えると、彼女の口が半開きになる。目が泳ぎ、一生懸命に私の言葉の意味、そして自分の周りの状況についてを考えているようだった。
「仕事は基本的にニコラと同じです。私の付き人として、マナー、身のこなし、読み書き計算、それ以外の色々を勉強してもらいます。
その
アティには数人の子守と、子守頭であるマギーがいる。
しかし、彼女らはあくまで『保護者』という立場だ。そういう意味では私も同じ。
これからアティは様々な経験をして、中には保護者には言えない・相談できない事と出会うだろう。
そんな時彼女のすぐそばで、彼女の言葉を聞く存在になって欲しい。
勿論、それができる人間として既にニコラがいるが、彼は男の子だ。アティは今後、必ず持つであろう身体の悩みに、ニコラでは答えてあげられない。
そんな時、同じ「女」の身体を持つドンに、相談できるようになっていて欲しい。
そして。
ドンには真っすぐに生きて欲しい。
乙女ゲームの悪役のように
自分を偽って依存先を乗り換えて生きるのではなく、自分で生きられるように、なって欲しい。
これは、実は既にツァニスやサミュエル、クロエやマギーには相談済み。
マギーには「またですか」って呆れられたけど。
ゆっくりとドンにそう問いかけるが、彼は眉毛を下げて困ったような顔をする。
「……無理だよ。俺たちの仲間ん中では、俺が稼ぎ頭なんだ……」
泣きそうな顔で、ゆっくりと首を横に振るドン。
「アイツらを置いて……行けないよ……」
彼女のその言葉に、私は心底安心した。
「ドンが、そういう子で本当に良かった」
私がそう顔を崩すと、ドンが目をパチクリと
ドンが、あの孤児たちの中で稼ぎ頭であり、みんなを養い守っていた事は知ってた。
そんな中で、ドンだけが得をする話を持ち掛けられた時、彼女がどう答えるのか、私は気になっていた。
私は、ドンを、試したのだ。
彼女が、他の子の事を考えず放置して喜び勇んで同意するか、
それとも、他の子の事を考えて、拒絶するか。
他の子の事を考えて拒絶できるドンだからこそ、アティの相談相手になって欲しいんだよ。
「大丈夫です。他の子たちは、急遽作る孤児院に居を移してもらいます。取り敢えず、衣食住はそこで保証します。その後の事は、順を追って整備していきます。
勿論、その子たちと手紙等で交流していただいても構いません。
ドンが
貴女の好きにしていい。
すぐに答えを出せとも言いませんよ。まだ
貴女が、自分で、自分の身の振り方を、選んでいいのですよ」
孤児院は、使っていない屋敷を買い取り、そこに取り急ぎ必要となるものを運び込んで使う事にした。ちなみに、管理者は人身売買で行き場のない女性たちに仕事としてやってもらう予定。その人たちの心身が整うまでは、我々が手配した人間にやってもらう。
私がゆっくりと伝えると、ドンの口がぽっかりと開く。そして、ゆるゆると、表情が綻んでいった。
『選んでいい』
彼女がこれまで生きてきた中で、欲しくて欲しくてたまらなかった『選択肢』。
それを手に出来た喜びが、彼女の顔にゆっくりと広がっていった。
が。
また何かに気づいたのか、彼女は酷く困った顔をする。
「俺だけが……こんなに得して……いいのかな……」
視線を下げて、
そんな時
「その得られた幸運を、今度は貴女が誰かに配ればいいのではないですか?」
そう伝えたのは、マギーだった。
ドンは弾かれたように顔をあげ、アティの傍に立っていたマギーを見上げる。
「セレーネ様も私も、ニコラもクロエも──いえ、ここにいる全ての人間が、生まれや育ち等の誰かに与えられた幸運、自分の努力で手に入れた幸運を持っています。
そしてセレーネ様は、その幸運を貴女に配ろうとしているんです。
受け取った貴女が、今度は違う誰かに幸運を分け与えればいいのではないですか?」
顔は厳しいけれど、声は優しいマギー。
そうだよね。そうだと思う。
手に出来た幸運を、独り占めしたり手放そうとしなかったりするから、周りとの
幸運で手に入れらた心の余裕や物などを、幸運な者同士で持ちまわるのではなく、まだ幸運を持っていない誰かに、違う形でもいいから少し分け与えらえたら──
世の中は、もう少しだけ、良くなりそうな気がするよ。
「俺が……分け与える……」
ドンが、マギーの言葉を、そう繰り返す。
なので私は笑って言い募った。
「ドンは既にそれをしてきたじゃないですか。私から受けた依頼をこなし、報酬を受け取って仲間内で分け合っていたでしょう?」
報酬について、小さいパンでいいから数が欲しいとか、小銭がいいとか、オレンジの数を増やしてくれって言ってたドン。
それって、仲間内で分けやすいようにって事でしょ?
