第313話 思いもよらない事に驚いた。

 開きっぱなしの口を慌てて閉じて、あの日から今日までのツァニスの態度を思い返す。

「で、では……あれ以来、距離があったように感じていたのは……」

 もしかして、と思って尋ねてみた。

「すまん。自分の行動が恥ずかしくて、合わせる顔がなかった」

 ツァニスは、少し困ったような、それでいて少し照れたような笑顔で、私の事を見下ろしてきた。


 そ……そうだったんだ!

 いやまさかツァニスが照れてるとは思わなくって、だから怒ってるとばっかり思ってた!

 そうか。

 そうか、怒ってなかったんだ。

 ……ちょっと、ホッとした。

 良かった……


「良い雰囲気の所を邪魔して申し訳ありませんが、今よろしいでしょうか?」

 私とツァニスの話に割って入ってきたのは、部屋の中へとサミュエルと共に入ってきたディミトリだった。

 声をかけられ、ツァニスはゆっくり振り返る。ディミトリの顔を見て

「ディミトリ、よくやった。私からのめいをつつがなく遂行した旨、サミュエルから報告を受けている。褒賞を与える。待っていろ」

 そうハッキリと告げた。

「ありがたき幸せ」

 ディミトリはそう呟いて、ツァニスに深々と頭を下げた。

「……ツァニス様からの、めい?」

 なんだソレ?

「ツァニス様から、セレーネ様をその命に換えて守れと仰せつかっておりました」

 頭を下げたままそう答えるディミトリ。

 ええっ?! そうだったの?!

「私もそのめいを頂きました。まぁ、私は大して役に立てませんでしたが」

 言い募ってきたのはサミュエル。

「いや、サミュエルもよくやった。お前からの報告で、状況は逐次理解できていた。今回素早く対応出来たのは、サミュエル、お前のおかげだ」

 そんなサミュエルに、優しげに声をかけるツァニス。素早く対応……?

 ハッ?! もしかして!!

「あのってヤツに話をつけたのはサミュエル自身だが、しっかりとツァニス様からの電報を持って行ったからな。

 いやあ、伝家の宝刀の効き目は抜群だったな!」

 話にそう追加してきたのは、部屋の入り口のところに立つアレクだった。

 やっぱり! そういう事だったんだ!!


「私もレオに言われてた。セレーネ様を守ってやれって。セレーネ様、時々無茶するから。……守れなかったけど。

 今度から、私が影武者する。セレーネ様、前に出たら、ダメ」

 ついでと言わんばかりに口を挟んできたのはマティルダだった。

 マティルダまで?! なんで?! 私そんなに危なっかしい?! ……危なっかしいですね! ハイすみません!!

 流れに乗っかったのか、窓の横に立つベネディクトまで口を開く。

「俺も言われてたよ。ベルナと、ゼノ様と、あとエリック様とイリアス様に。ベルナとエリック様は鼻の穴膨らませてたし、ゼノ様は泣きそうだったし、イリアス様は目がマジでヤバイ殺気だった」

 あの四人にまで?!

 お子様四人に心配される私って何?! そんなに信用ない?! ……ありませんね、ハイ、スミマセン……

「マギーさんも僕に言ってた。セレーネ様が下手な事をしないように見てて下さいって。テセウスにも言ってたね。マギーさん、セレーネ様のこと心配で仕方がなかったんだね」

 ニコニコそう追撃してきたのはニコラ。

「そんな事ありません。心配していたのはセレーネ様ではなく、セレーネ様を亡くした場合のアティ様のお気持ちです」

 しかし、マギーはそうバッサリと切り捨てた。

 素直じゃないんだからマギー!

 と思ってニコニコ彼女の顔を見たら。絶対零度の視線で睨み返された。

 ハイ、調子乗ってしまい、申し訳ありませんでした……


「あとね!」

 ニコラは、握った両手をブンブン振り回して言葉を付け加える。

「ドンも! 心配してたんだよ!!

 だから後でドンにも顔見せてあげて!!」

 一生懸命そう言うニコラ。

 そうか。ドンも、心配してくれたんだ。そうだよね。襲撃計画の時、わざわざ目眩めくらましの道具まで持参して、助けに来てくれてたもんね。

 後でちゃんと、彼女にもお礼を言わないとな。


「セレーネ様は、皆様に愛されておいでで。私も嬉しゅうございますわ」

 ずっと傍で控えていたクロエが、また目元を手巾ハンカチで拭いつつ、そう笑顔を溢す。

 ホントだね。

 私、みんなから愛されてら。

 ……心配かけまくってて信用がないとも言えるかもしれないけれど。


「だっておかあさまだもん!」

 今まで私にへばり付いて離れなかったアティが、振り返ってそう叫ぶ。

「ええ、そうですわね。本当に、それがセレーネ様でございますね」

 クロエが、ニコニコしながらアティにそう答えてくれた。


 ***


 私は呼吸を整える。

 さぁて、最後の仕上げだ。


 そう頭の中で自分を鼓舞し、その屋敷の扉のデカいノッカーでノックした。

 ここはミハエル卿の屋敷。


 あの事件の後、暫くして行きつけのカフェにまた伝言があったのだ。屋敷に来て欲しい、と。今回残されたカードのメッセージは、その旨の伝言だけだったが、文字も雰囲気も丁寧に感じられた。

