第314話 卑屈な男が目覚めていた。
「ミハエル様。お久しぶりです」
ツァニスは、ビジネスライクな笑顔を顔に貼り付け、向かい側のソファに浅く腰掛けたミハエル卿へと挨拶する。
ミハエル卿も
「久し振りだな、ツァニス。元気そうで良かった」
とかなんとか。
なんか、穏やかな空気に包まれてんですけど!? 私だけが状況を飲み込めずに焦ってるんですけど!?
ねぇコレ、どういうことっ!?
私が混乱のまま言葉を失っていると、ミハエル卿がスクリとソファから立ち上がる。
そしてスタスタとこちらへと歩み寄ってくると、私の傍で片膝をついた。
「今まで私がおかした酷い仕打ちを許して欲しい、セレーネ嬢」
えっ!?
は!?
んんっ!?
ええと!?
もしかしてコレは、忘れた頃に開始された『私を持ち上げ良い気持ちにさせて、その浮ついた足元を
だとすると……
「いえ。私も、ミハエル卿に大変失礼な態度をとってしまいまして。申し訳ありませんでした」
立ち上がろうとした瞬間、ミハエル卿が手で制したので、私はソファに座ったままそう頭を下げた。取り敢えず、相手に合わせておいた方がいいよな。
私は顔を上げて申し訳なさそうな表情を作り、ミハエル卿を見返す。
「セレーネ嬢が気に病む必要はない。私はアレで、目が覚めたんだ」
……目が覚めた?
若干、彼の言葉に引っかかりを覚えつつも、私は
「兄とツァニスとの対決。俺で良ければその力になろう。俺では力不足かもしれないが、そこは指摘してくれ。どんな期待にも応えられるようにする」
ええええええええ!?
何コレどういう事ォ!?
もしかして、今目の前にいるミハエル卿は偽物なのォ??
それとも、前のが偽物のミハエル卿でコレが本物だったりするゥ???
ミハエル卿のその転身ぶりに、不安しか感じる事ができずに、思わず私は隣に立つアレクの顔を困って見上げてしまった。
すると彼の口が動く。声は出てなかったけれど、その唇が
『被虐趣味』
と語っていた。
はぁぁぁぁぁぁぁ!?
そういう事ォォォォォォォッ!?
いや、マジでそんな趣味、私にはありませんってば!!!
あー、待って。
あー、待って。
あー、待って。
この、何かを期待したキラキラした目で私を見上げるミハエル卿。
この顔、見覚えがある。
ツァニスに前妻のお墓の前に呼び出されて行った時の、あの時のツァニスと同じ顔をしてる!!!
って。
やめて!
そんな目で見んな!
期待した眼差しを向けんな!!
そんなところばっかり、ツァニスとミハエル卿の間に流れる同じ遺伝子を感じさせんな! 間違いなく親戚じゃんっていう濃密な繋がりを見せつけてくんな!!
「あのっ……あのっ……あの!! どうして! ミハエル卿は突然そんな風になったんですかっ!?」
アカン! テンパってドストレートに聞いてもーた!!
ココで『新しい扉を開いたんだ。そのヒールで踏んでくれ』とか返されたらどうしよう!
あ、さすがにそれはないか! だってここには、ツァニスもいるし、サミュエルもアレクもいるもんね!
「セレーネ嬢の、生き様に、惚れた」
違う方向でダイレクトだったーーーーーーーーーーーー!!
何なのコレ!
ツァニスと同じ行動とってんじゃねぇよ!
何!? カラマンリス領にはそういう環境因子でもあんのッ!?
「ミハエル様、それはどういう……」
さすがにビックリしたのか、ツァニスがそう彼に問いかけた。
ミハエル卿は立ち上がると、ゆっくりとした足取りで自分のソファの方に──行くと思いきや、何故か応接室の窓の方へと足を向ける。
窓とレースカーテンの向こう、サンサンと輝く太陽に紫がかった青い瞳を向けて、眩しそうに目を細めた。
「ツァニスにも見せたかった。あの雄姿を」
雄姿!?
「凄かったぞ。上は一糸まとわぬ姿で、身体に走る傷跡を恥じる事なく、むしろ誇らしく堂々とその場に立ち、敵と互角に渡り合い、そして倒した姿は。
ああああダメそれはやめて! 半裸で大立ち回りした事は、ツァニスには報告せず唯一隠してた事だったのにッ!!
「一糸まとわぬ……?」
ツァニスの顔が、段々と強張っていくのが分かった。
軋んだ音がしそうな動きで首を回して私を見てくる。
やめて、見ないで。
「誰の力も借りず、飾る物を何も身に着けず、文字通り身体一つで対峙しそして相手を圧倒する。しかしかけがえのない何かの為に、
その姿に、感銘を受けた。
そして思ったんだ。俺は何をしていたんだろうか、と」
ミハエル卿が、穏やかな笑みでこちらへと振り返った。
「確かに俺は背は小さい。が、それがなんだというのだろうな。何をそんなに恥じて卑屈になっていたのだろうか、と」
コツ、コツ、とゆっくりとした足音を立てて、再度こちらへと歩み寄って来るミハエル卿。
あああああ嫌な予感しかしねぇ!!
