第267話 最後の仕上げに入った。

「……俺たちを、腹に抱え込むつもりか……?」

 ディミトリが小さく、そうポツリと呟く。

 なので私はゆっくりとうなずいた。

「勿論です。貴方達を雇い、そして今までの罪を揉み消すとは、つまりそういう事です」


 もう、清濁せいだく云々うんぬん言ってられないんだよ。

 最悪、ツァニスとアティが生きるか死ぬかの所まで追い詰められてきてる。

 そもそも、世間ではラエルティオス伯爵家の方が人気があるみたいだし。

 ならば、毒を食らわば皿まで。こちらが悪に徹する他ない。


「……俺たちが……俺が、裏切る可能性は考えてないのか……?」

 ディミトリが、眉間に深い皺を刻んで私の事をいぶかしげに見てきたので、私は息を一つ吐いた。


「私たちカラマンリス侯爵家は、正式に雇い、真面目に仕事をする人達の命や生活は守ります。それが雇い主としての使命だと思っているからです。

 また、諜報員は危険な仕事です。他よりも良い待遇を用意します」

 仕事に似合う見返りを支払う。これが、社会を回す為に必要な事だ。

「貴方が率いる集団には、道端の孤児たちストリートチルドレンもいるでしょう。

 その子たちには養育院を作って、纏めて面倒を見ます。教育を施し、手に職をつけさせ、他人に搾取されない手法を身に付けさせます。

 そのまま自立するもヨシ、カラマンリス侯爵家に雇われるのもヨシ。それは本人達に選ばせる道を作ります。契約書も準備しましょう」

 養育院の話は、去年夏以降順調に進んでいた。もう少しで準備が終わる。それを利用しない手はない。

「この時代に、そんな高待遇を用意され……

 貴方は、それでも、死ぬ方を選びますか?」

 そう問うと、ディミトリの瞳が揺れた。


 もう一押し。


「これから貴方がたは、大手おおでを振って真っ当に生きるんです。私たちも、諜報員を抱えてる事を秘密にするつもりはありません。そんな事、秘密にする意味もない。むしろ牽制です。

