第277話 春の事を思い出した。(2023/07/01改稿)

 本当に『カラマンリス領視察・アティの為の勉強旅行』なら、アティ本人を連れて来たかった。事前調査なんていらん。行き当たりバッタリも楽しみつつ、キャッキャうふふできたわ。

 あー。アティと旅行したいなぁ。行ったことのない街へ行き、身近にはないものを見て、その庶民の文化や風習を勉強しつつ、見聞を広める旅。美味しいものを食べて、可愛いものや綺麗なものを沢山見て、遊んで、遊んで、遊んで。あー。したすぎるそんな旅。

 アティと離れるとか意味が分からなーい。アティに会いたーい。アティに会いたーい。アティに会いたーい。


「……さっきから、考えてる事が口から呪詛じゅそみたいに駄々漏れてるぞ」

 アレクからのツッコミで、ハタと我に返る。

 そうだった。いかんかん。

 どうしても、アティの事を考えると、そのことばっかりになっちゃう。だってこの一年半、アティとベッタリだったから。アティが傍にいないっていうのが、もう、なんか、体の真ん中にポッカリ穴が空いたみたいで。

 私は一度、深く深呼吸して気を取り直した。


「ところでさ。今まで確認する余裕がなかったから今聞くが、基本的には諜報活動だろ? なんでお子様ニコラと侍女まで連れて来たんだよ」

 ディミトリの言葉に、ニコラの肩が小さく震える。クロエは、今まで微笑みだった笑顔を満面にしてディミトリに向けていた。

「あら? わたくしがご一緒ではご不満でございましょうか?」

 口調は柔らかかったけど、クロエ、殺気がダダ漏れなんすよ……怖いよ。

 私はニコラの肩をそっと抱いて、ディミトリに小さく笑いかけた。

「集めた情報を色々な視点から分析したかったからです。クロエは頭脳明晰です。また、クロエのこの物腰の柔らかさや、サミュエル、そしてニコラの人の中に溶け込める容姿は、諜報活動の武器になります」

 クロエやニコラには戦闘力という意味では、確かにそれは持ってない。でも、それで言ったらサミュエルも同じ。

 クロエ、ニコラ、サミュエルは、私やアレク、ディミトリ、ベネディクトでは出来ない情報収集の仕方ができる。

 ちなみに、突然名前を出したせいか、サミュエルが『俺も!?』と驚いた顔をしていた。サミュエルもだよ。勿論含まれてるわ。

 もしかして、財布代わりに連れてきたと思ってんのかな。そんなワケあるかい。


「……まぁ、それも、あるか」

 ディミトリは、少し眉根を寄せつつも、納得したのか小さくうなずいた。

「僕、人に溶け込めるの?」

 私の言葉に疑問を投げかけてきたのは、私の隣に座るニコラ本人だった。私を見上げながら、小さく首を傾げる。

「そうですよ。むしろ、私やアレク、ディミトリ、ベネディクトもそうですが、目立ち過ぎるんです」

 私は苦笑しながらそう答えた。

「ニコラ、クロエ──サミュエルもそうだが、お前らはカラマンリス領内でも浮かない容姿なんだよ」

 言葉を継いでくれたのはアレクだった。

「??」

 ニコラが不思議そうにアレクへと振り返ったので、アレクは自分の右目を指さす。

「諜報活動に必要なのは、人に記憶されない事なんだが……

 セリィと俺のこの紅玉瞳ルビーアイは、実はこの国ではかなりレアなんだ。目を合わせて話しただけで、下手をしたら覚えられてしまう。

 それを言うとベネディクトもな。ベネディクトのあのかなり色素の薄いアイスブルーの瞳は印象的だ。ま、前髪で隠してるけど。

 ディミトリは、まぁ、言わなくても分かるだろうがあの顔だ。すれ違っただけの人間にすら記憶されてる危険がある」

 そう説明されて、ニコラは私を再度仰ぎ見て、そしてディミトリを見て、横で転がっているベネディクトを見て、そこからクロエ、サミュエル、そして自分のてのひらに順々に視線を落とし、最後、何かに納得したようにその手を握り込んだ。

「人類はどうしても俺を放って置けないんだよな」

「……本当に口を縫い付けてしまいたい」

 ディミトリのナルシスト発言に、笑顔でツッコミを入れたクロエ。相性良さそうに見えるんだけどなぁ……仲悪いなぁ……


 本当にそう。当初は盲点だった。

 危険な旅になりそうだから、少数精鋭で行こうと思ってた。

 でも……マギーから、鋭いツッコミをもらったんだよなぁ。

『諜報活動が聞いて呆れます。これだけ目立つ人たちでどうやって情報収集を? 頭が残念過ぎますね』

 ああ……あの時言われたマギーの言葉が、彼女の嘲笑ちょうしょう侮蔑ぶべつの表情と一緒に脳裏に浮かぶー。

『また、詰めが甘すぎて有用な情報も取り零す可能性があります。細かい部分まで気の回る方を連れて行った方が身のためです。

 というか、それ以外にも、貴女がただけでは旅行中の身の回りがおろそかになります。……諜報活動に集中しながらまともな生活、できますか?』

 そう言われて、ぐうの音も出なかった。

 言われて確かに。諜報活動するってしたって、情報を集約しつつ活動拠点を維持する必要もあるんだよね。外で飛び回る生活をしつつソレもって思うと、できる自信がなかった。


 ちなみに、そんな事言うならマギーが付いてきてよ、とお願いしたら『アティ様に直接関わる事以外には協力しないと言った筈ですよ。何度言わせるんですか。忘れないように額に刻みましょうか?』って、にべもなく断られたね……

 っていうか、マギーといいクロエといい、なんで私に刻みたがるの? ドSだから??


