第269話 最後の足掻きをされた。

 いーーーーーやーーーーー! ほら来たァ!! やっぱきた範囲攻撃ィーーー! 巻き込んでる巻き込んでる!! 流れ玉クリティカルヒットしたやめてェ!!!

 聞いてられない聞いてられない! なんでこのタイミングで惚気ノロケるのッ!? ヤバい顔がヤバい! 火が出る火が出る! 平常心保ってられない!!


 アワアワして目を泳がせると、みんなの姿が見えた。

 顔を抑えてうつむくアンドレウ公爵、扇子をパタパタさせてニヤニヤ笑うアンドレウ夫人、獅子伯とヴラドはあらぬ方向へと顔を背けていたし、大奥様とクネリス子爵夫妻は、目を真ん丸にしてツァニスを見つめていた。

 だからもーーーーー!! 今違うって! 愛を叫ぶ場面じゃないって! 大奥様を詰めるタイミングでしょう!? なんで!? もう! ホント……もう!!!


 立ち上がったツァニスは、再度大奥様とクネリス子爵夫妻の方へと向き直る。

 しかし、私の手は離してくれなかった。

「お分かりいただけたか母上。セレーネは、もはやなくてはならない存在なのです。カラマンリス侯爵家にとっても、私にとっても、そして、アティにとっても。

 私とセレーネは確かに離婚しようとしておりますが、それは書類上だけの事です。セレーネの命を守る為に。

 だから離婚したとしても、私は別の女性を妻を迎えるつもりはない。セレーネ以外、誰も私の妻にはなりえない」

 うっそ!? この空気のまま話続けんの!? しかもついでの他の惚気のろけも追加したね!? マジで!? どういう神経!? いや、知ってた! ツァニスは、みんなの前で愛を叫んでも、恥ずかしくないんだよね! 知ってた!!

 なんでツァニスはこうなの……まったくもう。


「それに。お忘れか、母上」

 惚気ノロケていたツァニスの声音が急に変わった。

 突然、その声には怒気がはらむ。

「貴女は以前、アティを誘拐させセレーネを陥れようとした。私はそれを許してはいない。……ついぞ、アティ、そしてセレーネへの謝罪はありませんでしたね。

 自省し心を入れ替え協力してくれるどころか、再度セレーネを排斥しようとなさるとは……我が母ながら……恥ずかしい」

 心底ガッカリした、そんな声。

 そういえばそうだったね。大奥様は、前回自分がしでかした事の酷さを忘れてる。

 私に対してならまだしも、アティにトラウマを植え付けた罪を、恐らくツァニスは一生許さない。ただ、今は侯爵家の危機。

 だからツァニスは自分の感情を飲み込んで、大奥様に協力を依頼したのに。

 でも、大奥様は謝罪する事もなく、まるで何もなかったかのように、今まで通りカラマンリス侯爵家の主人として、好き勝手に振る舞っただけ。


 ツァニスの一縷いちるの望みは、あえなく潰されてしまった。


 大きくゆっくりとした溜息を一つ吐き出したツァニスは、鋭く息を吸うと、毅然とした視線を大奥様とクネリス夫妻へと向けた。

「もう、貴女がたには期待しない。

 母上、貴女はカラマンリスの保養地で世俗せぞくから離れ、ゆるりとお過ごしください」

 うわ! ここで引導渡しちゃった! ごゆるりと、と言いつつ、つまりは隠居し表に出てくんな金輪際って事だ。大奥様の実家に戻る事も許さず、実質島流し。あれ? 島じゃない時は何ていうんだ?

「クネリス子爵夫妻、遠くまでご足労ありがとうございました。時おりアティより手紙を送らせますので、それを楽しみにお待ちください」

 相手に有無を合わせない鋭さで、そう言い捨てるツァニス。

 しかし、そう言う彼の手が、少し震えていた事を感じた。私は手を握り返す。


 ツァニスの容赦ない言葉に、大奥様もクネリス子爵夫妻も、その場に言葉なく立ち尽くしていた。

 誰も何も言葉を発せられないのだろうな。

 特に、大奥様とクネリス子爵夫妻は。

 何を言ってももう藪蛇やぶへびになりそうだし。


 これでもう決着か。

 そう思った時だった。


「おかあさまー」

 そんな、鈴を転がすような天使の声が。そんな声の持ち主一人しかいない! アティ!!

 声に振り返ると、談話室の入り口の所に立つ獅子伯の足元に、アティが興奮した様子で立っていた。

 ああダメだよアティ! 今来たら──

「アティ!!」

 そんな歓喜の声をあげたのは、大奥様とクネリス子爵夫妻。天からの蜘蛛の糸とでも思ったのか。嬉しそうな声をあげて顔を崩し、その場にしゃがみこんで腕を広げた。

「いらっしゃいアティ!」

 満面の笑みでアティを迎え入れようとする三人。


 アティの後ろから、慌ててその身体を抱き上げようとしたサミュエルの腕から逃れるように、パタパタと走って部屋の中に入ってくるアティ。

 しかし、向かった先は大奥様たちの所ではなく、私の足元だった。

 私の足元にバフッと抱き着くと、その菫色ヴァイオレットの瞳でキュルンと私を見上げてきた。

「あのね、ルーカスがね、ずっとないてるの。アレクがメッってしたからかな。アレクが、つぎはくまのえさだっていってた。くまのえさだってどういういみ? アレクがちょっとこわいの。ルーカスいじめちゃダメっていったら、いじめてないって。ルーカスもいじめられてないって。でもルーカスないてるの。どうしたらいいのかな?」

 矢継ぎ早に早口で捲し立てるアティ。

 ああ、そうか。別室でアレクがルーカスを詰めてたんだな。それをアティは見たのか。熊の餌って……次は殺すぞって、意味だよアティ──って、聞かなくていいよそんな言葉!

