第268話 追い詰めてやった。

 ね。気づいていたよね。

 それで大奥様は使用人を叱責しっせきしていたしね。

 なんのかんのと他の使用人に言い訳されて、無理矢理納得していたな? 都合悪いもんな。メルクーリ領に来た途端、使用人が減ったとか。逃げられたとでも思ってたのかな? そうだね。使用人が他領地に逃亡とか、結構ある話だもんね。


「そんな、バカな……我々の使用人たちの中に、ラエルティオス伯爵の間者が……? カラマンリス侯爵夫人ならいざ知らず、何故我々の所に……?」

 クネリス子爵が困惑した顔をする。ああ、そうだよね。クネリス子爵はカラマンリス領ではないもんね。

 どうでもいいけど、なんでコイツら、ずっと大奥様を『カラマンリス侯爵夫人』って呼ぶんだろう。『カラマンリス侯爵夫人』は私じゃ。大奥様は『前侯爵夫人』。ま、大奥様が喜ぶから、そう呼んでいたんだろうな。


 私は一つ小さくため息を漏らし、クネリス子爵、そしてその妻を見た。

「貴方がたが、アティの祖父母だからですよ。貴方がたを懐柔かいじゅうし、アティを引き取らせようとしていたんです」

 そう伝えると、二人は驚いた顔をする。

「え……そ、それを……どうして?」

 知ってたかって? 色んな状況を想定していたら、そんな事もあるだろうなって、思ってただけだよ。カマかけただけ。

 しかし、そうか。やっぱりか。まったく。

「知っていたワケではありません。クネリス子爵夫妻の行動を見て、そうしようとしてるんだろうな、と思っただけです。そして、その背後に何かの意図を感じ取りました。

 貴方がたがアティを引き取れば、アティとエリック様の婚約は解消される。

 ラエルティオス伯爵は、予想外に近寄りすぎたアンドレウ公爵家とカラマンリス侯爵家の間に、それによって溝を作ろうとしていたんでしょうね。もしかしたら、仲違いまで狙っていたかもしれません」


 当初、エリックとアティの婚約を画策したのは、たぶんラエルティオス伯爵家だと思う。ただ、途中で事情が変わったんだろうな。本来、政略的にしか繋がりがなかったハズのアンドレウ公爵家とカラマンリス侯爵家が、家族ぐるみで付き合うようになってきた。夏の別荘に一緒に行ったり、妻同士が冬のリゾートへ行ったり。

 必要以上に近づきすぎてしまった事を懸念して、今度は離れさせようと考えたんだろう。たぶん。

 そして、そんなラエルティオス伯爵の思惑に、クネリス子爵夫妻はまんまと乗せられた。おそらく、間者かんじゃである使用人たちから色々吹き込まれたんだろうな。本人たちが気づかないぐらい、少しずつ、少しずつ。


「……待ってください。じゃあ、私たちがここに呼ばれたのは、その為だけ? 協力して欲しい、という言葉は、嘘だったという事でしょうか? そんな、我々を騙すような事を……何故……」

 クネリス子爵が、顔を真っ青にしたまま、そうポツリと呟く。私に向かってではなく、隣に立つツァニスに向かって。まるで、責めているような口調。ムカつく。なんだアレ。なんでお前らが被害者ヅラしてんだよ。

 私は隣に立つツァニスの手に、そっと自分のを添え──掴まれた痛い! 強いよツァニス! 大丈夫だよ落ち着いて!!

「ツァニス様はあなた方を騙しておりません。我々は本当に、大奥様や貴方がたに助力をうたんですよ。間者かんじゃの件は一石二鳥を狙っただけに過ぎません。

 でも、ここ来て、貴方がたは、何か協力してくれました? 何か案をくださいました? 何か、して、くれましたか?」

 アティに取り入ろうとしたり、私を蹴落とそうとしたり、そればっかだったじゃねぇか。来てから随分時間が経ったけど、彼らがツァニスの為に何か動いてくれたりしたのを、見なかったぞ。ツァニスから話を色々持って行ったハズだぞ? それに応えてくれたか?


「し……しかし、アンドレウ公爵やメルクーリ伯爵がいる中で、我々がでしゃばるのは……」

 しどろもどろになっているクネリス子爵。ああ、そうか。巨大権力の二家がいたから、自分たちが動く必要はないって思ったと? ……本当に、まったく。

 なんで自分たちが呼ばれたのか、考えればすぐわかるじゃん。

「アンドレウ公爵家とメルクーリ伯爵家にはご協力いただけますが、領地間問題に発展しかねない為、表立って動けません。ツァニス様の直接的な関係者たちが、率先して動く必要があったんです」

 むしろ、この二家は巨大すぎておいそれと動けないんだよ。

「ツァニス様は、大奥様、そしてクネリス子爵の協力を、本当に期待していたんですよ。自分と個人的な繋がりがあるのは、あなた方しかいないって。

 ……残念です」

 アティが怪我をした時に、私を責め立てた大奥様とクネリス夫人。一人でも多く味方が欲しくて助けを求めた人たちは、自分の妻を蹴落とそうと必死になっていた。

 あの後、ツァニスは本当に絶望した顔をしていたな。


 クネリス子爵は、完全に黙り込んでしまった。クネリス夫人も、大奥様の肩を抱いたままうつむいて動かない。

 談話室に、重苦しい空気が立ち込める。

「……いえ、そんなことはないわ……大丈夫なのよツァニス……」

 そんな空気を破ったのは、そんな声だった。

 大奥様か。自分が耽溺たんできしていた使用人に騙されたショックから、やっと立ち直ったか? しかし、何が大丈夫なのやら。

「ツァニス、貴方は気づいていないだけなのよ。ツァニスと個人的な繋がりがあるのは、私たちだけではないのよ。

 アンドレウ公爵、メルクーリ伯爵、あの方々がこうやってわざわざここまで足を運んできてくださったという事は、つまり、そういう事なのよ」

 大奥様がそう言って顔を上げたが……ちょっと、あれ? 瞳孔、開いてない? 焦点が、合ってないように見えるけど、大丈夫か?


