第265話 向こうの最後の切り札が発動した。
クソ……やっぱり、そうだったか。
……ダメだったか。
私は、後から近寄って来た馬に乗ったアティと、その後ろにいるルーカス──アティの護衛を、歯がゆい思いをしながら見た。
「……」
アティに気が付いたツァニス、そして獅子伯も苦い顔をした。
私たちから少し離れた場所に馬を止めたルーカスは、眉根を寄せて苦しい顔をしつつ、そのままアティの肩に手を置いた。
アティは恐らく状況を理解してないんだろうな。私とツァニスに向かって手を振っている。
「旦那様……奥様……申し訳、ありません……」
ルーカスは、アティの肩を掴みながら、そう苦しそうに言葉を吐き出した。
その言葉とともに、辺境部隊の人たち、そしてアレクがルーカスに向かって銃を構える。
「切り札は、最後までとっておくもんだろう?」
ルーカス、結局、そう結論を出したのか……
実は。
大奥様とクネリス子爵夫妻が到着する前。それまでに施されていた小細工の犯人には、最初から心当たりがあった。
ルーカス。
アティの護衛。彼は、カラマンリス領にある男爵家の三男だ。
彼が、ラエルティオス伯爵の息がかかっている可能性は勿論考えていた。だから最初から彼を疑っていた。泳がせていた、の方が近いか。
泳がせていた理由は、繋がりを掴みたかった事と──
カラマンリス邸では動きを見せなかった事と、ここに来た当初の小細工が、文字通り小さかったからだ。
私は運悪く落馬して肩を脱臼したけれど。
どれも、アティと私以外もひっかかる可能性のあるものだった。私とアティを直接狙っているようには見えなかった。
しかも、どの小細工も本当に小さ過ぎた。注意していれば逃れられる、かつ、運が悪くなきゃ怪我なんかしないレベルだった。
つまり。
これを細工した人間は、小細工する意志はあっても、なるべくアティに怪我をして欲しくないと思ってるんだろうな、と感じていた。
ルーカスがやっているとしたら。
途中で思い直してくれる事を期待していた。
でも。
ダメだったか。
まぁ仕方ない。恐らく、カラマンリス領にある自分の家──男爵家を盾にされてるんだろうな。いう事を聞かなければ男爵家を潰す、とでも言われたら、ルーカスにはどうしようもない。
「さすがに、娘にこれ以上傷が増える事は嫌だろう?」
ツァニスは苦い顔をして、彼からルーカスへと視線を移す。
視線を向けられたルーカスは、その視線から逃れるかのように俯き、アティの事をジッと見ていた。
「形勢逆転とは、この事か?」
心底嬉しそうなディミトリ。ああムカつく、ああムカつく!
「縄をほどけ。俺たちを解放したら、娘を解放してやるよ」
ニヤニヤしたヤツの顔をまた蹴り飛ばしてやりたい! しかし、我慢だ、我慢。
まだ、終わってない。
私たちが動かないからか、ディミトリは段々と焦れた顔をしてくる。
「早く解放しろ! 娘がどうなってもいいのかっ!?」
その声に、アレクが私の事をチラリと見る。辺境部隊の人たちが獅子伯を見て、獅子伯は私の方へと視線を向けた。
ツァニスも、ディミトリからルーカス、そしてアティへと視線を泳がせたのち、私を見て来た。
「セレーネ……」
獅子伯とツァニスが言いたい事は分かっていた。
だって、ルーカスを泳がせようって言ったのは、私だから。
私は、手を握り込み歯を食いしばる。
……終わってない、終わってない。きっと──
「俺たちがそんな甘い人間だとでも思ってんのか……ッ!?」
怒りの形相をしたディミトリはガバリと立ち上がり、ルーカスの方にギッと視線を向けた。
「ルーカス! やれッ!!」
「ダメ!!!」
ディミトリの言葉に、私は速攻で被せる。
そしてルーカスの方へと真っすぐに身体ごと向き直った。
ルーカスは身体をビクリとさせる。私とディミトリを交互に見て、アティの肩を掴んでいない右手を震えさせながら、腰の後ろに回した。
「ルーカス! やめなさい!!」
私の怒号に、ルーカスは再度身体をビクリとさせる。ついでにアティもビクリとした。
