第254話 非難された。

「なんて事をしてくれたのッ!!!」

 悲鳴のようなその声と共に、私は左頬を思いっきり叩かれて身体が後ろに揺らぐ。

 なんとか踏ん張って倒れないようにした。

「申し訳ありませんでした」

 私は体勢を立て直すと、深々と頭を下げた。

 私を非難する──大奥様と、クネリス子爵夫妻へと。


 湖から屋敷へと戻ってきた。

 獅子伯と途中で合流した家人たちが、別荘の正面から入って調査結果の報告をする隙に、私はヴラドさんの手引きで裏から別荘へと入った。そして男装を解き普通の姿へと戻る。

 他のみんなも、既にみんな別荘へと戻ってきていた。

 アティに起こった事は、セルギオスの話は伏せつつ、お手洗いに行った後に戻ろうとしてうっかり森に入ってしまい、その時に冬の間に設置されて忘れられた罠にひっかかって怪我をしてしまった、という事になっていた。

 私はといえば、途中で気分が悪くなって先に別荘に戻り、部屋で寝ていた事にしてもらっていた。


 アティの頬っぺたの傷は、浅く皮膚が切り裂かれただけという事だった。頬の筋肉にも影響はしていないそう。別荘駐在の医者に診せた後、傷が残らないようにとアレクが熊の油をたっぷり塗ってあげたらしい。

 アティは顔を歪めて『くしゃい』と、一言漏らしていたそうだ。


 そして。

 その事を知った大奥様とクネリス子爵が、部屋から起きてきた私(※実際は医者に左腕を治療してもらって、そこから出てきたばかりだった)を、娯楽室で出会いがしらにビンタしてきたのだ。


 ウチにお祖父じい様といい大奥様といい、なんでみんな出会い頭に私をシバキ倒すの? そういう趣味??

 しかし、そんな事を考えてるのはおくびにも出さず、私はクロエから事情を聞いた事として、丁寧に頭を下げた。

 アティに怪我をさせてしまったキッカケを作ったのは私。事情がどうであれ、それは変わらない事実だったから。


「女の子の顔に傷をつけるなんて!! どう責任を取るというの貴女はッ!!」

 顔を上げた私に、大奥様は唾を飛ばしながら怒鳴りつけてくる。

「返す言葉もございません」

 私はそう言い、再度頭を下げた。

 周りには、騒ぎを聞きつけた別荘の家人たちが集まって、ザワザワとざわめいて不安げな顔をして私たちを見ていた。


「これでアンドレウ公爵家との婚約がなくなったとしたらどうしてくれるのッ!? 貴女の命ぐらいでは到底償いきれませんよ!?」

 ……凄い事言うな。アティより婚約の心配かよ。しかも、アティの婚約は私一人の命より重いと。言ってて変だと思わないんかな、この人は。なんでナチュラルに人間そのものを軽んじられるんだろう。いや実際に、彼女の中では人間自体が軽いのだろうな。


 顔を真っ赤にして怒鳴る大奥様の肩に、クネリス子爵夫人がそっと手を置いて彼女を落ち着かせようとしていた。

「カラマンリス夫人、ここで取り乱したとしてもアティの傷は治りませんよ」

 ポンポンと大奥様の肩を叩きつつ、クネリス子爵夫人が私へと視線をうつして柔らかく口を開く。

「子供を産んでいないから仕方がないんですよ。継子に愛情が持てないのは、彼女のせいではありません」

 ……言った言葉は……エグかった……

「貴女も……自分の子じゃないから愛情が持てないのは仕方ないにしても、母親になったのだから、もう少し気にしてあげてはいかがかしら……?」


 一番キツイ言葉をなげかけられて、言葉が出なかった。


「……そうね。本物の愛情が持てないからといって、それは継母のせいではありませんでしたわ。継母なんてそんなもの。私としたことが……可哀そうなのはアティね。本物の母の愛を知らないのはアティなのだから」

