第312話 終わった後は再会が待っていた。

 警部の報告によると。

 他の、人身売買を運営しているヤツらや、客として来ていた何人かは捕まえられたらしい。運営側のヤツらはそのまま罰せられるだろう、という話だったが──

 客として来ていた人間たちは、金持ちや権力者ばかりだったそうだ。

「……この町への寄付や援助をしている者たちも多く。しかも、ただと言い訳されたら……人を買ったのだという確固たる証拠もない為、逮捕する事はできませんでした。厳重注意で釈放しました」

 と、警部と呼ばれた壮年の男性が、悔しそうにしていた。


 ま、だろうな、と思ったよ。

 その日買った人間をすぐ手元に置いていた訳でもないだろうし、言い訳はいくらでも出来てしまう。

 でも、いいよ。

 わずかな猶予期間だよ。

 人身売買の顧客リストに名前があるのなら。

 いづれ、会いに行くよ。

 楽しみに、首洗って待ってろよ。


 ミハエル卿は、人身売買のことは何も知らず、私を助ける為にその場に乗り込んだとしてお咎めなし。

 あの後の彼の行動は見てないので分からなかったが、聞いたところ、すっかり気が抜けたような顔をして、執事に連れられて屋敷へと帰ったそうだ。


 彼とは、また改めて、話をする必要があるな。


 下宿に戻れたのは朝方だった。

 下宿ではミコス夫人が寝ずに待っていてくれた。戻った私を優しく抱きしめて、『無事で良かった』と背中を撫でてくれた。

 ミコス夫人は詳しい事は知らない。

 でも、私が行方知れずになってしまったとは伝えていたそうだ。そして、私が見つかったらしいから迎えに行ってくる、と言伝ことづてしたらしい。

 私が「ご心配おかけしてスミマセンでした」と申し訳なく伝えたら

「もう家族のようなものだもの。心配ぐらいさせて」

 と、彼女は涙ぐみながら、私の手をギュウッと握って笑ってくれた。


 その日は『心と体を休めてくれ』とみんなが気をつかってくれて──特に、マティルダとアレク、そしてベネディクトが周りを警戒してくれるという事なので、その言葉に甘えた。

 ……実は知ってた。アレクとベネディクトが、ここに来てからずっと警戒してくれていた事は。

 だから二人はいつも部屋で、入り口の横と窓の側に張り付いてくれてたんだよね。

 なのでこの部屋にいる時はいつでも安心できていた。言うのは野暮かと思って、言わなかったけれど。

 シャワーで身体中の汚れを落とした後、フカフカなベッドに飛び込んで大の字になり、その寝心地の良さをメチャクチャ堪能する。

 とらえられていた間、まともに寝ることもできなかった。常に周りを警戒していたし、そもそもあんな場所では快眠出来る筈もなく。

 疲れた。

 マジ疲れた。

 本当に疲れまくった。

 私は久々、何の心配もせずに、グッスリと、夢も見ずに、泥のように眠った。


 ***


 おかあさま

 おかあさま


 ──アティだ。アティの声がする。

 ああそうか、やっとアティが夢の中に出てきてくれた。毎日アティの事を思ってたのに、なんでか夢には出てきてくれなかったんだよなぁ。アティのいけず!!

 でも、いいや。

 アティ、やっと夢の中に出てきてくれたんだから。

 ああアティ、私の体にギュッと抱きついてきて……久々、この匂い。頭皮の匂い。嗅ぎたくて嗅ぎたくて堪らなかった幸せの匂い。

 ああ幸せ……ずっと、こうしてたい。

 ずっとこうして……

 ……。

 暑い。

 アティ暑いよ、流石に暑い。アティを抱っこするんなら、いくらでもするけれど……でも、ちょっと、暑いかな。夏だしね。汗が吹き出して来るわ。

 つか、重い。

 重いよアティ。

 ああでもこの重さも久々──


 待て。

 マジで暑いし重いぞ!?

 なんでだ!?


「おかあさま!!」

 耳に届く懐かしく可愛らしい声。

 でも。

 鼓膜破れるかと思った! 耳痛ァ!!


 耳元で叫ばれた声に驚いて目を見開くと、目の前にはプラチナブロンドの髪と菫色ヴァイオレットのクリクリとした大きな瞳が。

「おかあさま! おきて!!」

 つか、近い! 近いよ!! アティは私のほっぺたを両手でギュウッと挟み込み、そして私のデコに自分のデコをグリグリと擦り付けていた。

「アティ!?」

 嘘!? コレ、夢じゃないのッ!?

 夢かもしんないよ! アティの顔が近すぎて、周り見えないし!

 でも、暑い。そして重い。そりゃそうか! だってアティ、私の上半身にベッタリ寝そべってるんだもん!

「おかあさま!!」

 目を開いた私をまんまるの目で見下ろしたアティが、ギュウッと私の首にしがみついてきた。

「あいたかった! あいたかったおかあさま!!」

 そう何度も繰り返して、苦しいほどに抱きついてくるアティ。

 私もその体を優しく抱き返して……

「私も会いたかった。アティ、会いたかった」

 彼女の頭に、ほっぺたを擦り付けた。

 ああ、夢じゃない。

 アティが、目の前にいる。

 久々の柔らかい体。懐かしい匂い。高い体温。心地よい重さ。

 会いたかった。会いたかったアティ。会いたかったアティ!!


