第288話 好きと言葉にする事を考えた。

「お前──」

 アレクがゆるゆると口を開き

「好き好き言い過ぎなんだよ。愛情表現が露骨過ぎる。子供には良くても大人には──少なくとも、男にはやめとけよ。勘違いさせるぞ」

 と言ってデコピンを食らわせてきた。


 いッたァ!!!

 私がデコを抑えてうずくまると、その頭に声が降って来た。

「ああ、でも、セルもそうだったな。お前ら兄妹、みんなそうだ。気軽に好き好き言う。だからお前ら兄妹、周りから好かれるんだ」

 セル──兄のセルギオスだね。あー、多分だけど、私や妹たちが周りに好き好き言葉にするのは、兄の影響なんだよ。

 兄は気軽に言った。

『僕は好きだよ』

 今なら分かるけれど、あれって、私が周りに怒られベソベソ泣いていた時の、慰めの言葉だった。

 セルギオスのあの言葉のチョイス。あれに本当に救われた。怒ってきた相手も否定しない。怒られた私も否定しない。最高選択だ。

 ……彼、人生何週目だったんだろうか??

 私はそれによって自己肯定感を養われた。だから私も、同じように妹たちに『私は好きだよ』と言うようになった。そして弟妹たちも他人に対して言うようになった。

 セルギオスの良い所が周りに伝搬でんぱんしてってる──セルギオスの人生が、私たちの中に確かに残って生きている。

 それが感じられて、なんだか嬉しかった。


「愛情表現が露骨って、ウザいなって思う事も多かったけれど……」

 ふと、アレクが小さな声でそう呟く。

「お前と周り──特に子供とか見てると、愛情が分かりやすく相手に伝わるし、結構それが、この世界に足りてないんだろうなって、ちょっと、思うようになったわ」

 彼は私の事を見ずに、遠くを見つめていた。

「結構さ、『コレは気持ち悪い』『コレは嫌だ』って否定する言葉ってよく聞くけど、『自分は好きだ』って言葉、実はあんまり聞かないよな。アレってなんでなんだろうな」

 あー、確かに確かに。否定の言葉──悪口系はよく人の口にのぼるのに、『好き』だってうポジティブな言葉は聞く機会があまり多くない気がする。

 ──いや、子供からはよく聞く。でも、大人からは聞かない。だから多分のだろうな。

 それって確かに違和感があるね。


 ただ、言わなくなる理由はなんとなく理解できる。

「……自分の『好き』を公表するのが、怖いんだろうね」

 私はポツリと、そう答えた。それを聞いたからか、アレクが顔に困ったような笑顔を浮かべる。……アレクなら、その気持ちが痛いほど分かるって事だよね。

「好きだって気持ちを人から否定されるって、本当に意味が分からないよね。でも事実、そういう事ってボロボロ沢山ある。私も沢山否定されてきた。

 女の子が剣が好きなのは変だ、馬術を習いたいのも変だ、裁縫や刺繍が嫌いなのは変だ。人形遊びが好きじゃないのは変だ。

 ほっとけよ、って感じだよね。『お前に私の好きは関係ねぇだろ』って。

 でも、ずっと否定され続けるのは流石にキツイ。言うの、怖くなる。

 誰だって否定されたくないもん」

 アレクが、兄が好きだという気持ちを言えなかったのも、きっとそれが理由。

 まだ今のこの時代、この世界、同性を好きであるという事を蛇蝎だかつごとく嫌う人がいる。むしろそれが大多数。

 アレクの気持ちを兄が断るのなら理解できるけれど、完全無関係な人間がその事を否定・批難するのは何故なのだろうか? 意味が分からない。


 勿論、ダメなのだとする事も必要だと思う。例えば小児性愛とかね。

 頭の中だけで思ってるのならそれは害はないけれど、それが行動に移された時点で問題になる。アレは、から。

 大人と子供では立場が違う。大人側が圧倒的有利だ。力関係が均等ではない場合には、周りが協力すべきだとは思うけれど。

 でも……

 両方が分別のある大人なら──同じ力関係である立場であるのなら、他人の『好き』に無関係の人が口を出すべきじゃない。そう思う。


「でも私は好き好き言い続けるよ。私は怖くない。恥ずかしくない。それを否定される筋合いもないし。アレクの事は変わらず好きだよ。言い続けるよ。アティにもニコラにも、ゼノにも、みんなにも言い続ける。

