第256話 寝込んだ。
熱を出して寝込んだ。
多分、矢傷のせい。
私が怪我をした事を知らないツァニスやルーカスには、釣りの時に湖の風に当たり過ぎたのだと言い訳をしておいた。
あの時ついた嘘が、現実になったわ。
……おいそれと、嘘をつくもんじゃないね。
アティは、大奥様とクネリス子爵夫妻の言いつけにより、外で遊べなくなってしまった。
ただ私達も、彼らの言い分に素直に従ったワケじゃない。
敵が本格的に仕掛けてきたので、おいそれと外で遊ぶのは危険だと判断されたのだ。
だから、今日は子供達は屋敷の中で遊んでいる筈。
さっき子供たち全員でワーッとお見舞いに来てくれた。ギャーギャー騒いだ後(※主にエリックが)、アティとゼノとベルナが、今日は何をするのか説明してくれた。
……実は説明不要。だって立案したの、私だもん。
何かがあって外出できなくなった時の為に、屋敷の中だけでまた遊べる方法をね、事前に色んな人と知恵を絞って考えておいた。
今頃、彼らは屋敷の大広間で脱出ゲームをしている筈だ。陣頭指揮はサミュエルが取ってくれている。
『イリアス様にも、おいそれとは解けないモノにしてやりますよ。大人の本気を見せてやる』
と、普段イリアスに将棋などでやられっぱなしのサミュエルが、ウキウキと勇んでいたのが面白かった。
私は今、ベッドで熱に
ツァニスとアティの部屋とは別。身体を休める為にと、獅子伯が他の部屋を用意してくれた。
そして、私が寝込むベッドの横では、アレクが本を読んでいる。
……アレクは私のお目付役。
どうやら獅子伯から『回復するまで動かないように見張ってろ』と厳命が下されたらしい。
ハイ、日頃の行いが悪いせいですね。スミマセン……
アレクには『アホ』とデコをペチリと叩かれた。
悪夢も散々見た。もう思い出したくもない物ばかり。
しかし、ふと目が覚め、窓からの日差しが傾いている事に気づいた頃には、熱が下がってきたのか、少し楽になっていた。
「……アティたちは?」
目覚めてすぐ、そばにいたアレクに尋ねてみた。
彼は本をパタンと閉じると、呆れた様子で私の事を見下ろしてきた。
「大丈夫だよ。獅子伯の精鋭部隊が周りを固めてくれてる。おいそれと敵も近づけない。心配すんな。寝てろ」
そう言いつつ、アレクは私の額にそっと手を置いてきた。
「……まだ少し熱いな」
手を引っ込めて、アレクはベッドサイドに置かれた水差しから、コップに水を汲んでくれる。
私は少し身体を起こして、その水を飲んだ。
うっま。身体がカラカラだったみたい。
水を一気飲みして息をつく。体の重さを、その時改めて実感した。左腕が腫れて熱を持ってる。クッソ痛い。モゾモゾとなんとかまたベッドに潜り込むと、勝手にため息が漏れた。
「……聞いたぞ」
そんな時、アレクがポツリと呟いた。
「
アレクに視線を向けると、彼は苦笑していた。
「アティの怪我の現場にはいない事になってたのにな。
……そりゃ色々悩むわな。これじゃあ、おいそれと子供作れないわ。子供に関わる全ての悪い事は、全部お前のせいにされそうだ」
呆れた感じのアレクの声。あー。そうだね。そんな感じ。
子供が産まれなければ私のせい、流産しても私のせい、男が生まれなくても私のせい、何か障害があって生まれてきたら私のせい、子供が怪我をしても病気をしても、性格が歪んでもサイコパスでも、全ては私のせい。
あの大奥様なら、それぐらいナチュラルにやってのける。
「……ツライな」
いつか言ってくれた寄り添う言葉を、アレクはまた言ってくれる。
「まぁね」
私はあの時と同じように
少しの沈黙。
アレクが、パラリと本を開いた。
なので私もまた目を閉じる。大丈夫。ここにはアレクがいるし、アティたちは獅子伯たちが守ってくれてる。
私が、また少し
「……余計な心配すんな。もしそこに居づらくなったり、逆に縛り付けられて逃げられなくなったとしたら、攫ってやっから。妊娠中でも、子供が産まれてても、まとめて面倒見てやるよ。
合図は覚えてんだろ? 手紙でも電報でも伝書鳩でも、合図出せば受け取ってやる」
アレクのそんな言葉に、私は驚いて目を開く。彼の顔を見上げようとしたら、またデコをペチリと叩かれた。
「だから、石橋叩いてばっかいないで、一歩踏み出せ。命綱は掴んでてやるから」
アレクの、そんな優しげな声。
「……なんで?」
思わずそう問い返してしまった。
アレクが少しだけ目を見開いて、私の顔を見下ろしてくる。それからフッと鼻で笑った。私のデコをまたペチペチと叩きながら。
「お前を愛してっからだよバーカ」
そうか。アレクは私を愛しええええええええーーーーーーーーー!??