もうしてたやん。
それを繰り返すだけだよ。
「場所が変わっても、同じ事を、すればいいんですよ。簡単でしょう?」
そう伝えると、彼女は自分の両掌に視線を落とす。
どれぐらいの時間、そうしていただろう。誰も言葉を口にせず、シンとした沈黙がその場に降り立つ。誰もが彼女の言葉を待っていた。
ドンは掌をゆっくりと握り締め
「分かった。俺、行くよ」
何かを決意したような、強く輝く
***
「はぁー疲れた。はぁー疲れた。はぁー疲れた……」
行きつけのカフェバーのバータイムにて。
周りは近所の酒飲みたちで溢れていて騒がしい。ガラはあまり良くないけれど、まぁ今回私も「貴婦人」然とした恰好ではなく、バーなのでラフな男装をしてるんで大丈夫。……クロエが、こういう時の為にって微笑みながら、私サイズのラフな麻のスーツを出してくれたんだけど……こういう時って、どういう時? クロエ、どんだけ準備万端なの。
そんな騒がしいバーの中で、私は奥のテーブル席でビールが入ったグラスを手にガックリと肩を落とした。
向かいの席にはアレクだけが座っている。
他のメンバーはここにはいない。
もともとツァニスとアティたちは、超高級ホテルに泊まっているのでそっちへと戻った。サミュエルはまだ報告事項やその他、ミハエル卿との事務的なアレコレ等の仕事があるので一緒に行ったし。
ディミトリは仲間たちと今後の打ち合わせに行ってる。
クロエとマティルダとニコラ、そしてベネディクトは、下宿の主・ミコス夫人と夕飯後のお茶を楽しんでた。
ドンは「まだあいつらと一緒にいたい」というので、自分のネグラへと帰って行ったし。
ちょっとだけ気晴らししたいからと、お願いして一人でバーに来させてもらった。
が、当然本当に一人ではダメって事で、アレクが同行してくれているけど。
まぁ、アレクだから。アレクには気兼ねしなくて済む。
ああ疲れた、ああ疲れた。ああ疲れたァー……
あれから随分また時間が経った。
ミハエル卿との今後の調整、手に入れた顧客リストをもとにした今後の計画、警ら隊との人身売買組織についてのアレコレ、囚われていた女性たちの中で行き場のない人たちの行き先の相談、急ごしらえの孤児院設立に関する作業や調整。
新聞社に人身売買壊滅のネタを流すとともに、ツァニスの功績として記事を書かせるネゴを取ったり。今まであまり新聞社と直接やり取りした事がないツァニスのサポートも。これも地味に大変だったし。
それだけじゃなくって、炊き出しや出張診療所の計画と手配、実行、結果のヒアリングや、それによる発生した他の浮浪者たちとの
やる事が多すぎて、本当に目の回る忙しい日々が、飛ぶように過ぎて行った。
まだ終わってナイけどね……
終わんのか、コレ……
あー。アティと遊びたかったなぁー。
せっかくこの地に来たのだからと、アティとマギー、そしてニコラとベネディクト、マティルダは、この地にある美術館や観光名所、色々な所へと遊びに出かけてたよ。
あー。いいなー。いいなー。羨ましいなァー。私も一緒に行きたかったなァー。
でも、帰って来たアティがいつも、どんな物を見た、こんな事をした、明日はこんな事するんだと、一生懸命楽しそうに説明してくれたから、まぁヨシとしよう。
その場にはドンも同行する事があった。
いきなりカラマンリス邸で『今後ともよろしく』するワケにもいかないドンとアティのお見合いみたいのも兼ねてね。
ドン自身は小さい女の子の扱いは慣れたもんで。でも扱いが雑で言葉も粗いので、逐次マギーとニコラからツッコミが入れられ、アレコレ教わっていた。
めんどくせぇな、と毒づいたドンにマギーとクロエが
「丁寧な言葉や行動を身につけておいて損はありません」
「出来るのにやらないのと、出来ないのとでは雲泥の差があります」
「そして、普段丁寧な物腰と言葉の人間が突然乱暴になったりするから、相手にテキメンの効果があるのです」
とやんわりと諭す。
そして三人して私を見た。
ドンが、ああ、なるほどなって頷いてた。
……どういう意味ですか、その頷きは。
そんなこんなで。
ひとまず今回のミッションは終わったとして、もうすぐカラマンリス邸に戻る事になっている。
まだまだやる事は山積みだけど、現地作業員をこの街で雇い、その人たちを仲介して作業を続行する事にした。いつまでも自分で全部をやるワケにはいかない。誰かを信じて任せる事も覚えなければ。そう、クロエとマギー、そしてサミュエルに突っ込まれたら、
ミコス夫人の下宿は、その事務所的な使い方をする事になった。なので借りたまま。
「いつでも戻って来ていいですからね。待っていますよ」
と、ミコス夫人は少しだけ寂しそうに笑っていた。
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