第266話 なんとか危機から脱した。

 ツァニスの身体を右肩で突き飛ばし、自分は踏ん張って倒れないようにする。

 そしてそのまま、ナイフを持った人形顔男性使用人ディミトリの身体を正面から受け止めた。


「セレーネ!!」

 ツァニスの叫び声。

 私はそれを聞きながら、すぐそばにあるディミトリの顔を睨みつけた。彼も私の事を見ていたが、その顔は驚愕一色。

 私の脇腹に刺さったかと思ったナイフは、刺さりきらずに逸れてかすっただけ。

 そりゃそうだ! 私は今、クロエお手製の防刃コルセットを付けてるからな!!

 でも、刺さらなかったけど衝撃で痛かったぞこの野郎!!

 私は、ヤツのナイフを持った腕を、自分の左腕と脇でガッチリと固定。

「残念でした」

 そうニヤリと彼に向かって笑いかけると、彼の襟ぐりをひっつかんで身体をひるがえし、ヤツのふところに潜り込んで背中を密着させる。そしてそのまますかさず腰を跳ね上げた。

 宙を舞うディミトリの身体。

「マジか」

 それは誰の声だったか。そんな呆れ声とほぼ同時に、私はディミトリの身体を地面に思いっきり叩きつけた。


 私がディミトリから手を離すとほぼ同時に、獅子伯と精鋭部隊の人たちがディミトリを取り囲み、抑えつけてくれた。

「セレーネ、投げ技綺麗。今度コツ教えて」

 マティルダがそう言いながら拍手していた。

 これで本当に終わりだな。

 私がそうホッと息をついて立ち上がった時だった。ふと見てみると、ツァニスが驚いた顔をしたまま、まだ地面に尻もちをついていた。さては、さっきの『マジか』はツァニスだな?

「いつまでそうしてるんです?」

 私は笑いながら、尻もちをついたツァニスに右手を伸ばした。


 ツァニスが私の手を掴もうと手を伸ばした時だった。

 突然の強い風が、私たちの間を吹き抜ける。

 その瞬間、私の髪がバサリと広がり風にあおられくうに流される。ああ、投げ技をはなった瞬間、髪を止めていたピンが外れたか。

 私は髪を左手で押さえつつ、ツァニスに再度手を伸ばした。


 私の手を掴もうとしていたツァニスの動きが、止まっていた。

「……セ──」

 彼が何かを言おうとした瞬間

「大丈夫か?!」

 アレクが慌てた様子で駆け寄ってきた。

「大丈夫。ギリギリセーフ」

 私が笑ってそうアレクに応えると、彼は苦笑して頭を掻いた。

「ったく。だからあの護衛は捕まえておいた方がいいって言ったのに」

 そう漏らすアレク。

 そう、ルーカスを泳がせる事に最後まで反対していたのはアレクだった。

「でも、大丈夫だったでしょ?」

 私はツァニスの手を引いて彼を起こし、そしてルーカスとアティの方へと視線を向ける。

 少し離れた場所で、馬から降りたルーカスは、同じく地面に下ろしたアティをギュウッと抱きしめながらむせび泣いていた。アティは困惑しつつも、ルーカスの頭をナデナデと撫でている。


「それは結果論だろ。お前はホント……」

 アレクが呆れた様子で私を見てきた。その後ろでは、同じ顔をして獅子伯が立っている。

 まぁ、呆れるのも分かる。

 結果的に、一番危なかったのはアティだった。

 ……私はサラリと、腰の後ろに隠しているナイフに触れた。あの時──アティが『ルーカスをいじめないで』と怒る直前、ルーカスの首めがけて投げようとしていたナイフに。

 最悪の時、ルーカスを私の手で始末する覚悟もしてたけれど。

 そうならなくて、本当に良かった。


「さてと」

 私は、再度ふん縛られ、背中をマティルダに踏まれた人形顔男性使用人ディミトリを見下ろした。

 彼は、苦々しく私の顔を睨め上げている。

「では屋敷に戻って、

 私がそうニッコリと笑うと、ディミトリの顔からサッと血の気が引いたのが見てとれた。


 ***


「な……何の冗談だ?」

 別荘の離れの一室。狭い部屋に置かれた机と椅子。そこに鎖で繋がれた人形顔男性使用人ディミトリが、信じられないといった顔をした。


 私は机を挟んでその向かいに座り、真剣な顔で彼を見返す。

「冗談ではありません」

 そうサラリと返事をした。

 部屋には、ツァニスと獅子伯もいる。ツァニスは私の隣に立ち、獅子伯は部屋の角に腕組みして私たちの様子をジッと見ていた。他にもアレクや辺境部隊の人がいる。


 いいよー。人形顔男性使用人オマエが理解できるまで、何度でも同じ事言ってやるよ?