目を泳がせるルーカスは、それでも、隠していたであろうナイフを取り出す。でも、まだその手はダラリと下にたらしたまま。アティからはまだ見えていない位置。
「家がどうなってもいいのかッ!? お前のせいで、お前の家族は露頭に迷うな!!」
ディミトリの声。
ルーカスの顔が苦悶に歪む。ナイフを持った腕が少し上がった。
「ルーカス!!!」
私は再度叫ぶ。
「何故相談しなかったのですかっ! なぜ脅迫されているって言ってくれなかったんですかっ!!」
そういうと、ルーカスが泣きそうな顔をしてこちらを見た。
「できる……はずがありませんっ……旦那様と奥様に、ご迷惑は……」
震える声でそうもらすルーカス。
「今の方が迷惑じゃ!!!」
その言葉を速攻で否定した。
「我々はそんなに頼りないですか!? 助けてくれないと思っていましたかッ!? 私たちはそんなに冷たい人間に見えました!?」
そう叫ぶと、ルーカスは首を横にブンブン振った。
「違います! そうではありません!! 旦那様や奥様の事をそんな風には思っていません! でもっ……」
そこで言葉を詰まらせるルーカス。
これ以上は押し問答か。
「さっさとやれルーカス!!」
動きを止めてしまったルーカスに、ディミトリが
その瞬間、ルーカスが腕をゆるゆる持ち上げつつも、目を閉じてしまった。
「でもっ……もう手遅れです! 私はもう──」
そう叫び、ナイフを持った腕をアティに向かって振り下ろそうとする。
私は、腰の後ろに素早く手を回した。
そんな時──
「ルーカスいじめないで!!」
そう怒りの声をあげたのは、なんと、アティだった。
可愛い眉毛をキリリと上げて、キッとディミトリを睨みつける。
「ルーカスこわがってる! いじめちゃダメ!!」
プリプリと怒りを露わにしたアティに、ルーカスは手を止めて、目を見開きアティを見下ろしていた。
「アティ様……」
ナイスアティ!!
今がチャンス!!
「遅くない!!!」
私は、喉から血が出るかと思うほど声を張り上げた。
「まだだ! まだルーカスはアティを傷つけていない!! まだ! まだ間に合う! アティはまだ無事です!!
聞いたでしょう?! アティも貴方を守ろうとしてるんですよ!」
私の言葉に、ルーカスは弾かれたように顔を上げた。
「湖の罠だって貴方が仕掛けたんじゃない! それは分かってる!! まだルーカスはアティを傷つけていない!!! まだ失敗は取り返せるんですよ!!!」
そう叫ぶと、ルーカスは驚いた顔で私の事を見た。
「私は! ルーカスは絶対にアティを傷つけないって思っていたから、貴方を捕まえなかったんですよ!! 違いますかッ?!!
大奥様に言った言葉は、嘘だったんですかッ?!!」
更に言い募ると、ルーカスはふと視線を落としてアティを見る。
アティは、振り返ってルーカスの事を見上げていた。
「ルーカスだいじょうぶ。あのひとにいじめられてもね、おかあさまがね、メッてしてくれるよ」
そんなアティの呟き。
「アティ様……」
ルーカスの目から、ボロボロと涙が溢れてくる。
「できないっ……私には……ッ」
そう漏らし、歯を食いしばったルーカスが、ダラリと腕を下げた。
よしルーカス! よく耐えた!! 偉いぞ!!!
私は歓喜しガッツポーズを取った。
しかし、ディミトリが盛大に舌打ち。
「チッ! 使えねぇ! これだから貴族の坊ちゃんはッ!」
その瞬間、ゴギリと変な音がした。
何の、と思った瞬間、ディミトリを縛っていた縄がバラバラと地面に落ちた事に気がついた。
まさか?! コイツ、自分の意思で肩関節外せんのか?!
ヤバイ、と思うのとほぼ同時に、視界にキラリと光るものが見えた。
「ここで失敗して帰るワケにはいかないんだよッ!!」
そう叫びつつ、ディミトリが地面を蹴る。
彼が向かう先は──私の傍にいたツァニス!
最終的にはツァニスを暗殺?! 最悪の最悪は、ツァニスを始末しろって言われてた?! そこまで読んでなかった! しくじった!!
ディミトリの身体がツァニスに届く前。
私は反射的に、ツァニスに体当たりした。
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