 気を取り直し、私は目の前にいるそれぞれの顔を順番にゆっくり見てから、改めて口を開く。

「この場にいる誰しもが、それぞれにしかできない事があります。今回の作戦、誰が欠けても上手くいかないでしょう。

 お互い協力しながら、やり遂げましょうね」

 私の声が真剣味を帯びた為か、みんな真剣な眼差しで私を見返してきて、そしてコックリと頷いた。


 ***


 あの春の出来事を、私は一生忘れる事はできないだろうな。

 希望、後悔、不安、期待、ありとあらゆる気持ちがないまぜとなった、物凄く複雑な心境になった。

 過去、これほど悩んだ事あっただろうか。いや、ない。たぶん。


 春のあの日──薄紫の花の木の群生地に、ピクニックを兼ねてお花見しに行ったあの日。


 獅子伯が……私の手のひらに唇を寄せてきた。メルクーリでは新郎から新婦へ行う結婚の誓いと同じ行為。

 獅子伯は何も言わなかったけれど、それって、そう、きっと、そういう意味。

 でも、その後の彼の行動は至っていつも通りだった。アレはもしかして自分に妄想だったのではないかと思う程。でも、確かめる勇気もなかった。あるワケない、そんなもん。

 私が意識してしまい微妙に避けてしまった事もあったけれど、メルクーリの別荘を後にするまで、特に彼と二人きりで話す事もなく、そのまま別れる事となった。


 獅子伯が何を思って、あのタイミングであの行動をとったのか。真意は分からない。だってそれまで、獅子伯は私に『離婚しない方がいい』って言っていたのに。言ってたのに。言ってたのにどういう事?!

 でも、それについては考えるのをやめた。

 だって、深掘りしてしまったら──


 それとともに、もう一つ重要な事が。


 ツァニスに、私がセルギオスとして色々していた事がバレてしまった。

 同時に、過去剣術大会で戦ったのも本物のセルギオスではなく、私であった事が知られてしまった。

 私は、ツァニスの『セルギオスはお前だろう』という問いを、肯定した。

 これ以上、秘密にするのは限界だと、とっくに理解していたから。


 あの時の、複雑そうなツァニスの表情が忘れられない。

 彼の問いを肯定した後──


 ツァニスは何も言わず、私に背を向けてその場を後にした。私をその場に残して。


 彼は私を責めなかった。

 しかし。

 逆にそれ以上何も言ってこなくなってしまった。


 なんで騙していたんだ、なんでそれを黙っていたんだ、そう責められた方が数万倍良かったね。

 でも、彼の気持ちも分かるよ。

 信頼していた人間が、致命的な嘘をついていた事を知ったんだ。

 そりゃ怒るよ。

 それに、きっと、悲しくなったんじゃないかな。あれだけ愛してると日々伝えていた人間に、騙されていたんだと知ったんだから。

 限界を超えた感情が湧くと、人はそれを表に出せなくなる事がある。人には、心が壊れないようにリミッターがついてるから。想定以上の激しい感情に襲われた時、人は心を守る為に感情を感じなくなる事がある。ニコラの人格が分離したのだってそれが原因だ。私も、セルギオスが死んだ時そうだった。最初は泣けなかった。

 ツァニスも、そうなのかもしれない。


 理想としていた人間が、実は存在しなかった。

 友達になりたいと思っていた男が、実は存在していなかった。

 自分を剣で二度も負かした人間が、実は女だった。

 愛してると伝えていた人間が、実は嘘をついていた。

 自分は包み隠さず色々伝えていたのに、実は一番肝心な事を信頼していた妻は黙っていた。


 ……ショックじゃないワケがないよね。


 もっと、サッサとバラしてしまった方が良かったのかな。

 こんな深みにハマる前に──いや、でも。私は当初、ツァニスの傍に一年以上もいる事になるとは思わなかった。

 きっと速攻で離縁されるって思っていたから。そう思って好き勝手やってたワケだし。バレる前に別れる事になるって。

 それに。

 ツァニスを傷つけて、自分もこんなにショックを受けるとは思わなかった。

 最初は多分、全然平気だったと思う。彼のプライドを散々ヘシ折ってきたし。

 でも、いつの間にか、そうじゃなくなっていた。

 私の中で、彼はちゃんと『ツァニス』という大切な人になっていたんだなと痛感した。

 ──そこに恋愛感情があるかどうかは、正直、本当にまだ分からない。

 でも、それを度外視どがいししても、ツァニスは大切だった。傷つけたくなかった。

 バカな事を、してしまったなぁ、ホント……


 そして。


 私とツァニスは、離婚した。

 当初の予定通り。

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