第270話 引導が渡された。

 アティの、毅然きぜんとした声。

 私の足にガッチリ掴まりつつも、半身を出して大奥様の方へと顔を向けていた。


「アティ、しってる。おかあさま、アティのこと、うんだおかあさまじゃない。

 アティをうんでくれたのは、アウラかあさま。しってるよ」

 そう言ってから、アティはクネリス子爵夫妻の方へと視線を向けた。

「アウラかあさま。アティににてるの。おかあさまがね、おしえてくれたよ。おしゃしんみせてくれた。これがアティをうんでくれたおかあさまだよって」

 アティは、私の顔を一度見上げてニッコリと微笑んでから、再度クネリス子爵と大奥様の方へと顔を向けた。

「アウラかあさま、アティのことだいすきだったんだよ。おかあさまがおしえてくれたの。おうたもうたってくれたんだよって。だからアティ、アウラかあさまのうた、おぼえてるんだよって。

 アティ、アウラかあさまのこともすき」

 アティがニコニコした顔でクネリス子爵夫妻にそう伝えると、彼らはまるで腰が抜けたかのようにその場にへたりこんだ。

 その顔は、まるで憑き物が落ちたかのようだった。


 実は。

 図書室でアウラの写真をみつけてから、都度都度アティにその写真を見せて、アウラの事を伝えていた。他にも、ツァニスが奥へとしまって封印してしまっていた写真を出してきてもらって、全部見せていた。そして、マギーや他の人からも色々とアウラの事を聞いて、それをアティに伝えていた。

 だって、アウラはアティを命懸けで産んでくれた。なのに、アティが覚えてないとか、切ないじゃん。だから私は、可能な限りアティにアウラの事を伝えた。

 そして──その時、私はアティを産んでない、産んだのはアウラだったんだよ、と一緒に伝えていた。

 アティは、私が本当の母親ではない事はとっくに知っていた。血が繋がっていないという事を本質的には理解していないかもしれないけれど。

 それでもアティは、アウラと私の事を、小さいながら自分なりに整理し消化してくれていた。

「でも、おかあさまのほうがすきなの。おかあさまは、アティのことをうんだおかあさまじゃないけど、アティ、おかあさま、すきなの。

 おかあさまも、アティがすきなの。いつもいってくれるもん。だいすきだよって。アティをうんでないけど、だいすきだよって。はなれることになっても、ずっとだいすきだよって」

 そう言って、アティが私の足にぎゅうっと抱き着き、グリグリと頭をすりつけてきた。思わず私はしゃがみ込んでアティの身体を抱き締める。

 そしてアティの頭に自分の頬をすりつけた。

 キャッキャと喜びの声をあげるアティ。ヤバい、泣きそう……


「そ……そんなの、偽物よ……本物じゃないの……本物じゃないのよ……」

 それでも言い募って来る大奥様。その言葉を聞いたアティは、私から少し身体を離してキョトンとした顔を大奥様に向けた。

「ほんものって、なぁに?」

 アティがその言葉を放った瞬間、その場にいた全員が息を呑んだ。

 物凄い哲学的な質問をぶちこんできたねアティ! 思わず涙が引っ込んだよ!!

 問われた大奥様は、目を真ん丸にして口をパクパクしていた。

「ほ……ほんものっていうのは……」

 なんとか絞り出したかのようなかすれた声で、そう漏らす大奥様。

「血が繋がった親からの……」

 しどろもどろになりながらも、なんとか言葉を続ける。

 しかし

「じゃあアティ、ほんもの、いらない」

 そう、バッサリとアティは言い切った。

「アティはおかあさますきなの。それでいいの。ほかのはいらない」

 ちょっと頬っぺたを膨らませたアティは、毅然として大奥様にそう伝えた。

 が、瞬間、何かを思い出したかのような顔をする。

 そして

「いりません。でも、きもちはうれしいです。ありがとうございます!」

 そう、しっかりと言い直した。

 アティ、それ、私がプレゼントのアレコレがあった時に教えた言葉じゃん……

 引っ込んでた涙が……いかん! 吹き出す!!