ミハエル卿は、再度私の前へと膝をつくと、私の手を取り、再度甲に唇を寄せてくる。
が、今度は。
彼の唇が、そっと、手の甲に触れた。
「ミハエル様! セレーネはダメです!! 彼女は私の妻だ!!!」
それを見たツァニスが、私の手首を奪い取る。
しかし、ミハエル卿は挑戦的な色を浮かべた瞳でツァニスを見返した。
「もう妻ではないだろう。愛人でもないと、本人が言っていたぞ?」
「それっ……は……」
ミハエル卿の言葉に、喉を詰まるツァニス。
「では、私にもチャンスはあるという事だ」
「ぐッ……!」
なんだか当の本人を差し置いて、何故か勝手に話を進めるミハエル卿とツァニス。
思わず私は、ツァニスに掴まれた手首を引っ張り彼の手から外す。
そしてソファから立ち上がり、二人を交互に睨みつけた。
「言ったハズですよミハエル卿! 私は私のものです! 誰のものにもならない!!
ツァニス様! 今はそれどころではありません!! 私は
話を!
詰めて!!
くださいませんかっ!!!」
そう怒鳴りつけると、何故かちょっと嬉しそうな表情になるミハエル卿と、ちょっと拗ねたような顔になるツァニス。
もう! なんなんだ本当にッ!!
もしかしてコレは、アンドレウ夫人を脳内に展開させて彼女を演じた罰なのかッ!?
どうなんですかアンドレウ夫人!! アンドレウ夫人もこんな状況なんですかッ!!!
「モテ期到来かよセリィ、やるじゃん」
私の耳元に、後ろに立っていたアレクがククククッと笑いを嚙み殺した声でそう呟いてくる。
やめてくれ!!!
そういうの!!!
マジで!!!
嫌悪感がヤバいよ!!!
私が歯軋りしながら睨みつけ続けたからか、ミハエル卿とツァニスはソファに改めて座って話を詰め始める。渋々、といった感じで。
はぁーーーーー……
私は盛大な溜息を一つついてから、ソファに座る事なく、二人がちゃんと本筋の話を進めるかどうかを、仁王立ちし腕組みしてジッと
***
「マジかよ! ヤバイな! そんなんしたのかよ!!」
ニッコニコのニコラから、人身売買組織の壊滅シーンの再現を熱演されたドンが、目を真ん丸にしていた。
「そうなの! それにね! その時セレーネ様、裸だったんだよ! でもかっこよかった!!」
ああニコラ、そんな事まで報告して……
「マジか!! 恥ずかしくなかったのかよ!?」
ドンが半笑いで私の方へと振り返ったので
「いや……その時は、恥ずかしがるより重要な事があったので……」
そう言い訳しておいた。
まるで私が
「コイツやべぇな! いい意味で!!」
ドン。絶対それ、いい意味で言ってないよね?
ここは下宿の我々の部屋。
これまでの仕事の報酬を支払う為に、ドンにここまで来てもらった。
しかし。
今この部屋には、いつものメンバー以外に、ツァニスとアティ、そしてマギーもいる。さすがに広いこの部屋も人でギュウギュウになってしまった。
ちなみに、アティは床に座ったニコラの膝の上に座って、ニコラの話を目をガン開きして聞き入っていた。
ドンがここへ来た時。ツァニスがいる場でさすがにいつもの格好ではマズイと、クロエとマギーが嫌がる彼女をシャワーへと突っ込み隅々まで洗っていた。
「やっぱりクサイって意味じゃんか!!」と怒っていたドンを
「臭い臭くないの問題ではありません。アティ様に貴女が持ってるかもしれない病気が
購入してあった木綿のシャツと麻のズボンを着てもらった。靴下は暑いと嫌がり、素足にいつもの靴だったけど、まぁそこはいいかと大目に見る。
髪も洗われ櫛を通され部屋へと戻って来たドンは、ニコラやイリアスと同じような、普通の子供のように見えた。
「ニコラ、そこら辺、もう少し詳しく。何故セレーネは裸だったんだ?」
やめてツァニス。そこ突っ込まないで……
「分からないけれど。聞いてみたら、セレーネ様、掴まってすぐ脱がされたって言ってた」
「ほう……」
ニコラの言葉を聞いて、ツァニスが能面ヅラをこちらに向けてくる。
顔に『何故言わなかった』って書いてある……
「捕まってすぐに、武器を持っていないかと確認されたからです」
そう解説を入れて来たのは、部屋の隅、火の入っていない暖炉のすぐ傍に立ったディミトリだった。ツァニスが首をギュンっと巡らせてそちらを向く。怖いよ!
「何故止めなかった」
「止めたら三重スパイである事がバレてしまいます。一応、下は、死守しました」
ああ、だからパンツだけ履いてたんだ。
何か言いたげだったツァニスは、ゆっくりとニコラの方へと向き直った。
チラリと私を一瞥した視線に『あとで詳しく』という文字が、見えた気がした。
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