「カラマンリス侯爵家の諜報員になってください」

 私がニコニコとそう伝えると、ディミトリは更に苦い顔をした。

「裏切れ、と?」

 彼がそう絞り出すかのように言ったので、私はコックリと頷いた。

「そうです。あれ? それとも、お金で雇われたんではなく、義理があってラエルティオス伯爵についてるんですか?」

 私が首を傾げてそう伝えると、ディミトリは引きったかのような笑みを口の端に浮かべる。

「だとしたら、どうするんだ?」

 まるで、こちらの反応をうかがっているかのような顔だった。


 私はふとワキの方へと視線を向ける。

「だとしたら、調べた情報と違いますね。貴方達は、カラマンリス領にある無頼漢ぶらいかんの集団だったと思うんですが……違いましたか」

 私がそう呟くと、ディミトリの目の端がピクリと動いた。しかし、それ以上の反応はない。

 ふむ。こっちが間者たちの情報を、あらかじめある程度集めてた事は、まぁ予想できてたか。そりゃそうか。

 なので私は言葉を続けた。

「そうか。義理で繋がった方々であれば……ラエルティオス伯爵たちを逆に脅迫するネタになりますかね?」

 チラリとディミトリに視線を戻すと、彼は冷めた目で私の事を見ていた。

「……俺たちが脅迫のネタに? なるはずも無い」

 鼻で私の言葉を笑い飛ばした。

「例えこっちが義理立てしてたとして、お貴族様が俺たちの命を気にする筈もないだろうがッ……」

 まるで、吐き捨てるかのように、そう絞り出すディミトリ。

「どうせお前達だって、最後には捨て駒にするんだろうッ!!」

 彼は、鎖で繋がれた両手で、ガンッと机を叩いた。

「失敗したら死ぬしか道はないんだよ! どっちについたってな?! ならサッサと殺せよ!! それとも?! お貴族様は自分の手は汚したくないってか?!

 お綺麗な侯爵夫人は、汚れ物の片付けは他人任せだもんな!!」

 鼻が腫れ上がった元は綺麗な顔を更に歪ませ、ディミトリが噛み付くかのように怒鳴りつけてきた。


 私はそれを笑い飛ばす。

 そして、奴の顎をガッと掴んで顔を寄せた。

「ご心配なく。もし貴方を処刑するなら、私が直に手を下してさしあげますよ。

 忘れました? アティの頬につけた傷の事を。鼻を折るぐらいじゃ足りませんからね」

 手にナイフを持っていれば、躊躇なくその顔の真ん中に突き立ててる程の殺気を込めて、ディミトリの目を覗き込む。

 彼の顔からサッと赤みが消えた。


 私が放つ殺気に、アレクや獅子伯、辺境部隊の人が息を呑んだのが分かった。

 なので、私はディミトリの顎からパッと手を離す。

 彼はそのままガタリと体を後ろへ退いた。

 緊迫した空気。

 私はそれを破るかのように、一つため息をついた。


「……先程、貴方は『捨て駒』という言葉を使いましたね。確かに、この国の将棋は『捨て駒』が有効な手段ですね」

 私は少し考えながら、改めて口を開いた。

「実はですね。私が知っている別の将棋は、敵の駒を取ったら、そのまま自軍として使えるんですよ」

 そう言うと、ディミトリが少し目をしばたかせた。

「人は──まぁ言い方は酷いですが、ぶっちゃけ資源です。折角手駒にしたのに、捨てるなんて勿体ない。

 それに、私は素人なので将棋をするとなると、なるべく駒を取られたくないんですよね」

 一度そこで言葉を切り、ディミトリの顔を改めて真っ直ぐに見る。

「──限りある自分の手駒は、なるべく減らしたくない。私は、捨て駒という手を使える程、器用でも、頭も良くありません」

 そこまで言うと、ディミトリが目をこれ以上ない程見開いた。

 私はその目を、鋭く真っ直ぐに見返す。


「伯爵家と手を切り、私たちの手足として働きなさい。

 今後は、カラマンリス侯爵家──ひいては、カラマンリス領の為に働きなさい。

 そうすれば、貴方達が今まで犯してきた違法行動を揉み消します。金と権力でね」

 そう、ハッキリと告げた。

 ディミトリは口をポカンと開ける。

「……は?」

 彼の口からポロリと漏れたのは、それだけだった。

 なので私は言葉を続ける。

「表向きは、カラマンリス侯爵家の使用人や関係部署の作業者として働いてもらいます。しかしその実は、我々の諜報員として、情報収集や事前破壊工作、情報操作や撹乱の仕事をするんです。

 暗殺などの仕事は──基本させないつもりです。

 これからは暗殺云々などと言う直接的な方法より、情報操作による社会的抹殺の方がより有利になる時代になります」

 それに、私が欲しいのは暗殺者じゃない。諜報員スパイだ。


 そう。

 これが私たちが立てた、本当の計画。


 ラエルティオス伯爵が放った間者たちを奪い、逆に取り込んで私たちの諜報部隊とする。


 王家もアンドレウ公爵家も諜報部隊を抱えているし、メルクーリ辺境部隊にも勿論ある。獅子伯は恐らく、自分の諜報員を持ってる。

 カラマンリス侯爵家にも過去あった筈だが、ツァニスはそこを引き継がずに爵位を継いでしまったよう。恐らく裏であの執事達が解散させてしまったか、下手をしたらラエルティオス伯爵家に取り込まれてしまった可能性もある。

 もしかして大奥様は知ってるかと思ったけれど、何も言ってこないし、あの様子では前侯爵に秘密にされていたな。


 だから、自分達の手で作ることにした。

 これが、冬の終わり──ベッサリオンから戻って以降、ツァニスとサミュエル、マギーとクロエと相談し、少しずつ調査して積み上げてきた事。この別荘にやってきた、本当の理由。


 ゼロから自分達の諜報員を集めたり育成する時間はない。だから、相手のを奪う。

 まさに、日本の将棋のように。


 私は鋭く息を吸い、そして、さっきから固まったままのディミトリを厳しく見つめる。

 そして、ハッキリと告げた。

「選びなさい。

 私の手で処刑されるか、私の為に働くか」


 短くそう告げると、言われたディミトリは、ゴクリと喉を鳴らした。

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