第298話 使者としての要件を伝えた。

 あーーーーーーーーーー!!

 その顎砕きてェ!!!

 何様なんだコイツ!!! 使者だつっとろーがッ!!!


 私は爪が自分の掌に食い込む程一度手を強く握り締めた後、脳内にアンドレウ夫人を降臨させる。一度目を閉じて、彼女ならどうするかを高速で考えた。

 目を開き、彼の少し紫がかった瞳を覗き込む。触れそうな程近くにある彼の唇に人差し指を添えて、少しだけ押し返した。

「そうです。貴方の兄上──ラエルティオス伯爵は、ツァニス侯爵のその地位を狙っておりますよね? 我々は、その対抗手段が欲しい。その為に貴方に会いに来ました」

 ああああああッ!! ヤツの唇に添えてる手に鳥肌立ってるッ!! アンドレウ夫人! もうちびっと私に力を貸してッ!!!

 腰に回された彼の手をゆっくりほどき、彼の膝の上へと戻す。

 そしてその手を上からポンポンと叩いた。

「しかし、女児専用教育寄宿舎の話も聞きたいのも本当です。

 私はあくまで使者。貴方へは言葉しかお渡しできません。貴方への見返りは、別途用意されておりますよ」

 そうやんわりと告げてから、彼から身体を離した。


 ……ああああああ……背中に鳥肌がッ……鳥肌がっ……!! ヤバイマジで気持ち悪っ……ああヤダ。ああヤダ。私に諜報員って向いてないわっ。少なくとも、ハニートラップの類は私には無理やっ!!

 むりムリ無理無理!! 全身粟立って気持ち悪さMAX!!!


「……ほう? あくまで自分は使者である、と」

 距離を取られて少し気分を害したか。少しだけ目元を引きつらせながら、ミハエル卿は私を顔を少しだけめ上げる。

「そうです」

 なんとか笑顔を保ちながら、私はゆっくりうなずいた。

「……他の女たちと違って、自分にはその知性がある、と?」

 まだ言うか、ソレ。

「まさか。私の周りにいる女性たちは、私より遥かに高い知能をお持ちですよ? 自分が特別だと思った事はございません」

 アンドレウ夫人しかり、マギーしかりクロエしかり、マティルダしかり。私より賢い女性はゴマンとおるわ。むしろ……あれ? 待って。私って、下から数えた方が早いんじゃね??

「また、女性が男性よりも知性に劣るとも思っておりません。

 だからこそ、貴方は女児専用の教育寄宿舎を運営なさっておいでなのでは?」

 女に教育は必要がない、何故なら、頭を使う事をせずにただ子供を産んで育てればいいから、また、教育を受けるに値する頭脳を持っていないからだ。そういう考えが、この世界この時代、まだまだ多い。

 でも、実際はそんな事はない。

 ただ勉強する場に恵まれていないだけだ。学校の門戸が女児に開かれていない事も多いし、そもそも親自身が、息子には教育を施すが娘には必要がないって考えている事もある。


 確かに、今いる女性と男性を比較したら、読み書き計算、歴史やその他の事等、男性の方が優れているだろう。それは、そもそも基本教育を施された女性が少ないからだ。

 それこそ数千人・数万人単位に、同じ環境、同じ勉強を施した時に、平均として女性が男性に劣る事なんて、あり得ない。

 身体的性差はあれど、「知性」という意味においては、性差などありはしない。


「……」

 ミハエル卿は、背もたれに再度背中を預けた後、大げさに溜息をつく。そして、私の向かいに座った彼の友人──コスティへと視線を送った。

 二人は何故か小さく笑い合い、首を横にゆるゆると振った。

「アレは、兄貴から運営を依頼され運営費を出しているだけだ。俺が作ったわけじゃない」

 ……なるほど。運営っていうのも、ただ名前と金を出してるだけって事か。監督もせず、他の誰かに実運営を任せてるのか。

 だから彼は、あの場所で実際に行われている事を、知らない可能性も……ある。

 ──勿論、知っててそのままにしてる、むしろそう仕向けてる可能性も、ゼロじゃない。

「そもそも女児に教育は金の無駄だと、兄には言ってある。どうせどこかへ嫁いで子を産んで終わりだ」

 ああ、コイツもそう考えてる奴らの一人って事か。

「子を産み終えたらみすぼらしく肥え太り、見るも無残になった上に、偉そうに子を支配しふんぞり返る。それしかできない生き物に、教育を施して何になる」

 ……それって、誰か特定の人の事、言ってない? もしかして、お前の、母親の事?

「お前もそうだ。身体しか取り柄がない癖に、勿体ぶって焦らしたあげく、他の条件の良い男にサラリと乗り換える。

 メルクーリの次にカラマンリス。次は何だ? 革新派の兄を蹴落とした事を手土産に、穏健派のアンドレウ公爵に取り入るつもりか?

