本編

第274話 旅立った。(2023/07/01改稿)

 気持ちが良い程の速度で流れゆく景色。

 手前の木々は飛ぶように通り過ぎ、遠くの山々はユルリユルリとその相貌そうぼうを変えていく。

 空は夏の濃い青の中に、ムクムクとした真っ白な雲が。遠くではきっと、緑の匂いを濃くする大きな粒の雨が降っている──そう思わせるような景色の中。

 列車は黒い煙を吐きながら、緑の地面に真っ直ぐに敷かれたレールを上を進んでいく。


 そして私は──


 その列車の一等客室で、両手を上げて座席の前に立ち、目の前に突きつけられた銃口をガン見させられていた。


 なんなの全く。

 ただ列車で移動するだけなのに、なんで列車強盗に遭うワケ? 滅多に乗らないのにどんな確率だよ。

 つか、列車強盗ってそんなに頻発してんの? お約束なの? それとも、私の日頃の行いが悪いだけ? なら、文句は言えねぇな。

 でもさぁ、いきなり人の眼前に拳銃ハンドガンはないよね。一応これでも貴婦人やぞ。結構(端くれ)な貴婦人やぞ。

 しかも、今は男装していない、れっきとした貴婦人(のつもり)やぞ。

 確かに、貴婦人にしては質素なシャツとスカートだとは思うけれど。質はかなり上等やぞ。だから、どっからどう見ても立派なか弱き深窓しんそうの令嬢(当人比)やぞ。

 なのに、そんな清楚可憐な貴婦人に銃口向けちゃいけませんよ、ホント。危ないったらありゃしない。


「早く、金目のモン出せ」

 私に拳銃ハンドガンを突きつけた、顔を布で半分隠した男が、くぐもった声でそう告げる。

 私は両手をあげて震えながら、横に立って私と同じようにしているニコラ──小さな旅のお供に視線を向けた。

 ニコラはブルブルと震えながらも体をひるがえし、荷台の上に手を伸ばす。

 しかし震えた手では上手く荷物を掴む事が出来なかったようで、引っ張り出した荷物が彼の上に落っこちてきた。

「あうっ!」

 小さく悲鳴をあげて、ニコラは落ちてきた荷物の前に頭を抱えてうずくまってしまった。

「クソガキが! 早くしろ!!」

 焦れたように、男がニコラを催促さいそくする。

 しかしニコラは、頭を抱えたまま震えるだけ。

「チッ!」

 男は盛大に舌打ちし、私の目の前の銃口を揺らした。

「お前がやれ」

 男の指示に、私はニコラのように体を震わせる。

「む……無理です……怖くて、動けません……」

 おびえたような声と顔を作り、そう小さく首を横に振った。

「死ぬよりマシだろ! サッサとやれ!!」

 露出した目元をあからさまに歪めて、男は私の額に銃口をくっつけ──


 たので、私はすぐさまその腕を取る。

 リボルバー式のその銃の撃鉄げきてつ部分を左手で押さえ、相手の肘の内側を右手で押し込んだ。


 ガチンッ


「グッ!!!」

 はずみで引かれた引き金により、動いた撃鉄げきてつが私の左手を叩く。つか、はさむ。クッソ痛い!!!

 でも、撃鉄げきてつ弾倉だんそうの間に左手を突っ込んだので、もうこれで弾は撃てない! 痛いけど!! 痛いけど!!!


 相手の右腕を抑えつつ、私は右足を振り上げた。

 こんな事もあろうかと!! 実は私が履いているスカートは、実はスカートに見せかけたキュロットじゃ! たっぷりとしたドレープをかき分けると、しっかりと股下が縫われたズボン型じゃ!! デザインBYニコラじゃ!!!

