第255話 庇われた。

 無理だよツァニス。大奥様には分からない。

 どれだけツァニスや私や、獅子伯が本気なのかって。

 彼女自身が、そういうパフォーマンスをする人なんだよ。だから他人の本気が信じられない。


 私は、そんな大奥様に私の本気を分かってもらおうとか思ってないよ。

 ただ、アティと同じ痛みを共有しようとしただけ。

 私が代わってあげられなかったから。

 ただ、それだけ。

 娯楽室に沈黙が降り立つ。

 誰も何も言えなくなって、口を閉ざしていた。


「少し、いいかしら?」

 沈黙を破ったのは、そんな上品な声だった。

 弾かれるように顔を上げてそちらを見ると、扇子で口元を隠したアンドレウ夫人が、しずしずと娯楽室の入口から入って来るところだった。

 後ろに、いつもの侍女ではなく、マギー、サミュエル、ルーカスを伴って。

「前侯爵夫人、クネリス子爵夫妻。使用人たちから貴女たちへ、お伝えしたい事があるそうよ? 聞いていただけないかしら?」

 彼女は扇子をパタパタ仰ぎながら、スッと横に退く。すると背後から、マギー・サミュエル・ルーカスが前に進み出て来て、ガバリと頭を下げた。


「大奥様。どうか、奥様をお責めにならないで下さい。

 アティ様がお怪我をなされたのは、我々の責任です」

 頭を下げながらそう言ったのはサミュエル。

「大奥様もご存知の通り、貴族のお子様のお世話をするのは我々使用人の役目です」

 言葉を継いだのはマギー。

「私がアティ様をお守りするのが務めでした。お手洗いにいらっしゃるからと、アティ様のお傍を離れるべきではありませんでした。私の職務怠慢でございます。

 申し訳ございませんでした」

 最後にそう締めたのはルーカスだった。


 三人ともっ……そんな事ないのに。アティを連れ出したのは私なのに。その場にいたのは私なのに!

 私が口を開こうとした瞬間、獅子伯に肩を掴まれた。彼の顔を見上げると、獅子伯は小さく首を横に振る。

 三人の誠意に水を差すなって事か。そうだけど……でもっ。

 下手をしたら、大奥様はそんな権限もないのに三人にクビを言い渡しちゃうよ!?