 大奥様の追撃の言葉も、深く心にぶっ刺さる。


 その言葉の威力で、隠している左腕の傷と共に、心臓が握り潰されるかのような痛みを感じた。

 血の気が引く。

 私が……一番、自信が持てない事について、図星を突かれた。


 私は子供を産んだ事がない。

 記憶がある前世でも、産んでない。

 だから『実の子に対して感じる愛情』を、私は知らない。


 アティに対して感じている感情が、実際に産んだ子に対して向けるものと違いがあるかどうか、分からない。


 違わないと信じてる。信じてた。

 でも、改めて他人から言われると、揺らぐ。

 自信が、持てない。

 特に今日は。アティを傷つけてしまったから。

 足元がグラつく。

 左腕に矢を受けた時以上の衝撃だった。


「それは違います!!」

 そんな否定の言葉が娯楽室の外から飛んだ。

 視線を向けると、ツァニスと獅子伯がこちらへと走りこんできているところだった。

「母上、セレーネが直接アティを傷つけたワケではありません! 今回の事は事故だ! 彼女は充分にアティを愛している!」

 息を切らせたツァニスの言葉に、大奥様は冷たい目を向けた。

「充分ではないのは今回の事で分かったでしょう。本当の母親ならば子供から目を離す事なんて有り得ません。アティが怪我をしたのはそういう事よ」

 サラリとそうツァニスに反撃した。

 思わず言葉を詰まらせるツァニス。


「前侯爵夫人、それは不可能というものだ。一瞬でも目を離さないなど無理であろう事。そこに本物か否かは関係ない」

 助け船を出したのは獅子伯だった。

 しかし、大奥様は目の端を少しピクリとさせただけで、胸をスッと張って獅子伯の方へと体ごと向き直った。

「失礼を承知で言いますが、メルクーリ辺境伯。貴方にも子供はいらっしゃらないのではなくて? 養子への気持ちと実の子の違いは、いくら獅子伯といわれる貴方でも分からない事では?」

 お前ッ……! 獅子伯になんて事をッ!!!

 獅子伯は、私と違って自分の子を奥様と一緒に亡くしてんだよ!!

 獅子伯も口をつぐんでしまった。彼の顔が硬直してる。

 彼のトラウマを掘り起こしたな!


「大奥様ッ!! 今は私のとがの事でしょう!! メルクーリ伯の個人的な事情を言うのは失礼過ぎます!! 貴女にそんな事を言及する資格はない!!!」

 私は一歩前に出て怒鳴る。

 私の事はいくらでも言って構わない。お前の愛情が偽物だと言われたっていい。

 でも獅子伯の気持ちを踏みにじるのは許さない!


「アティに怪我をさせた貴女にそんな事を言われるいわれはないわ。

 貴女はアティにとって害悪よ。自分の体調を優先してアティから離れたのが良い証拠。母親なら、自分の体調より子供の事を優先するのが普通よ。当たり前なの。そうすべきなのよ。

 愛してる、大切だなどと、口ではいくらでも言えます。子供を最優先に出来ない時点で嘘が証明されているわ。所詮しょせんは他人ごとなのよ。

 だから私はツァニスにずっと言ってきたのよ。あんな女を屋敷に入れていたら、いずれ取り返しのつかない事になると」

 大奥様が、ヤレヤレと言ったテイで吐き捨てる。視線を向けたクネリス子爵夫妻も『仕方ない』と言わんばかりに苦笑していた。

「その辺にしてあげてくださいな。彼女も悪気があったワケではないでしょう。お腹を痛めていないのだから、分かるはずもないんですよ」


 大奥様とクネリス子爵夫人、彼女らの言葉で顔をあげていられなくなった。

 キツイ。スカートの裾をギュっと握りしめて耐える事しかできない。


「……どうすれば、アティに対して、償いになるのでしょう……」

 締まる喉で、なんとか言葉を絞り出す。

 彼女たちの顔を見れない。顔を上げられないので、ずっと彼女たちの足元を凝視していた。


「……そうね。アティと同じ目に遭えば、少なくともアティの痛みを知る事ができるんじゃなくて?」


 そんな大奥様の声が聞こえた。


 なので私は──


「やめろセレーネ殿!!」

 動こうとした身体を、瞬時に獅子伯に止められた。

 私は、背中側の上着の裏に手を突っ込んだままの姿で動けなくなる。

「……離してくださいませんか、レアンドロス様」

 静かに獅子伯にそうお願いするが、彼は首を横に振った。

「ダメだ。手を離したら、セレーネ殿は隠し持ったナイフで顔を切るつもりだろう」


 獅子伯のその言葉に周りの空気が一変する。

 家人たちがザワリとさざめき、一瞬にして談話室に緊張した空気が充満した。


「セレーネ!!」

 ツァニスも叫んで私の方へと駆け寄る。そして右手に持ったナイフを取り上げられた。

「お返しください。これ以外、アティの痛みを知る方法がありません」

 私はツァニスの目を真っすぐに見てそう言う。しかし、ツァニスは厳しい目で首を横に振った。

「そこまでする必要はない! 私はお前のアティへの愛情を疑っていない!!」

 そう叫んだあと、ツァニスは大奥様へとギッと振り返った。

「母上も不用意な事をおっしゃらないでいただきたい! セレーネはアティの事についてはいつでも本気だ!」

 ツァニスは大奥様にそう強く言ったが、彼女は少し腰を引いただけだった。

「そ……そんなの、パフォーマンスでしょう? 止められる事が分かっていてやったのよ。女ならはそれぐらいの嘘なら簡単にくわ」

「何を言っているのか分かっているのか母上!? 獅子伯が止めてくださらなかったら、セレーネは本当にやっていた! 私では止めるのは間に合わなかった!」

「わざとよ。獅子伯がお止めになると分かっていてやったの。そうやってツァニスはたぶらかされているのよ。目を覚ましなさい」

「母上ッ……」


 ツァニスは、自分の言葉を全く聞き入れない飄々ひょうひょうとした表情の大奥様を、愕然とした顔で見て言葉を失っていた。

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