 そんな私の右足が、見事に相手の股間にクリーンヒット。

「がァッ……!」

 男が思わず前のめりになった瞬間

「クソが。ウゼェんだよ」

 荷物の中から取り出したゴンぶとの本を持ったニコラ──テセウスが、下から思いっきり男の顎を本で打ち上げた。


 折れた歯を飛ばしながら、男は後ろ向きにドサリと倒れた。

 私は、扉から客室の外に少しはみ出した男の身体を、中へと引きり込む。そしてその男の体をひっくり返し、その両腕を後ろから取った。

「テセウス、ベルトを──」

 みなまで言う前に、私の眼前にベルトが突き出された。

 私は思わず苦笑いしながらベルトを受け取り、その男の両手を後ろ手で縛り上げる。

 終わって振り返ると、私と同じようにテセウスは男の足をベルトで固定していた。早っ。

 最後に、男が顔を隠すのに使っていた布で、奴に猿ぐつわを噛ませた。


「あーあ。本が歪んだ。最悪。マギーに借りた本なのに。何言われるか……」

 テセウスが、男を殴った本の端を撫でながら文句を垂れる。

 私は自分の口に人差し指を押し当てて、テセウスに見せた。気づいたテセウスは口をキュッと結び、本を脇にそっと置く。


 開け放たれた客室の扉から、コッソリと頭を出して外をうかがった。

 少し離れた場所から、くぐもった人の声が聞こえてきたが、列車の走行音でよく聞き取れない。

 当然、列車強盗など一人では行わないよな。

 まだ仲間がいるはずだ。

 私の旅のお供はニコラ以外にもいるけど、さっき食堂車へ行くと言っていたから今はいない。

 他は──

「大人しく客室に引っ込んでろ!!」

 廊下の向こうから、さっき縛り上げた男と同じような風貌ふうぼうの男が、私に銃を向けてそう怒鳴りつけてきた。

「あわわ……ごっ……ごめんなさいっ!!」

 私はそう慌てたそぶりで客室へと頭を引っ込める。


 アレも列車強盗の一味だな。

 うーん、どうしたもんか。

 列車の狭い廊下では、拳銃ハンドガンが圧倒的有利だ。廊下には隠れる場所も避ける為の広さもない。近寄る前に撃たれて終わる。

 私は大きなため息をついて、窓の外を見た。

「……オイ、やめろよな。俺、マギーにお前が無茶しないよう見張っとけって釘刺されてんだよ」

 私が何をしようとしたのか気づいたのか、テセウスが首を横にブルブルと振る。

 そこで私はニヤリと笑い

「もう遅いよ」

 私は、撃鉄げきてつに挟まれたせいで血がにじむ左手をヒラヒラと見せつけた。

「じゃあ、テセウスは共犯者ね」

 そう呟くと

「もう、こんなんばっか……」

 テセウスは、ヤレヤレといった顔をして肩をガックリと落とした。


 ***


 列車走行中の猛烈な風にあおられつつ、私は列車の屋根の上をなんとか歩く。

 キュロットのドレープがバタバタと風になびいてバランスが取りにくい! そりゃそうだ! いくらなんでも、走る列車の屋根を歩くとか想定してなかったもん! デザインしてくれたニコラだって、そんな事考慮こうりょしてないわ! 流石に、腰を細く見せる為にしていたコルセットと、妹たち自慢のヒールは脱いだ。そんなん付けたまま走る列車の屋根歩くとか無理だし。


 屋根の上を慎重に歩きながら、現れた強盗の事を考える。

 列車を止めて大々的に荷物や輸送紙幣等をガッツリ奪うのではなく、一等車両の客から金品やらを強奪し、途中で列車を止めて待ち伏せていた仲間たちと合流して、馬車や馬、車で逃走すると思われる。

 噂でよく聞く列車強盗の典型だな。

 おそらく、我々がいた一等寝台車両は占拠せんきょされている。一人で戦うには無理があるので、食堂の方へと行ったハズの仲間の元へと急いだ。

 この列車の車両順は、乗務員車兼重要貨物車両と一等寝台車両が前方にあり、その後ろにサロン車、そして食堂車、その後ろに二等寝台、三等客車、一般貨物車両となってる。一等宿泊客しかサロンは使えず、二等以下の乗客たちは、食堂車より前には入れない。一等寝台にはそもそも切符がないと入れないうえ、一等車両の切符を買えるような人間は、こんな強盗事件は起こさないだろう。