 お互いにお互いの体を抱き締め、その久々の感触を体の隅々で堪能する。

 会いたかった。本当に会いたかった。会いた過ぎて夢にまで見たかと思った。

 現実だったけど!!


 アティをしっかりと抱きしめてその存在を確認した後、涙ぐむ歪んだ視界で周りを見る。

 そばには、ニコニコとしたマティルダとニコラ、手巾ハンカチで目元を拭うクロエ、そして──私を冷めた目で見下ろすマギーがいた。

「どうして……アティが、ここに?」

 アティを片手で抱きしめながら、私は上半身を起こす。

 すると、ハァーと多大なため息をワザとらしく吐き出したマギーが

「貴女の身に危険が迫っていると、報告があったからですよ。それを聞いてしまったアティ様が、どうしても貴女に会いたいとガンとして譲らなかったんです。

 貴女何してるんですか。アティ様に何をさせてるんですか。諜報員の意味理解してるんですか。向いてないんじゃないですか。アティ様に心配かけるとか、貴女何様なんですか」

 出会い頭にそう罵倒してきた。

 久しぶりの罵倒だよ! なんだかちょっと嬉しいよ!!

「マギーおこっちゃダメ! おかあさまはいいの!!」

 私の首に抱きついたまま、アティは首を回してマギーにプンスカ怒る。

 マギーはそれを見て、なんだか嬉しそうに眉毛を下げて小さく笑った。

「アティ様に免じて、今回は大目に見ますが。次はありませんからね」

 アティには優しい笑顔を向けながら、私にはそんな釘をブッ刺してくるマギー。

 ああなんか、いつも通りだね! ホントにホントに嬉しいよ!!


 あれ?

 待って。

 アティがいるって事はもしかして──


 私はそれに気づき、部屋の入り口の方へと視線を向ける。いつもならそこに置いてある筈のパーティションがその時だけは横に避けられており、部屋の入り口がよく見えた。

 部屋の扉は開いていて、その向こう──部屋と廊下の境界線の部分に、ツァニスが立っていた。

 私と目が合ったツァニスは、少しだけ口をへの字に歪ませて、それでも部屋の中に入らないようにその場に踏みとどまっていた。

「……どうぞ」

 私がそう声をかけると同時に、足早にこちらへと近寄ってくるツァニス。

 ガバリと腕を広げて抱き締めて来ようとしたので、私は思わず手で制した。

「ダメですよ、ツァニス様。私はもう貴方の妻ではありません」

 私がそう止めた為、彼はベッドの横で腕を広げたままの姿でピタリと止まる。

 物凄く困ったような顔をしてそのまま固まってしまったので

「……友人としてのハグなら、OKです」

 そう、小さく声をかけると、待ってましたと言わんばかりの勢いで、アティごと私を抱き締めてきた。

「無事で良かった。本当に、良かった」

 私の頭を抱きつつ、そう何度も呟くツァニス。

 体を通して振動として伝わる彼の言葉に……今までと変わらぬ愛情を感じた。


 ふと疑問に思って、私は抱き締められた体勢のまま尋ねる。

「私に、怒って……いたのでは、ないですか?」

 ツァニスに男装の事がバレてしまって以来。彼は私を微妙に避けていたように見えた。どこかで話を、と思っていたのに、そのタイミングが上手く取れなかったのはそのせいだ。

 私とアティからゆるゆると体を離したツァニスは、物凄く不思議そうな顔をして私の顔を覗き込んできた。

「怒っていた? 私が? お前に?? 何故だ???」

 知らんがな。いや、私が聞いたんだけど。

 しかし、私の質問の意図が理解できないのか、ツァニスはキョトンとした顔で私の事を見つめるだけ。

 ん? もしかして?

「怒って、いないのですか?」

 おずおずとそう尋ねると、ツァニスは小さく頷いた。

「怒る理由がない」

 あ、そ、そうなんですか。……そうでした??

「私が、その、男装してアレコレしていた事を秘密にしていたから、それで怒ってると思っていたのですが」

 だよね? 怒ってたよね? 私が『私がセルギオスです』って答えたら、ツァニスは無言でその場を去ったよね?

 そして、それ以降、その話題に触れなかったよね?


 私がそう確認すると、ツァニスは少し身を引いて視線を外し、宙を睨んで考え込む。

「怒って……いた、かもしれない。あの瞬間は。……いや、怒りよりショックだったな。『何故黙っていたんだ』と。

 しかしその後よくよく自分の言動を振り返り……そりゃ言えないだろうな、と気がついた」

 そう言ったツァニスが、口許くちもとを手で覆う。そして

の事を崇拝しながらも、目の前にいる人物がまさか本人とは思わず、の子供を欲しがった割に本人を子供を産ませる道具扱いしたのは事実だ。

 しかも、の事を散々持ち上げていたのに、当の本人に躾が必要だと言われて笑って同意したり……

 その……

 は、恥ずかしくなってな……」

 そう小さく語るツァニスの耳が赤くなっている事に気がついた。


 ……ツァニスが照れてる。

 !?

 ツァニスも照れる事あるのッ!? みんながいる前で愛の告白を叫んでも全然平気なツァニスが!?

 照れる事なんて、あんのッ!?

 あんのッ?!

 マジか!!!


 信じられない物を見てしまった気がする。

 私は、自分の口があんぐりと開いている事に気がついた。

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