 あ、でも、誤解は招かないように気を付けます、ハイ」

 誤解は面倒くさい。相手によっては、誤解を解く事も出来ないこともあるしねぇ。


「……世の中が、お前ほど単純ならよかったのになァー」

 アレクが溜息のような息を盛大に吐き出しながらそう漏らした。失礼な。単純とは何だ単純とは。シンプルと言って。……同じ意味か。

「ただァ……」

 まるで肩凝りを解消するかのように首を巡らせたアレクが、スッと私に耳を近づけてきた。

「あの男──ディミトリには気を付けろ。お前に報告していない事があるぞ」

 ひそめられた声。その言葉が持つ意味に、私の背筋が張った。

「知らない男と話している姿を町中で目撃した。身なりからしてアイツの仲間じゃない。だから恐らく──」

 アレクからの報告に、私はゆるく首を縦に振った。

「……ま、逃げ道の一つや二つ、用意しておくよね。私ならそうするわ」

 前回の説得で、彼が完全にこっちに寝返ったとは、勿論思ってない。

 彼は今、自分たちが生き残る道を模索している筈だ。

 万が一、私が裏切った時の為に。

 そうじゃなければ生きられない世界を、彼は仲間たちと共に生き延びてきたんだ。

 あのスリの少年と同じ。

 約束された対価が、必ず貰えるのだと思えない。信じられない。


 私は子供にはクッソ甘いけれど、大人には容赦しないよ。

 こっちが真摯しんしに対応して対価を用意していても、それが信じられなくって捨てるのであれば、それまで。

 私はあの春の日、アティを害そうとしたアティの護衛ルーカスを、アティの目の前でも構わず自分で始末をつける事も考えた。彼の首めがけてナイフを投げる寸前だった。

 あの時から、既に覚悟は決まってる。


 あとは、ディミトリがどうするのかを決めるだけ。

 裏切るなら裏切るでも構わない。こちらだってそれも当然考慮してる。

 さぁ、ディミトリは、状況をどう読むのかな?


 私は、このパーティ会場のどこかに潜んで活動しているであろう彼の姿を想像して、少しだけ緊張した。


 ***


「ほ……本当に、いた……」

 玄関先で、真っ赤に燃える炎のような色の瞳をこれでもかと見開いたスリの少年が、口をポカンと開けて玄関先で出迎えた私を凝視していた。


 少し天気の悪い日の午前中、私は下宿先のミコス夫人に呼ばれて玄関先を訪れた。ミコス夫人には「ダチュラを買ってくださいと来た子供がいたら、私を呼んでください。大人だったらアレクを呼んでください」とお願いしていた。

 万が一、我々の諜報活動が他の諜報部隊にバレて、探りを入れられる事を考慮した対応だった。ま、他の諜報部隊の方が一枚上手で、私たちと同じように子供を利用する可能性もあるけれど、それはそん時。どのみち、子供たちからもたらされた情報は裏取りするつもりだし。


「ハイ。いました」

 私は笑って少年の言葉を肯定する。信頼まで一歩前進?

 少年は、少し開いた口をマゴマゴさせつつ、目を泳がせて困っていた。

 あ。そうか。あの約束が果たされない前提でここに来たんだね。だからビックリして対応に困ってるのか。

「お話を聞かせていただきたいのですが……中に入りますか? それとも裏で話をしますか?」

 私が少し身を寄せて玄関に隙間を空けると、途端に身体を小さく跳ねさせる少年。

「ここがいい」

 ああ。やっぱり知らない場所・知らない人の陣地に入るのは怖いよね。分かる分かる。

「分かりました」

 私は笑って頷き、一瞬後ろを振り返る。我々の様子をちょっと離れた所からうかがっていたクロエとニコラ、そしてサミュエルに目配せした。

 玄関の扉を閉じて、玄関先──道路まで伸びる数段の階段の上によっこらせと腰掛ける。

「貴方もどうぞ」

 私は腰掛けた階段をポンポンと叩いた。しかし、少年は目を真ん丸にしたまま動かず、むしろ一歩後ろに下がって階段の手すりに背中を押し付ける。

 ……反応がっ……気の強い猫みたいッ……! 猫に嫌われる猫好きのツボを押さないでいただけますかねっ!?

「そのままでも勿論構いませんよ」

 ニヤけそうになる顔に気合を入れて、なんとか微笑みをキープする。

 少年は、私との距離、階段、周り──と、赤い瞳を巡らせて少し考えていた。ちょっとだけ私との距離を詰め、階段に座ろうとして──

「セレーネ様」

 そんな声とともに玄関の扉が開き、クロエが顔を出したので、少年はビクーンと身体を硬直させ──ついでにちょっと飛び上がり、再度手すりに背中を押し付けた。

 ……ッ。アカン。やめて。これ以上萌えさせないでっ……!

「こちらをどうぞ」

 クロエが差し出してくれたのは、既に三日月型に切り込みを入れてくれたオレンジが乗ったお皿だった。

「ありがとう」

 私がそれを受け通ると、クロエはニコニコとした本当に毒気のない笑顔を少年に向けて

「ごゆっくり」

 という言葉を残して再度玄関の扉を閉めた。


 受け取ったオレンジをむしり、オレンジから一房取った私は、それを少年へと差し出す。受け取らないので、私は一房欠けた方のオレンジを、私と少年の間に置く。そして一房の方の皮を剥いて口にした。

 甘酸っぱくて汁気たっぷりで、本当に美味しいわ、このオレンジ。

「このオレンジは夏に旬を迎えるように品種改良されたものらしいです。美味しいです」

 そう言って少年の顔をチラリと見ると、彼はゴクリと生唾を飲み込んでいた。

 私はオレンジからもう一房もぎ取る。ほらほら。早く食べないと全部食べちゃうぞ。

 私が再度地面にオレンジを置くと、少年は奪うようにオレンジを拾い上げる。そして皮を雑に剥いてかぶりついた。

 果汁を飛ばしながらハグハグとオレンジにむしゃぶりつく少年。

 ……可愛いっ……子供が一生懸命食べる姿って可愛い!


「……それを食べ終わってからでいいので、成果をお聞かせください……」

 私は顔がニヤけないように下唇を噛みしめながら、なんとかやっと、そんな言葉を絞り出した。

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