 私はその場に膝をついてアティと視線を合わせる。

「アティ、ルーカスはちょっと失敗してしまったんですよ。ルーカスは落ち込んでいたんです。それをアレクが──ええと、励ましていたんです」

「はげます?」

「ええと、頑張れって元気づけていたんです」

「そっか! じゃあアティもルーカスに、つぎはくまのえさだっていってくる!」

 ああ違うアティ! それは本当は励ましの言葉じゃないんだ!! 笑顔でそんなこと言われたら怖いわ!!

「いえ、アティはそれは言わなくていいんですよ。アティは、ルーカスに元気になってねって、声をかけるだけで充分です」

「そうなの?」

「はい」

 あっぶね。危うく変な言葉をアティに教えるところだった。気を付けよう。


「アティ!」

 我々がそんなやり取りをしていたところ、横やりを入れるかのように叫ぶ大奥様。

 呼ばれて、キョトンとした顔で大奥様やクネリス夫妻の方を見るアティ。

 ここでアティを懐柔かいじゅうしようって魂胆こんたんか。そうはさせねぇぞ。

 私は立ち上がって、近寄ってきたサミュエルへと目配せする。そしてアティの身体をサミュエルに預けた。

「アティ、そろそろお夕飯のお時間ですから──」

「アティ! アティはお祖母ばあ様の事、好きよね!? そばにいて欲しいわよね!?」

 私が言い切る前に、その前に言葉をねじ込んでくる大奥様。クネリス夫人もコクコクとうなずいている。

 ああもう! なんでそう子供に誘導尋問的な聞き方をするんだよ! そんな風に言われたら、例えそうじゃないとしてもアティなら──

「ううん」

 アティは首をプルプル横に振って一刀両断した。

 アティ! マジか!? 凄いな!!


 呆気にとられた顔をする大奥様とクネリス子爵夫妻。

 まさか、ここでアティに否定されるとは思わなかったんだろうな。うん、私もだよ……アティ、思った以上にちゃんとハッキリ意思を伝えられるようになったねぇ……凄いわ、マジで。

「好き……よね? そばに……いて……欲しいわよ、ね?」

 大奥様は、それでも往生際悪く言い募る。卑屈な笑みを顔に浮かべて。

 それでもアティは首を横に振った。

「ううん」

 再度同じ言葉を放つアティ。アティ強い! ここで拒否できるって! 素晴らしいよアティ! 素直って素敵よっ!!

「アティ、おばあさま、すきじゃない。そばにいなくていい。だって、おばあさま、おかあさまにイジワルするもん」

 !? マジかアティ! ヤバいな。できるだけそんな姿を見せないようにってしてたんだけど……端々はしばしで大奥様が私を無視したり、嫌な言い回しをしていたりするのを、見て気づいたのか……嫌だなぁ。アティに、私がイジワルされている姿を見せてしまった。しくじった……


「違うわアティ!!」

 アティの拒否に、大奥様はヒステリックにそう叫ぶ。般若の形相で首を横に激しく振った為か、髪型が崩れ、文字通り髪を振り乱していた。

 その声に、アティは身体をビクリと震わせる。そして、私の足の後ろに隠れて、スカートをギュっと握り締めた。

 しかし、そんなアティの様子に大奥様は気づかないよう。

「貴女の為だったの! 仕方がなかったのよ! だってその人は本当の母親じゃないんだもの! アティに本物の愛情が注げない、アティに怪我をさせるような女なのよ!? そんな人には厳しくする必要があるのよ!!

 私は血の繋がった祖母なの! 可愛い孫娘の為になら鬼にもなるわ!?」

 焦点の合わない目をカッと見開き、泡を飛ばしてそう叫ぶ大奥様。その様子は完全に『般若』。

 その様子に、周りにいた他の大人たちも身をすくませて動けなくなっていた。

「アティは分からないかもしれないけれど、その人とアティは血が繋がっていないの! アティを捨てようとしてるのよッ!? 私は、そんな可哀相なアティの為にしてあげてるのよ!!!」

 まるで悲鳴のような大奥様の声。その言葉が、私の胸に刺さる。

『アティを捨てようとしている』

 これは、私が離婚しようとしてるからだ。大奥様、自分で私を離婚するようにも仕向けているクセに、離婚したらしたで、私が『アティを捨てた』と吹き込む気だな。

 私はアティを捨てる気なんて毛頭ない。毛頭ないけれど……


 アティから見たら、それは確かに事実として映ってしまう可能性がある。例え裏にどんな真意が隠れていたとしても、アティにはそれは分からない。

 私が思わず息をのんでしまった時だった。


「アティ、かわいそうじゃないよ。アティ、しってるもん」

 そんな、サラリとした声が、私の足元から放たれた。

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