 ただ、誰が諜報員なのかを秘密にするだけですよ。

 今までは、自分達が生き残る事で精一杯だったでしょう。今後は、仕事の見返りとして、我々が貴方達の生活の保障をします。

 だから、今まで貴方が生きる為に使っていた力を、カラマンリス侯爵家と、カラマンリス領の為に使って下さい」

 誠心誠意、力強くそう伝えた。


 すると、ディミトリが戦慄わななく口でポツリと

「……運命共同体……」

 そう呟いた。

 私は笑う。

「その通りです」

 そううなずきながら。


 ディミトリは鎖で繋がれた両手を固く握り締め、机に突っ伏してしまった。その手は、震えている。

 私は、言いたい事を言えたので、大きく息をついた。

「ただし。お気づきの通り、これは脅迫です。こちらにつかないのであれば、貴方がたを見逃す事は出来ませんので、それ相応の処罰をします。──先程、言った通りね」

 そう言って、私は席を立つ。ディミトリは顔を上げなかった。


 私がツァニス、獅子伯、そしてアレクに視線を送ると、それぞれがコクリと頷いた。

「考える時間をあげます。よく、考えて下さいね」

 それだけを告げて、私とツァニスは、その部屋を後にした。


 ***


 別荘の母屋に戻った頃には、すっかり日も落ちてしまっていた。

 使用人たちに案内されて談話室へと入ると、イライラしながらウロウロする大奥様と、それを何とかなだめようとアワアワするクネリス子爵夫妻が目に入った。

 部屋の中央のソファでは、アンドレウ夫妻が優雅にお茶を飲んだり新聞を読んでいたりしている。

 なんか……凄いギャップ。シュールな光景だなぁ。


 私とツァニスが部屋に入って来た事にすぐ気づいたアンドレウ夫妻が、こちらへと小さく笑って目配せしてくる。私も小さく頷いて返事を返した。

「ッ!? 貴女っ……」

 次いで私に気づいた大奥様が、なんかさっきより老けたように見える顔を向けてきた。

「どういう事なのッ!? 説明なさい!!」

 私たちの方へとツカツカと近寄って来た大奥様は、一定の距離を取って立ち止まると、私を頭の先から足先まで、まるで何かを確認するかのように視線を這わせてきた。

 ちなみに私は、クロエのメイド服から着替えて、自分のワンピースを着てる。まぁ、この部屋を飛び出した時のとは違うけど。


 さぁて、本当のホント、最後の仕上げだ。

 この場面だけは誰にも譲らねぇぞ。私を散々コケにした大奥様に、辛酸を舐めさせて差し上げる、一番美味しいタイミングですからね。

「私が平然として戻って来た事が、ご不満ですか?」

 私がニッコリとしてそう告げると、大奥様は露骨に嫌そうな顔をした。

「今は貴女と話している時ではないのよ。ツァニス、説明なさい」

 サッサと私から視線を外した大奥様が、ツァニスに厳しい視線を向ける。ツァニスはチラリと私を見てから、ハァと一つ溜息をついた。

「説明はセレーネから行います」

 ヤレヤレと言わんばかりのツァニスの声。あれ? なんか、ツァニス、ここ数時間で十歳ぐらい老けた??

 大奥様は二度と消えなさそうな深ーい皺を眉間に刻みつつ、侮蔑したような顔を私に向けてから、再度ツァニスに視線を向ける。

「何を言ってるの? 貴方に説明なさいと言ったのよツァニス。その子ではなく──」

「いえ。今回の事は、すべてセレーネが計画したのです。ですから、説明はセレーネから行います」

 ツァニスにそうピシャリと遮られ、大奥様は歯軋りでもしてそうな顔をした。


 ヤバい。笑いが堪えきれない。クッソ。既にアンドレウ夫人が、扇子で顔を隠しながら肩を震わせてる。やめて伝染うつる!

「それでは……僭越せんえつながら、私からご説明させていただきますね?

 と、その前に。まずは大奥様にお礼を。

 貴女が私の事をこれ以上ないほど罵倒してくださったお陰で、計画最後の『間者かんじゃ一網打尽いちもうだじん』が上手くいきました。ありがとうございます」

 私がスカートの端を摘まんでうやうやしく膝を折ると、大奥様の顔にカッと赤みが差した。

「な……え? どういう、こと?」

 口を戦慄わななかせた大奥様が、絞り出すかのような声を出す。

「貴女に罵倒され傷ついた私は、一人で外に飛び出しました。侯爵夫人を攫う絶好のチャンスだと思った間者たちが、全員後を追いかけてきたんですよ。

 まぁ、それは罠だったんですけれどね。全員捕まえました。

 ああ、あの、ディミトリ、とかいう使用人もね」

 私がその名前を出すと、大奥様の息が止まったように見えた。オイオイ、大丈夫か? まだまだ序の口だぞ?


「ディミトリが……なんですって……?」

 大奥様の手が震えている。信じられないってか? まあ、そうだろうね。自分が耽溺たんできしていた使用人が、まさか、間者だったとか。信じられないよね。

「ディミトリという大奥様の使用人は、実はラエルティオス伯爵家の間者だったんですよ。気づきませんでした?」

「嘘お言い!! ディミトリが!? そんなワケはないわ! 彼は私を愛して──」

 そこまで言い募ってから、大奥様は慌てて口をつぐんだ。

 ……今、聞きなくない事が……聞こえたような……イカン! イメージしちゃった!  消えろイメージ!! 消えてお願い胸糞悪い!!!

 ツァニスが物凄く呆れた顔をしていた。あー。そうね。複雑ね。息子からしたらね。うん、分かるよ。

「……現実、ディミトリは間者だったんですよ。今は別の場所で拘束しています。言質げんちも取れています。事実だったんです。認めた方が楽になりますよ」

 そう伝えると、大奥様は今度は顔を真っ青にしてしまった。言葉が出ない、と言った顔だった。


「待ってください、話が見えません。間者? 計画? どういう事ですか?」

 何もしゃべれなくなってしまった大奥様に代わってか、大奥様の後ろにいたクネリス子爵がおずおずと口を開く。クネリス夫人の方は、身体をプルプルと震わせている大奥様の肩を抱いて、耳元で何か囁いていた。きっと励ましの言葉とか言ってんだろうな。


 私は、この場にいる全員に順番に視線を移動させていった。

 クネリス子爵夫妻、大奥様、アンドレウ公爵夫妻、そして、ツァニス。

 そして一度大きく深呼吸してから、気持ちを新たにして口を開いた。

「今回、大奥様やクネリス子爵をこの屋敷にお招きしたのは、ラエルティオス伯爵家と対峙する為の協力を得る事以上に……あなた方の中に入り込んだ間者たちを炙り出す事が目的だったんですよ。

 途中でおかしいな、と思いませんでした? 連れてきた使用人たちの数が段々減っていったでしょう。間者として尻尾を出した奴らから、我々が捕まえていっていたんですよ」

 そう告げると、クネリス子爵夫妻、そして大奥様の顔に一気に緊張が走った。

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