 私は慌てて、アティの肩に自分の顔を押し付けた。アティに、見られないように。


 するとアティは、私の背中をサスサスとさする。

「だいじょうだよ、おかあさま。だいじょうぶ」

 ……まるで、なんか、自分に慰められてるかのようなアティの言葉だな。


 確かに、確かに私とアティは血が繋がってない。

 でも。

 しっかりと、私からアティへと伝えられたものがある事を感じた。言葉にならない感情が、胸の奥からジンワリと広がっていく。


「……良い所を、アティに全て持って行かれてしまったな」

 そう、ポツリと呟かれた声が聞こえた。ツァニスだ。

「まぁ、お聞きいただけたと思いますが、血が繋がっていようとなかろうと、それがではなかろうと、私やアティは気にしておりません」

 その言葉と共に、私の背中に温かく大きな手が添えられた。

「貴女がたの心配は杞憂きゆうです。

 そろそろ夕餉ゆうげの時間ですのでこれで。それでは──ごきげんよう」

 そう、ピシャリと言い捨てるツァニス。

 そして

「ごきげんよう」

 少したどたどしいコロコロとした可愛い声──アティが、トドメを刺した。


 なんとか涙を我慢して少し顔を上げると、ガックリと項垂れた大奥様と、その場にほうけたままのクネリス子爵夫妻の姿が目に入った。

 その姿はまさに、茫然ぼうぜん自失じしつ


 ……今回、本当の引導を渡したのは、アティだったな。

 私より強力な武器を持ってるわ、アティ。


 なんか。

 これからの事とか、まだまだ考えなきゃいけない事が沢山あって、先が見えなくて色々不安だったけれど。


 きっと大丈夫。

 なんだかそう自然と思えて、目の前がパァッと明るくなった気がした。


 ***


「ふおぉぉぉぉぉ!!」

「ふあぁぁぁぁぁ……」

 綺麗にハモった感嘆の声が聞こえる。エリックとアティだ。

 薄紫の可憐な花弁を無数に広げた木々の間、そこに立って見上げる二人は、体を震わせて興奮していた。


 薄紫の花の木が満開となり、アンドレウ公爵一家、メルクーリ伯爵一家、そして我がカラマンリス侯爵一家で、群生地へとピクニックへと来た。

 そこに広がる光景は圧巻そのもの。

 小高い丘の上から辺りを見下ろせたが、そこにあるのは見渡す限り薄紫の花の洪水。風で時々花びらが舞い花吹雪となり、より幻想的な光景になっていた。

 空は真っ青な晴天で、木々を下から見上げた時は、空の青に薄紫が映えて、これがまた盛観だった。


 マギーやサミュエルを始めとした家人たちが、シートを広げてランチの準備をしてくれている。私はマティルダたちと一緒に、ここまで乗ってきた馬の世話をしていた。

 アンドレウ公爵と獅子伯、そしてツァニスは三人で並んで何かの話をしている。アンドレウ夫人は日傘を差して、この圧巻の光景をニコニコと眺めていた。

 そして子供たちは──

 エリックとアティは、ガッチリ手を繋いで雄叫びを上げながら木々の間を走り回っている。その後ろを、イリアスとゼノ、そしてニコラが慌てて追いかけていた。

 ベネディクトに抱っこされたベルナは、垂れ下がる枝に手を伸ばして、花を掴もうとしている。

 少し離れた場所には、アレクとルーカス、そして他の護衛たちが念の為辺りを警戒してくれていた。


 ちなみに、大奥様とクネリス子爵夫妻はいない。あの日の翌日、逃げるように帰って行った。大奥様はひとまず、今まで過ごしていたカラマンリスの別宅へと戻って行ったけど──そのうち、僻地の別宅に突っ込まれるだろうな。それで本当に大人しく……なるかなぁ。微妙だよね。まぁ、下手な事してくれなきゃソレでいい。


「なんだコレなんだコレなんだコレェー!!」

 大興奮したエリックが、アティの手を引っ張って走り回──あ、コケた。上ばっか見ながら走るからァ。アティを巻き添えにして全くもう。あ、ホラ、アティ怒ってる。ゼノとニコラがなだめてくれたね。イリアスがメッチャ笑顔でエリックの汚れた服をハタいてくれてる。嬉しそうだなぁ、本当に。

 そういえば、エリックもアティも、転んだぐらいじゃ泣かないね。強い子たちだなぁ。


「これほど喜んで貰えるとは。招待した甲斐があったというものだな」

 獅子伯が、そんなエリックたちの様子を見ながら豪快に笑う。

 私もそう思う。凄く危険な賭けだったけれど、連れて来て本当に良かった。この光景が見せられたんだもん。この為に頑張った甲斐があったと、心底思えた。


 ここまで、本当に大変だった。

 アレコレあった。本当に。

 心を微塵みじんにされるかと思うような事もあったし、物理的に怪我もした。

 間者の掃討そうとうとこちらへの引き入れ。特に、こちらへの引き入れには、ツァニスもマギーもサミュエルも難色を示していたな。危険過ぎると。それは勿論分かっていたけれど……

 毒までも食らわないと生き延びられない状況なのだと説得した。

 後押ししてくれたのは、獅子伯とアンドレウ公爵だった。

 彼らも実のところ、身体の中に蠱毒こどくを飼う身。

 今後のやり方は、二人から指南を受ける予定だ。勿論、公開できない情報は教えて貰えないだろうけれど、それで充分。

 今は、兎に角ツァニスとアティが生き残る道を探すので精一杯だから。


 最悪の場合──全部を私が始末して、表舞台から姿を消す。ちゃんと全部事故に見せかけて、ツァニスやアティ、そして実家にも迷惑をかけない形を装って。

 皆は、私の傍若無人さに振り回されただけの体裁をとってもらう。

 そうすれば、私だけが希代きだいの悪女・悪妻として吊し上げられるだけだ。


 なってやろうじゃん、希代きだいの悪女・悪妻によ。

 それが、本来の『悪役令嬢の継母』の立ち位置だろ?


 この光景を守る為だもん。

 それぐらいはやってやるよ。


 私は、ワチャワチャはしゃぐ子供たちの姿を、妙に凪いだ気持ちを抱えたまま、じっと目で追った。

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