「大丈夫よ。アンドレウ公爵とメルクーリ伯爵が、なんとかしてくださるわ。

 貴方の人徳なのよ。我々、カラマンリス侯爵家の、人徳なのよ。

 そうですわよね? アンドレウ公爵様」

 まるで、何かにすがるかのような表情で、ソファに座るアンドレウ公爵夫妻を見る大奥様。その顔には、一縷いちるの望みを見出し、少しずつ湧き起るかのような笑みを張り付けていた。怖ッ。


 問われたアンドレウ公爵は、少し眉毛を下げて我々を一瞥いちべつし、そしてアンドレウ夫人の方へと振り返った。

 視線を向けられたアンドレウ夫人は、パタパタさせていた扇子の動きを止め、口元を覆い隠す。そして大奥様を、その妖艶な流し目でチラリと見た。


「……あら嫌だわ。勘違いもはなはだしい」

 侮蔑ぶべつのような軽蔑けいべつのような、そんな色をにじませた声で、そう鼻で笑い飛ばすアンドレウ夫人。

「は……?」

 アンドレウ夫人の言葉に、大奥様の目の焦点が夫人に合う。

 彼女の目が自分を確かに捉えた事を確認したのか、アンドレウ夫人はチラリと私を一瞥いちべつしてから、一つウィンクをバチコンと送って来た。予想外のタイミング過ぎてちょっとドキッとした!!!

「我々が個人的に繋がりがあるのは、ツァニス様ではないわ。

 前侯爵夫人が追い出そうと躍起になっていたセレーネよ。私がセレーネと友達なの。

 もし、セレーネが侯爵家から去ってしまうのであれば、私たちは協力する事はないでしょうね。だって友達がそこにいないんですもの」

 アンドレウ夫人がそう言い放った瞬間、大奥様の顔色が完全に真っ白になる。


 そしてそこに

「メルクーリ伯爵家もだ」

 そう言って会話に割って入ってきたのは、獅子伯だった。後ろに、ヴラドさんなどを引き連れて、談話室の入り口の所に立っていた。

「俺が協力しているのは、セレーネ殿が以前弟の妻だったからだ。過去、セレーネ殿は確かにメルクーリの人間であったし、大層苦労させてしまったからな。その詫びの意味も込めて。ゼノの教育を任せているのもセレーネ殿だ。セレーネ殿がいなければ、カラマンリス侯爵家との繋がりは生まれなかった」

 獅子伯のそんな追撃に、大奥様の顔色が、白を通り越して土気色になってきた。あの顔色、さすがに、ヤバくない?


「ど……どういう、ことなの、ツァニス……」

 何とか絞り出した声で、そう問う大奥様。

 問われたツァニスは、ひょいっと肩をすくませた。

「どうもこうも。アンドレウ夫人と獅子伯の仰る通りです。私では、彼らの協力は取りつけられなかった。彼らの協力は、セレーネがいてこそ、なんですよ」

 苦笑いしながらも、そう伝える。

 ツァニスは、一歩引いて私から距離を取りつつ、私の方へと向き直る。そして、繋いだままだった私の手の甲に、そっと唇を寄せてきた──ってドサクサに紛れて何してんねん!

「ラエルティオス伯爵家の陰謀を看破したのもセレーネですし、今回のこの計画の案を出して、主導したのもセレーネです。

 カラマンリス邸からラエルティオス伯爵家の手の者たちを追い出したのも、財務健全化も、屋敷の構造改革も、アティの教育も、全て彼女がやっていることなんです。

 私はそれに乗っかっているに過ぎない。

 むしろ、今のカラマンリス侯爵家は、セレーネなくして成立しないんですよ」

 突然ベタ褒めしはじめたツァニスに、思わずちょっと腰が引けた。

 コレは、アレや。また、例の、範囲攻撃をしてきそうな気がするんだけど、気のせいかな? 身構えすぎ、かな? かな?


 私が思わず半歩後ろに下がろうとすると、繋いでいた手を両手でガッと改めて掴まれる。そしてそのままツァニスはその場に膝をつき、私の手の甲に、改めて、そっと口づけた。

 潤んだ瞳で私の事をゆっくりと見上げて

「私に、アウラとの別れについて心の整理をつけさせてくれたのもセレーネだ。そして、ちゃんとアティをアティとして見れるようにしてくれたのもセレーネだった。言葉を伝える事の大切さ、意見をすり合わせる事の大切さを教えてくれたのもセレーネです。

 こんな素晴らしい女性を、愛さずにいられるわけがない。愛さずにはいられない。

 それが、セレーネなんです。母上がなんと言おうと、私はそんなセレーネを愛するのをやめることはない」

 そう、ハッキリと、告げた。

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