 大奥様は、頭を下げた三人を順々に見て、そして最後に私を見た。目の端をピクリと動かし、少しだけ、面白くなさそうな表情をする。

 仰々ぎょうぎょうしくワザとらしい溜息を、一つ大きく吐き出した。

「……使用人に免じて、今回は大目に見ます。クネリス夫人、どうかしら?」

 大奥様は、スンと顔を上げてクネリス夫人に視線を送る。

「誤解なさらないでね。我々も誰かのせいにしたいわけではないのよ」

 クネリス夫人が大奥様の視線を受けて、そうホホッと笑って困った笑顔をした。


 良かった……三人がクビにならなかった……


 大奥様とクネリス子爵夫妻は、責める相手が私からシフトしてしまった為か、先程の勢いが嘘のように大人しくなり、そそくさとその場を去って行った。


 その背中を見送って……

 疲れをドッと感じた。本気で頭痛を感じて額を抑える。

 ああ、でもホッとしてる場合じゃなかった。

 私は、マギー・サミュエル・ルーカスへと向き直った。

「三人とも。庇ってくれてありがとうございました」

 深く、腰を折ってお礼をする。

 本当にありがたかった。三人が庇ってくれなかったら、私の精神が複雑骨折させられていただろう。既に心が満身創痍まんしんそうい

「……侯爵夫人ともあろう方が、使用人に軽々しく頭を下げるものではありませんよ」

 そんな辛辣な言葉を放ったのはマギー。潔い程いつも通りだな。マギーの言葉はつまり『気にするな』って事だ。


「……あの言葉は事実です。私は、走るアティ様をお止めできなかった」

 サミュエルが鎮痛な面持ちをしていた。そうか。あの場にサミュエルもいたから。責任を感じてるんだろう。

「アティ様の怪我は、どんな事であろうと子守頭である私の責任です。いくらアティ様の母といえど、勝手に罪を被らないでいただけませんか」

 マギーは素気なくそう言い放つ。

「アティ様や奥様に、危険が迫っているのは理解していたつもりでしたのに、私もつい油断してしまっておりました。申し訳……ございません」

 ルーカスがそう言い、ガバリと頭を下げたまま動かなくなった。

 みんながみんな、アティの怪我について責任を感じているようだった。


 ……場違いかもしれないけれど、アティに向けられた愛情が沢山あって、とても、嬉しくなった。


「セレーネ殿一人や、他の誰かだけの責任ではないのだ。ここにいる、アティ嬢に関わる全ての大人の責任だ」

 そう言って、レアンドロス様はルーカスの肩を叩き、彼の顔を上げさせた。

 その時ハッと気がつく。

 私は慌てて獅子伯に頭を下げた。

「レアンドロス様。とんだご迷惑をおかけしてしまって、本当に申し訳ありませんでした」

 まさか、大奥様が獅子伯を責めるとは思わなかった。しかも、彼が一番傷つく言葉で。

 大奥様あの人、本当に他人が傷つく事に無頓着すぎる。


「セレーネ殿が謝る必要はない。

 ……俺に子供がいない事は事実だ」

 違う。獅子伯には子供がいないんじゃない。亡くしたのだ。彼は、子供を亡くす喪失感を、ここにいる誰よりも一番理解している。

 とんだとばっちりを受ける事となってしまい、獅子伯には本当に申し訳ない事をしてしまった。償いきれないよ、こんなの。


「……そろそろ、その辺にしてくださらない? 人が謝る姿は見飽きたわ」

 そう、素っ気なく言ったのはアンドレウ夫人だった。扇子を口元でパタパタさせている。

 私が顔を上げると、彼女は扇子をパチンと閉じて、私の事を呆れた顔で見てきた。

「セレーネが一番悪いわね。そもそも、あの方達に貴女が謝る必要はなかったのよ」

 アンドレウ夫人にそう言われ、ギクリとした。

「アティの保護者は貴女よセレーネ。あの隠居した老人たちではないわ。

 あの人達に、セレーネを責める権利は元々ないの。いくら血が繋がっていたってね。

 アティの面倒を見ているのはセレーネなのよ。もっとしっかりなさい。

 外野に口を挟ませる隙を与えるものじゃないわ。今、他の所に力を割いてる余裕はない筈よ」

 アンドレウ夫人の言葉は、真理だからこそ鋭利だ。

 私は、アティに怪我を負わせてしまった負い目で、つい大奥様たちに謝ってしまった。

 よくよく考えたら。

 別荘に残ってノンビリ温泉に浸かっていただけの人達に、謝る必要なんかなかった。


 あの人達に謝る暇があるのであれば、良かった。


「……ティナ殿は手厳しいな」

 レアンドロス様が、アンドレウ夫人の物言いに苦笑いする。

 言われた彼女は、扇子を再び開いて口元をパタパタと仰いだ。

「まぁ、酷い言いよう。

 私は貴方達のようにセレーネを甘やかさないだけよ。私が手を貸しているんですもの。しっかり目的を達成してもらわないとね。

 ……是非、奇跡の逆転劇を見せて欲しいものだわ」

 アンドレウ夫人は、そう言って小さく悪戯っぽく笑うと、クルリと私達に背を向けて娯楽室を出て行ってた。


「セレーネ殿。あまり気に病む必要はない。セレーネ殿のアティ嬢への愛情は、この屋敷にいる殆どの人間が既に理解している。

 ……セレーネ殿がしている事は、ではそうそう出来る事ではない」

 獅子伯も、私にそう優しい言葉をかけてから、ゆっくりと娯楽室を後にした。


 そこで、ずっと立ち尽くしていたツァニスがユルユルと振り返る。彼は、すっかり憔悴しょうすいした顔で、私の頬をスルリと撫でた。

「……すまない、セレーネ。母を止める事も、セレーネを止める事も、出来なかった……」

 私は、そんなツァニスに笑顔を返す。

「いえ。ツァニス様の言葉が、私の支えです。ツァニス様は言い切って下さいました。私の愛を疑っていないと」

 たった一人にでも、そう言ってもらえると救われる。


「ありがとう、ございます」

 私は、自分の頬に添えられたツァニスの手に、そっと顔を擦り付けた。

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