第297話 牽制しあってるのにゲンナリした。

 うわぁ。アレクとディミトリ、お互いにお互いが怪しいって言い合ってる。

 何この、お互いに悪口を同じ人間に言い合う感じ。

 もしかして、物凄く仲が悪いの?


 でも。

 アレクにはアレクの思惑があって動いてるの、知ってるよ。

 アレクは私に言われたまんま動く人間じゃない。そんな素直な人間じゃない。

 アレクの中にある何かしらの打算と私からの依頼の利害が一致したから、協力してくれてるに過ぎない。

 私が昔潜り込んだ剣術大会だってそうだ。私がアレに参加したいって言ってアレコレ協力してくれたのは、彼が貴族同士の茶番を壊してさを晴らしたかったって事と、何かと見下されるベッサリオン──そしてセルギオスの汚名を晴らしたかったんだって、知ってたよ。イチイチそんな事、言わないだけで。


 しかも。

 ディミトリ、裏切りの予防線としてあの手この手で来るなぁ。

 私に猜疑心さいぎしんを埋めこんで、私を周りから心理的に遠ざけようとしてるな? で、出来た心の隙に入り込もうとしてるんだ。

 上手いな。そしてこの顔だもんな。大奥様程度じゃ、そりゃ簡単に篭絡ろうらくされるか。


「ご忠告ありがとう」

 私は笑顔でそう伝えて、彼から身体を離した。

 ディミトリは少しだけ拍子抜けしたような顔をする。

「……少しは効けよ、恋愛脳、マジで死んでんのか」

「好みじゃない人間の色仕掛けは効かないねぇ。むしろ、ちょっと、ゾッとする」

「言葉選べよ。傷つくぞ」

「あ、ごめん。ええと。気持ち悪い」

「ダイレクトに残酷だろ」

「えぇ……面倒臭……」

「嘘でも頑張ってる素振りぐらい見せろよ」

 そうそう、この軽口かるぐちのやり取りの方が私には効くよ。

 ホント、頭の回転と態度の変化のさせ方が早いなぁ。諜報員としてはマジ優秀。

 ……裏切らないで欲しいな、ホント。


「さて」

 軽口かるぐち応酬おうしゅうをピタリとやめ、ディミトリがスッと背筋を伸ばす。

「……カエルが池に飛び込んだぞ」

 彼がサラリとそう告げた瞬間、私の背中にも緊張が走った。

 これは合言葉。

 ターゲット──ラエルティオス伯爵の弟、ミハエル卿がここにいて、そして私を呼んでいる、という。


 来た。


 とうとうこの時が。

 ディミトリが、私をエスコートしながらVIP達が多くいるエリアへと導いてくれる。私は歩きながら小さく深呼吸した。

 VIPエリアは二階にある。一階はダンスフロアになっており吹き抜けだ。その壁に這うようにしつえられた各部屋はカーテンで仕切れるようになっており、閉じられたカーテンの奥では何が行われているかなんて分からない。

 こういう場所で見聞きした事は、基本外部には漏らさない。それが暗黙の了解。


 ディミトリに導かれて二階に上がると、いくつか閉じられたカーテンが見える。

 見える範囲の一番奥のカーテンは開いており、隙間から男性とおぼしき肩と、その奥に足が見えた。

「あそこだ」

 ディミトリが小さく私の耳元に囁きかける。

 私はもう一度、深くゆっくりと深呼吸した。


「お連れしました」

 開いたカーテンの手前でディミトリはそう声をかける。そして私から手を離した。

「入れ」

 少し低いしゃがれ声。その声に一歩踏み出し、カーテンの向うへと視線を向ける。

 そこには、コの字状のソファの中央に鷹揚おうような態度で座った男性と、その斜め向かいに座って足を組んで私を上目遣いで見る男がいた。

 ──中央の男が、ミハエル卿か。

 反射的に素早く観察する。

 歳の頃はツァニスよりももっと上──獅子伯よりも更に上かもしれない。タキシードは着ておらず、しかしどう見ても上等そのものといった形の良いスーツを、わざわざ着崩している。わぁ。タイも外して鎖骨まで見えてんぞ。気だるい空気はその無精ヒゲのせいもあるか。

 髪は濃い色だ。黒かブラウンか。白髪がメッシュのように入っている。瞳の色は灯りのせいで分からないが、青系だと思われる。

 少しだけ。ほんの少しだけ、ツァニスに雰囲気が似てる。きっと彼が気だるい方向に歳をとったら、こんな感じになるのかな。

 彼は私を、足元から舐めるように視線を這わせていた。


 その隣にいた男性はツァニスと同じぐらいの年齢か。でも正直、顔から年齢が読めないタイプ。年を取ってそうにも、逆に若そうにも見える。顔のパーツがシンプルなせいだな、これは。こちらもタキシードは着ていない。彼はスーツを着崩さずに、アレクのようなアスコットタイを締めていた。しかし上着は脱いでいる。

 銀ブチの丸眼鏡をかけ、感情の読めない──ディミトリやクロエのような笑顔を顔に貼り付けていた。


「お招きありがとうございます。ベッサリオンが娘、セレーネ・キリアキ・ベッサリオンにございます。今はカラマンリス侯爵のもと、彼の愛娘の家庭教師の任を仰せつかっております」

 本来紹介するのはアレクのような同伴者だが、ここにいるディミトリは同伴者ではない。あくまでアレクの友人という立ち位置だ。なので自分で名乗る。

 スカートの端をつまみ、膝を折って丁寧に頭を下げた。


「……ふ。立ち振る舞いは一丁前か」

 下げた頭に振りかけられたそんな言葉。ちょっとイラッとしたが、それは我慢した。

 なんとか引きつりそうな頬を筋肉で静止させて顔を上げる。

 すると、横に座っていた男がサッと手を中央の男に向けた。

「こちらが、貴女が会いたがっていた、ミハエル・バイロン・ラエルティオス卿です。私はその友人のコスタス。コスティをお呼びください」

 愛称で呼べ、という事は、コイツは貴族じゃないのか?