『親愛なるセレーネ嬢』

 とまでつけられてたんだもん。

 ……微妙に、気味が悪かった。


 屋敷まで来たのは私の他、サミュエルとアレク、そしてツァニス。

 ツァニスには、ここまでの経緯は取り敢えず全部伝えてある。

 ……私が、ミハエル卿を正論でブン殴った事も。

 話を聞いたマギーが死ぬ程呆れた顔をした反面、ツァニスは笑ってたなぁ。

「……正論をぶつけられたら、普通相手は頑なになって心を開かなくなりますよ。何してるんですか。諜報部隊司令官などという肩書、貴女には力不足過ぎやしませんか」

 と、こっちも正論でマギーに横っ面ハタかれたよ……

 そうなんだよなぁ。

 普通、正面きって正論をぶつけたところで、相手にはそうはできなかった事情があるワケで。反論できずしかし感情面では納得はできないから、相手の反発心を生む結果になるだけなんだよなぁ。

 なのに、そうせずにいられない。

 これは正義中毒だからだな。私自身が。もう少し、相手に寄りそう気持ちを──できる気がせん。

 アンドレウ夫人……私にはまだまだ修行が必要なようです……


 ノッカーで合図してから暫くして、執事が扉を開いてくれる。

 そしていつかの通り、応接間へと通された。

 先頭を歩くのは、招待された私。その後ろにツァニス、そして、サミュエル、アレクが続いた。

 さぁ、果たして、彼は今回はどんな態度で待っているのかな。


 頭の中で色んなシチュエーションだった場合をグルグル考えつつ、開かれた応接間の扉の向こうを見て──


「ようこそ、セレーネ嬢」

 両腕を広げて、万事受け入れ態勢OKの様相で立っていたミハエル卿の姿に、ある意味度肝を抜かれた。

 マジか。

 マジか。

 マジか。

 あの満面の笑みはなんだ。

 怖っ!!!


 数日ぶりに見たミハエル卿は、今までの卑屈そうな空気なんぞどこへやら。

 年相応の優雅さと落ち着きを全身にまとわせていた。

 全然別人に見える。アレ誰やねん。前までここにいた、世間をめ上げ卑屈に浸ってた、あのヤル気の枯渇したオッサンはどこへ行った!?

 今日は上品なスーツを軽く着崩してラフな形にしているだけ。髭も髪も整ってる。

 ……でも、シャツの第二ボタンまで開けるのは、変わらないんだね。何のアピールなんだよ本当に。


 応接間には、以前と違い執事が部屋の隅に待機している。

 ローテーブルにはお茶のセットや茶菓子等が既にスタンバイされてるし。

 え、何。

 え、何。

 え、何ッ!?


 当初言葉が出なかった私だが、自分に気合を入れてなんとか足を踏み出す。

 応接間の途中まで入った所で、ミハエル卿がツカツカと歩み寄って来た。

 目の前に立たれ、腰が引ける私。

 ちょっと、ええと……

 想定と違う対応されているんで、どうしたらいいか分からん!!


 身長差の関係で私の視線が下がっているにも関わらず、以前と違ってミハエル卿は気にする素振りもなく、柔らかな笑顔で私を見上げてくる。

 そして私の右手をとり、その甲に唇を寄せた。さすがに、触れなかったけど。

「お、お、お招き、ありがとうございます」

 言葉が詰まった! 声も裏返った! 仕方ないじゃん! こんな歓迎、されると思わなかったんだもん!!

 何コレどういう事っ!?

 困って視線を左右へと巡らせる。

 右隣に立っていたツァニスは不思議そうな顔をしていて、左隣に立っていたアレクは笑いを嚙み殺した顔してた。

 ちょっと誰か! サポート入れてや!!

「さぁどうぞ」

 ミハエル卿から直々に、ローテーブルの前にあるソファに先導されたので、導かれるままそこにストンと座る。

 ソファの空いたスペースに、ツァニスが座った。アレクとサミュエルはソファの脇に控え立った。

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