 と、いう事は。

 おそらく食堂車から占拠せんきょし前へと移動、一等寝台車と乗務員車の間を封鎖していると思われる。


 私は食堂車へと辿り着き、上から頑張って首を伸ばし、そっと窓から中の様子をうかがった。


 ──と。

 あ。ビックリ。

 めっちゃ驚いた顔したベネディクト──私のもう一人のお供とバッチリ目が合った。

 なんて素敵なタイミングで目が合うんだ。覗いた場所まで奇跡かよ。

 ベネディクトは目を真ん丸にひん剥いて、数度目をパチパチとしばたかせる。ちょっと視線を外して考えるそぶりをしたのち、再度私を見て、いぶかし気な顔をした。そして、そばに難しい顔をして座っていた仲間──アレクのすそをツイツイと引っ張る。

 ベネディクトの様子にいち早く気づいたのは、彼の隣に座っていたクロエだった。こちらに視線を向けた瞬間、ビックリした顔をしたのち物凄い笑顔になる。……背中から立ち上る殺気が凄かった。ああ、クロエ、怒ってるぅ……

 当初、ベネディクトからの合図を無視していたアレクだったが、ベネディクトに何かを耳打ちされた瞬間、ギッとこちらへと振り返った。

 目が合ったアレクにウィンクを飛ばすと、アレクが眉毛を下げて盛大に呆れた顔をしてくる。

 私は指文字でアレクに問いかける。

『何人?』

 すると、アレクが顔に触る振りをして、答えを返してきた。

『二人。前。後ろ』

 なるほどね。それを受けて、私は更に指で返事をしてから、頭をひっこめた。


 二等寝台車両側へとしがみつき、一度窓から中の様子を伺う。車掌しゃしょうが一人、泡食った様子で食堂車へ続く扉の前で右往左往していた。

 なので私は下へと降りて、外から乗降用の扉をノックする。

 驚き顔の車掌しゃしょうが扉の小さな窓から顔を出したので、口パクで扉を開けるようお願いした。

 一瞬逡巡しゅんじゅんした車掌しゃしょうだったが、恐る恐る扉を開けてくれた。

 そこから中へと飛び込む私。あー怖かった。流石に走る車両の外側にしがみつき続けるのって怖いわ。何度か強風にあおられて、落ちるかと思ったね!

「あのっ……貴女はっ……」

 扉を閉めてくれた車掌しゃしょうがオロオロとしながら問いかけてくる。

 私は左手に巻いていた布をキツく結び直しながら答えた。

「私は一等寝台の乗客です。屋根を伝ってここまで逃げてきました」

「……は……?」

 呆気にとられたような顔の車掌しゃしょう。ま、そりゃそうだよね。普通、そこまでして逃げてこないよね。しかも、パッと見、普通の貴婦人がね。あり得ないよね。普通はね。ははっ。

 しかし私は気にせず問いかけ続ける。

「食堂車への扉の鍵は?」

「屋内扉が向こう側から施錠せじょうされています」

「こっちからは開けられないのですか?」

「開けられますが……開けてもそのすぐそばに強盗がいますし……」

 その言葉を聞きつつ、私は懐から取り出した時計に視線を落とす。

 ──そろそろだ。準備しないと。

「扉の鍵をこっそり開けます。あと、アレ、手前に引くんですよね?」

 そう確認すると、車掌しゃしょうは不思議そうに首をかしげてから、小さく頷いた。


 ヨシ、それが分かれば充分。

「では、サスペンダー、貸していただけますか?」

 私はニッコリと笑い、車掌しゃしょうに手を差し伸べた。

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