第292話 厩務員をしてる彼女が現れた。

 ドンの瞳の色に負けず劣らず鮮烈な赤い髪。ラフな木綿のシャツと乗馬パンツとブーツにスラリとした肢体したいを包んだ、獅子伯の腹違いの妹で、カラマンリス邸の新しい厩務員きゅうむいん──マティルダが、部屋の入り口の所に立ってキョトンとした顔をしていた。

 彼女は首を傾げてパチクリとまばたき。

「ノックしたけど……多分その子が叫んでて聞こえてなかった……? ミコス夫人に部屋まで案内してもらった……」

 何故か突然、自信なさげにボソボソという声で説明するマティルダ。

 あー……そうだったそうだった。彼女は、好きや事や知ってる事を喋る時は立て板に水だけど、そうじゃない時はボソボソ小声で自信なさげに喋るんだよね……

 ドンのあの大声に消されて聞こえなかったのかも。


 マティルダは肩にかけていたリュックをドサッとその辺に置くと、ツカツカと足早に私とドンの方へと近寄ってくる。

 突然知らない人間が現れた為か腰が引けているドンに向かって、マティルダは構わず

「馬を洗う時にも灰を使う事がある。馬には化学成分を使った石けんは怖いし、馬は基本肌が弱い子が多いから。傷の消毒にもいい。ここら辺はレオが貸してくれた本に書いてあったのだけれど、灰や炭に含まれている成分が、汚れの元となっている皮脂ひしや油分を落としてくれるし、目に見えない菌というものを殺してくれるらしい。

 ガス式が増えてきたけれど、まだまだみんなまきを使ってる。ストーブもそうだしオーブンもそう。灰の処分って結構面倒クサイから、言えばそういった商店から貰える事もある。

 幸い、カラマンリス領地も水は豊富そう。町中は下水も完備されてるみたいだし町中に噴水や公共の井戸が沢山ある。公共の井戸や水路があるって事は、キミたちもきっとそれを使って良いはず。もしかしたら嫌がる人もいるかもしれないけれど、その時は人がいない夜を狙うといい。街はガス灯があって夜道も比較的明るいから大丈夫。メルクーリはまだ街燈がいとうがない場所も多くって、その場合にはランプを持参しなければならなくって面倒。その手間がない分、水を汲むのは楽だと思う」

 そうまくし立てた。

 ほらほらほらほらァ! マティルダは人に説明する時こうなるんだよねェ! 知ってた知ってた!

 突然、自分の顔を凝視した女性が、息つく暇なく淡々とマシンガンントークを始めたからか、ドンが目と口をあんぐり開いて固まってる。

 あらかた説明して満足したのか、フゥ、と一息つくマティルダ。

 ドンからの反応がない事に、首を傾げていた。

 いやマティルダ。突然初めましての人にそんなに集中砲火ほうか食らったら、誰でもこうなるよ?


「あ……ええと。後先になってしまいました。この方はマティルダ。私の友人です」

 私は慌ててドンにマティルダを紹介する。

 しかし、私の言葉にマティルダは少し眉根を寄せた。

「違う。セレーネ様は友達じゃない」

 ええっ!? そうなのッ!? そんなショックな事ダイレクトに直接本人いる所で言っちゃう!?

「セレーネ様は雇い主。私はただの使用人」

 ああ、そういう事か。ビックリした……

「マティルダ。違いますよ。もう私は雇用主ではありません。私もカラマンリス邸の一介の使用人に過ぎません」

「でも、立場、違う……セレーネ様は、高貴な、生まれ……」

「生まれで言ったらマティルダだって同じでしょう」

 ただ、認知されていないだけじゃん。先代辺境伯の血筋じゃん。辺境伯やぞ? 公爵とほぼ同じや。爵位で言ったら私より遥かに上じゃ。

「違う……私は、ただの──」

「マティルダ。それは否定したハズですよ」

「……そうだった。ごめん」

 マティルダが自分を卑下ひげしようとしたのを、先んじて止める。以前同じような事を言って否定された事を思い出したのか、マティルダは謝りつつもちょっとだけ嬉しそうな顔をした。そして

「私はマティルダ。よろしく……」

 そう、ポツリと小さく呟いた。


 ああ、とんだ長い紹介になってもーたわ。

「マティルダ。こちらはドン。今、彼は私たちの情報提供者になってもらっています」

 今度はドンの方に手を向けて、マティルダにドンの事を紹介する。

 さっきまで目を白黒させていたドンだったが、私が普通に紹介を続けたので、口をちょっとパクパクとさせつつも、小さく首だけでお辞儀をして──


「……彼? ドン? 女の子なのに、珍しい……あ。カラマンリスではそういうもんなのかな……」

 マティルダがそう首を傾げてボソリをつぶや──


 え?


 え?


 今なんてった??


「マティルダ? ドンは男の──」

 いや、待て。

 自分で否定しようとしてから、その事に気づいて言葉を止める。

 男の子か女の子かなんて、ドンに確認してない。スリという生業なりわいと恰好で、男の子だと思い込んでいたけれど……でも、確かにこの年代の子の性別は判別しにくいし。

 え。

 嘘。

 マジで?