 たかが、僻地へきちベッサリオン伯爵家の、傷物女が」

 ……今のは聞き捨てならねぇな。

 が。

 耐えろ、耐えろ、耐えろ。

 私には目的がある。

 コイツに取り入り、ツァニスと繋いでラエルティオス伯爵の足元を掬うんだ。もしくはコイツを足掛かりに、伯爵の牙城を崩すキッカケを作る。

 耐えるんだ、耐えるんだ自分。

 耐え──


『貴女はコレを着て背筋を伸ばし、ただ歩けばいいのよ』


 脳裏に蘇る、アンドレウ夫人の声。


『よく見ないと良さが分からない。それが貴女らしいんです。分かる人には分かる。それがいいんです』


 ニコニコしながら刺繍をしてくれた、クロエとニコラの笑顔。


 煮え繰り返った肚の底のマグマが、スッと冷えて落ち着くのを感じた。


 私はスクリと立ち上がり、ミハエル卿を見下ろす。彼はそれを、眉根を寄せて睨め上げた。

「だから座れと──」

 イラついた嗄れ声でそう言い放とうとした彼の言葉を、私は自分の唇に人差し指を当てる事で静止させる。

「貴方が私をどう見下そうと構いません。

 私は私の価値を自分で知ってますので。

 貴方に人を見る目がない事が判ればそれで充分。

 見るべきものを見誤る事しか出来ない事も理解できました。ツァニス侯爵にはそのように伝えます」

 コイツがダメでも他にやりようはいくらでもある。ラエルティオス伯爵に繋がらなかったとしたって、コイツを蹴落とせば、どのみちソコに穴が空き、付け入る隙が出来上がる。

 多少遠回りになれど、ツァニスとアティの安全が確保されたまま出来るのであれば、それでもいい。

 選択肢は少ないけれど、ゼロじゃない。


「ディミトリ、アレを」

 傍に立って控えていたディミトリにそう声を掛けると、彼はジャケットのポケットから一枚のカードを取り出す。

 受け取った私は、そのカードに軽く口付けた。

 真っ赤な唇の跡がつく。そしてそれを、テーブルの上に置いた。

「私が使者なのだとご理解出来るようになったならば、そちらへご連絡を。

 私は暫く、この街に滞在しておりますので」

 紙に書いてあるのは下宿先の住所ではない。近くのカフェバーだ。

 そのカフェバーは、実は毎日通って常連になっておいた。そこへ行けば伝言ぐらいは通してくれる。

「それではご機嫌よう」

 私はワザとミハエル卿に正面に向き合わず、そのまま膝を折って挨拶する。

 あっけに取られたような顔のミハエル卿、そしてその隣のコスティに、視線を送った。

 そしてヒラリと身を翻し、ディミトリを伴ってその場を後にした。


 ***


「塩撒いて塩! あーーーーーー!! 腹立つゥゥゥゥ!!!」

 イイイイイイーーーーー!! 思い出しいかりが収まらん!! ムカつくムカつくムカつくゥゥゥ!!!

「……ああ良かった。実は誰か他の人間がお前の皮を被ったか、もしくは頭打って人格変わったのかと思った」

 そうボソリとこぼしたのは、馬車で隣に座るアレク。

「確かに確かに。毒でも盛られたんかとかな」

 アレクに同意したのは向かいに座るディミトリ。なんでこんな時だけ息ピッタリなんだよ! 仲悪いんちゃうんか!?


 パーティからの帰りの馬車の中。

 私は座りながら地団駄を踏んで、気持ちの荒ぶりを解放していた。

 危なかったわ! 脳内にアンドレウ夫人やクロエの言葉が蘇らなかったら、その場のウィスキーをヤツの顔にぶっかけて、ついでにその場で家族計画終了のお知らせをするぐらい、踏み潰してやってるトコだったわ!! 勿論ヒールでな!!!

 ありがとうアンドレウ夫人、クロエ、ニコラ。あとマギー。

 パーティの中で立ち続けられたのは、ホント彼女らのお陰。ありがたいありがたい。拝んどこ。


「しかし……相手をぶん殴らなかっただけでもセリィにしてはファインプレーではあるが、結構コケにはしてたな。声が聞こえた」

 アレクが少し呆れたような顔をする。

 しかし、ディミトリは緩く首を横に張った。

「……いや、あの顔は……満更でもないな」

 え、あ、そうだった?

「ああいう、人がいる場で踏ん反り返るタイプは、裏で被虐性嗜好を持ってる事も多いんだよな。アイツはそのタイプかも」

 え、マジか。でも

「口では、気の強い女をのがいいって……」

 言ってたよね? 恐ろしく気持ち悪かったけど。

「妄想時点では、な。そうやって妄想の中では普段と同じく虚勢を張るが、実際その場になると、される側になるタイプが多いんだよ」

 ディミトリは、スンとした顔でそう解説してくる。

 ……待って。いま、確実に、よね?

 うわ、そうなんだ。ディミトリの仕事も、マジでホント、大変だったんだな……

 敢えては突っ込まないけれど。


「で? セリィの見立てはどうだ? アイツが真犯人か?」

 アレクが、顎をさすりながら私の顔を覗き込んできてそう問いかける。

 私は、あのムカつく無精ひげヅラを思い出してから、ちょっとウンザリしつつ答える為に口を開いた。

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