 まぁいい。

 ターゲットはこっちだ。ミハエル卿。

「ありがとうございます、コスティ」

 私は隣に座る男──コスティにも軽く膝を折った後、ミハエル卿の方へと改めて向き直った。

「噂は既にお聞きだと思います。早速で申し訳ありませんが──」

「座れ」

 話始めようとした言葉を遮り、中央のメッシュ男──ミハエル卿がピシャリと言い放つ。

「いえ、しかし……」

 応接間とかであれば、勧められるがまま座るだろうけれど大概対面でだ。コの字型のソファだと対面で座れない。彼の斜め横に座る事になるが、いきなりそれでは距離的に失礼になる。やんわりと断ろうとして

「いいから座れ。女に見下されて話すような趣味はないのでな」

 その少し低いしゃがれた声で、彼はそう言い下した。

 ……。

 思うところはなくはなかったが、私は大人しく笑顔で彼の斜め横へと腰を下ろした。

 ふと、正面に座るコスティという男と目が合う。彼はヤレヤレといった顔で小さく首を横に振った。言われるがままにしろって事か。

 ディミトリが開かれているカーテンの向うに控えているのが見える。チラリとその顔をうかがい見ると、彼は表情を読まれないようになのか、薄い笑みを貼りつけたままだった。


 今まで、ソファの背もたれに背を預けていたミハエル卿が、上半身を起こして顎をさすりながら、私の顔を改めてジロジロと見る。

 ……なんなんだ、この男は。失礼にも程があるぞ。いくら野山育ちの野獣系令嬢(※自分で言っててちょっと悲しい)といえど、貴族令嬢としての立ち振る舞いは母に叩き込まれてんぞ(物理)。そういう態度が失礼だってのも、知ってるんだからな。

「ふむ。ツァニスも随分と好みが変わったな」

 ミハエル卿は、口の端を持ち上げニヤニヤしながらもそう呟く。

 ……ああ、離婚されても愛人としてカラマンリス邸に居座ってるって噂を聞いたんだな。愛人じゃねーよ。

 離婚後も離れない=愛人(ピコーン)って事か。アホか。アティの為に残ってるんじゃ。アティがいなかったら物理的にツァニスと距離取るわ。じゃないと近すぎて彼について判断も出来なくなるからな。

 まぁ分かるけど。まさか継母だった人間が、離婚後継子の為にその場に残るとか、あんまりないもんね。ここにその実際の例がいますけれどね。


 私は気づかれないレベルで小さく息を吐く。

 そしてミハエル卿の顔を真っすぐに見返してから口を開いた。

「私はツァニス侯爵の愛人ではございません。彼に代わり、そして我がベッサリオンでの参考にもしたく、貴方が行っている女児専用教育寄宿舎の運営についてのお話を聞きに参りました」

 仕事の話をしに来たんじゃ。

 そう言うと、彼は何故か面白そうに笑ってまたソファの背もたれに背中を預けた。

「ほう。つまり、餞別せんべつに、という意味か」

 ……は?

「ツァニスもよく理解している。俺は気の強い女が好きだからな」

 ……え?

「遠慮なく見下して話そうとする女を組み敷き。これほど面白い事はない。なるほど? ツァニスも同じ嗜好を持っていたという事か」

 ……ん? ちょっと待てや。コイツ、もしかして

「私は、ツァニス侯爵から貴方へのプレゼントではありません。使いの者です」

 仕事の話しに来たんだってーの。

「よく言う」

 ミハエル卿はそう鼻で笑い、ガバリと上半身を起こすと、ガッと私の腰に手を回して来た。強引に腰を引き寄せられ、彼の腕の中へと引き込まれる。

 顎に手をかけられ、文字通り吐息がかかる程の距離に顔を寄せられた。

 これはウィスキーの匂いか。

「女を使者に寄越すワケがないだろう。お前は自分をどれだけ高い位置に置いてるんだ。交渉を行う為の頭脳が必要な事を、女がこなせるワケがない。それとも? 自分には他の女にはない特別な知性があるとでも?」

 間近にあるミハエル卿の瞳。彼の目が少し紫がかった青である事が分かる程の距離。

「お前は使者のつもりでも、ツァニスは違う。お前を手土産に、欲しい情報があるんだろう。もしくは──」

 彼は一度そこで言葉を切り、私の顎にかけた指で私の頬をユルリと撫でる。

「兄に対抗する為の力を貸して欲しい、そういう事か」

 そう言うミハエル卿の、少し紫がかった青い瞳が、灯の光を反射して挑戦的に揺らめいていた。

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