 マティルダは自信がない事についてはあまりハッキリ言わないタイプだし、って事は、彼女なりに何か確証があってそう言ってるのだろうし……

 いや、でも、マティルダの勘違いかもしれないし……


「隠してたんだ……ごめん。私、会話、下手ってよく言われる……」

 私が判断に迷っていると、マティルダはちょっと困った顔をしてドンに頭を下げる。

 ドンの方を見てみると、彼は顔を真っ青にして小刻みに震えていた。

 私が取り敢えず何かフォローを入れねば、と思い口を開こうとして


 ドンに肩を突き飛ばされる。

 一瞬よろめてしまい、倒れないようにと踏ん張った瞬間、彼は私の横をすり抜けて、バタバタという足音をたてて部屋から逃げだしてしまった。


 報酬として用意していた、全てをそのまま床に放置して。


 ***


「ドンに会いたいのですが、居ますか?」

 私は、町の路地裏の奥──まだ夕方で日があるのにも関わらず、全く日の当たらない場所にある、若干じゃっかん崩れかけているあばらの前にいた。

 少し傾いた穴だらけの木製の戸を叩きながら、そう声をかける。

 戸に空いている穴から、いくつもの小さな目がこちらを睨み上げていた。


 ここはドンたちのネグラ。放置された空き家が乱立するスラムの一画いっかく。以前ディミトリに聞いていた場所だ。

 ドンが、持って帰るハズだったパンやオレンジ、お金も靴も石けんも、全部置いて逃げてしまったのでそれを届けに来たのだ。

 私の後ろには、マティルダとサミュエル、そしてニコラがいる。

 マティルダに至っては『またやらかしてしまった』と滅茶苦茶落ち込んでおり、謝りたいから一緒に行く、と言ってくれたので連れて来た。

 サミュエルが、落ち着いてからの方がいいんじゃないか、と言っていたけれども、こういう事は時間が経った方が顔を合わせにくくなるからと、すぐにネグラへとおもむいた。

『タイミングを逃してしまった為にずっと謝る事ができなくなってしまった』

 そんなのよくある話だしね。鉄は熱いうちにタコ殴りたいタイプなんです、ハイ。

 ただそのせいで、まだを確認できていないけれどね。

 まぁそれは後でもできるからいいとして。


 ドンが逃げたって事は、図星だったんだな。

 ドンは……女の子だったんだ。


 それで気づいた。

 ドンを路地裏で追い詰めた時──私が男装している事を明かした時、ドンが不思議な表情をしていた。

 今なら、あの表情の理由が分かる。

 驚き──よりも、安堵あんど。つまり、自分と同じような事をしてる人間がいて、しかもそれが大人だったから、ある意味「自分だけじゃない」って安心したのかもしれない。

 そして。

 ドンが男の子を装っている理由も。

 そうだよね。

 道端の孤児たちストリートチルドレンで女の子……危なくないワケがない。だから、身を守る為に男装してたんだ。

 私が一人で外出する時、男装していた理由と同じって事だ。

 そして。きっと、それだけが理由じゃない。

 女の子である事を隠したい理由──


 ああ……微妙な話だったのに、あんな場で覚悟もしてない時に突っ込まれたら、そりゃ逃げるよね。

 マティルダじゃないけれど、私も誠心誠意謝りたい。

 触れられて欲しくなかった部分に、マティルダも私も、不用意に突っ込んでしまった。本当に、可哀相な事をしてしまった……


「ドン……いないって、言ってる……」

 扉の向こうから、小さな女の子の小さな返答が聞こえる。

 ……いないってって……素直かよ。ドンからそう言えって、言われたね。

 でも「いや、いるやん」とは突っ込めない。


 私は少し深く深呼吸する。

 そして

「ドン、ごめんなさい。アナタの事を詮索せんさくする気はなかったんです。悪気がなければ許されるとも思っていません。許さなくても構いません。ただ、謝らせてください。本当にごめんなさい」

 私はそう真摯しんしに伝えて、深く、頭を下げた。

 マティルダも私と一緒に深々と頭を下げる。

「ごめん。本当にごめん。許されなくても沢山謝る。ごめん」

 マティルダも、何度もそう呟いていた。


 しばらくそうしていたが、向こうからはゴソゴソと何かが動く音がするものの、目立った反応はなかった。

 私はゆっくりと頭を上げて、扉の前にドンに渡す筈だった報酬ほうしゅうが入った紙袋を置く。

「これは仕事の報酬ほうしゅうです。ここに置いておくので、他の人に拾われる前に持って行ってくださいね」

 報酬ほうしゅうは、少し上乗せさせてもらった。せめてものびの印に。

 おそらくもう、彼は私たちの前には現れてくれないだろうから。

 少し待ち、周りに人がいない事を確認してから、私は後ろへと振り返る。

 後ろに控えていたサミュエルが悲しい顔をして、それでも小さく、うなずいた。


 帰ろうと身をひるがえした時

「ドン聞いて! 僕はニコラ! 僕、こんな格好してるけど、男なんだ!!」

 ニコラが扉に向かってそう大声で叫んだ。

 ニコラ!? 突然何をカミングアウトしてるのッ!?

「セレーネ様はね! 好きな恰好してもいいって、言ってくれる人なの! だからドンも好きな恰好していいんだよ!?」

 ああ、そういう事か。私がニコラに伝えた事を、ニコラはドンに伝えようとしてくれてるんだ。ニコラ、本当に優しい子だなぁ。

 ──って、違うよ!? たぶんドンは、好きで少年みたいな恰好してるワケじゃないと思うよ!? 多分だけど!!

「セレーネ様もね! 男の人の格好するんだよ! つい最近知ったんだけど……凄く、凄くカッコイイんだよ!」

 ありがとうニコラ! でも! 今その話!?

「だから──」

「そうじゃねぇよバーーーーーーーーーーーーーーカ!!!」

 ニコラの言葉をさえぎるかのように、扉の向こうから怒鳴り声が聞こえた。

 と、共に、閉められていた扉がバーンと開く。


 そこには、目の周りを真っ赤にらしたドンが立っていた。

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