「お前がアティやセル、妹達やヴァシィを愛してるのと同じぐらいにはな」
あぁそっちか。そっちの意味か。びっくりした、ビックリした、
「分かったなら寝ろ。ガキどもが心配してたぞ。早く元気な顔見せてやれ」
アレクは私のデコを叩いていた手で、頭をゆっくりと撫でてきた。
そうされると、なんだかまた眠くなってくる。アレクに頭撫でられるのは嫌いじゃない。セルギオス──兄を、思い出す──
深呼吸して、私もそのまま目を閉じた。
意識が、ゆっくりと、目の奥の闇に溶けていきそうになって──
ガタガタバッタンッ!!
扉の向こうから、物凄い音がして飛び起きた。アレクも腰を浮かせて
アレクが無言で指で私に指示を飛ばす。私は扉の横に張り付いてドアノブをそっと掴んで息をひそめた。
アレクが猟銃を構える。
無言で扉をガバリと開いた。
アレクは猟銃を構え──驚いた顔になって銃を下ろす。
アレクの様子を不思議に思い、私も扉の向こうへとそっと顔を出してみた。
そこには──
「変な動きしてたから捕まえてみた」
そんなポソリという小さな声が上がる。
扉の前で、男性家人に腕ひしぎ十字固めをキメた赤毛の女性──マティルダが、キョトンとした顔で我々を見上げていた。
***
「強いんですね」
「はぁ。いや。簡単な動きを、レオから教わっていただけ」
ベッドに上半身を起こしながら寝そべる私の質問に、椅子に座ったマティルダがサラリと答えた。
……腕ひしぎ十字固めは、そんな簡単には出来ないと思うんだけどなァ。
つか、レアンドロス様……マティルダに何教えてんの。
アレクは、先程捕まえた男性家人──に見せかけた敵の潜入員を、獅子伯達に引き渡しに行っている。
この部屋には、アレクの代わりのお目付役兼護衛として、マティルダが残ってくれた。
とうとう敵は屋敷の中でまで変な動きを見せ始めたか。まぁいい。お陰で効率がいい。思った以上に計画を早く進められそう。
しかし。沈黙が重い……
私が話しかけないと、マティルダからも話さない。うーん。間がもたない。どうしたもんか。
──あ。
そうか。ここで、マティルダに……レアンドロス様とどんな関係か、聞く、チャンスなのかもしれない。
そう思った瞬間、心拍数が上がる。喉が閉まって息が苦しくなった。
「……セレーネ、顔が赤黒い。寝たほうがいい。レオも心配してた」
マティルダは、小首を傾げながら私にそう進言してくれる。
私はシーツをギュッと掴み、意を決してマティルダの顔を見た。
「あのっ……マティルダは、獅子伯とどういう関係なのですか?」
いかん!! テンパりすぎてド直球な聞き方してもーたっ!!
しかしマティルダは、今度は反対側に小首を傾げただけ。
「? どういうって、どういう意味?」
ぐはっ! 更にド直球に聞けという事っ?! もう既になんかちょっと吐きそうだよ!!
でも、ここでスッキリしてしまった方がいい。
「その……マティルダは、獅子伯の、ご親戚ですか? 妹とか、従姉妹とか……」
なんとか言葉を絞り出すが、マティルダはあらぬ方向に視線を向けてしまった。
何?! その視線はどういう意味っ?!
「…………違う。私は、そんな高貴じゃない。私は、汚い、厩舎の産まれの、ただの駄馬」
マティルダは、何の感情も含まれないかのような顔をして、そうボソリと呟いた。
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