第252話 罠にかかった。
アティの身体を突き飛ばせた手ごたえ。
私の身体に衝撃が来たって事は、たぶんアティは避けられたハズ。
地面を転がりつつ、手をついてなんとか転がり起きようとした。
しかし、地面に着こうとした左腕に激痛が走り、思わず腕を抑えて地面に突っ伏した。
これはっ……肩関節の痛みじゃない。
私が自分の左腕に目をやると、途中で折れたであろう短くなった矢の先端が、二の腕に深々と刺さっているのが見えた。
これは……仕組みからして、鹿用の罠だっ……
でも、こんな時期にこんな場所に鹿用の罠が放置されているワケがない。
奴らの仕業かクソっ……こんなところにまでっ……
「アティ!」
私は右腕で自分の上体をなんとか起こし、突き飛ばしたアティの方を見る。
ちょうど、後から追いついたサミュエルが、地面に転がるアティを抱き起しているところだった。
私に矢が刺さったという事は、アティは罠を回避できたハズ。
それなら良かっ──
ホッとしてアティの顔を見た瞬間だった。
体温が下がったのを感じた。
アティの頬っぺたに。
アティの頬っぺたに。
赤い
あ、アティの、頬っぺたに──
傷が出来てる──
「アティ!!」
私は転がるようにしてアティの元へと走った。そして彼女の前に滑り込むように膝からスライディング。
サミュエルに抱き起こされたアティの身体を、痛くない右手で
他に傷はなさそう。他の場所からは血も出てない。ただ、身体が草と土で汚れてしまったけれど。
ああ、でも、アティの頬に傷がっ……!
「いたいィ……」
アティが、フニャフニャと泣きながら私の体へと抱きついて来る。私は、アティの身体を一度ギュッと抱き返した。
「痛いね、怖かったね。ごめんね。もう大丈夫だよ」
私は、しがみつくアティの頭をゆっくりと何度も撫でた。
「大丈夫かっ?!」
アレクの慌てた声が聞こえる。
振り返ると、藪をかき分け出てきたアレクの姿が見えた。走れないながらに、何とか追いついてくれたんだ。
「アレク、サミュエル、アティを連れて皆んなの所へ直ぐに戻って。傷を診てあげて」
早く治療すれば、痕は残らないかもしれない。たかが傷の一つや二つで、周りからアレコレ口さがない事を言われるのは、私だけで充分だ。
私は、アティの身体をそっとサミュエルへと預けた。
「貴方もすぐに……」
サミュエルのそんな言葉に、私は首を横に緩く振る。
「罠を確認してから向かうので、先に戻っていてください」
手がかりとしては無駄だろう。どうせ小細工されてるだろうし、脅迫用だとしたらむしろ誰からなのか分かるようになってる筈。
でも、念の為回収しておく。
「お前もすぐに戻れよ」
アレクは、猟銃を構え周りを警戒しながらそう鋭く言う。
私がその言葉に強く頷いて立ち上がった時だった。
「やだセルギオス! いっしょにいる!」
サミュエルに抱っこされたアティが、私へと必死に腕を伸ばしてきた。慌ててサミュエルがアティの身体を強く抱いたが、アティは暴れてサミュエルの腕を解こうとする。
私は、アティの頬の傷に触らないようにして、そっと彼女のほっぺたを両手で包み込み、そして額をくっつけた。
「アティ。大好きだよ。結婚はできなくても、ずっとずっとアティが大好きだよ」
私のその言葉に、アティはコクコクと小さく頷く。
「アティは、みんなの所に居た方が安全なんだよ。だから、アティはサミュエルとアレクと一緒にみんなの所に戻って。
私はみんなに姿を見せてはいけないから一緒には行けないけれど……
私は、影からアティの事を守るよ。アティが見えない所から、アティを守るよ」
アティの
でも、アティはイヤイヤと首を横に振った。
私は笑って、アティの傷のない方の頬をさする。
「好きと言ってくれてありがとう。
私は、その言葉だけでもっともっと、強くいられるよ」
真剣にそう伝え、私はアティから身体を離した。そして、アティを抱いたサミュエルの肩を押す。
「サミュエル、行ってください」
最後にそう伝え、私は背中を向ける。
アティが泣いてる声が背中に突き刺さった。
私がアティに姿を見せ続けたら、アティはここに残りたがる。
私はそのまま、アティたちに見えないように、藪をかき分けて森の中へと姿を消した。
***
木の幹に背中を預け、歯を食い縛る。
そして一気に、二の腕に刺さった矢を引き抜いた。
「ぐぅッ……!」
腕に走る激痛に、全身から汗が吹き出した。
クッソ。こんなもん使いやがって……
私は引き抜いた矢を地面に叩きつけ、布を腕に押し当てた。
布が血で赤く染まっていく。しかし、圧迫するとその勢いは少し緩くなった。
幸い、太い血管には当たらなかったな。二の腕の表側だったからかも。裏を掠めたらヤバかったな。
クロエが用意してくれていた男装用のジャケットには、肩や腕、身体前面と背部など、部分部分の裏側に、鎖と硬く締められた革で編まれたモノが縫い込まれていた。
こんなに固める必要ある? とクロエに突っ込んだ自分がアホらしい。これがなかったら、矢の勢いで二の腕の肉が半分抉り飛ばされてただろう。
クロエ、ありがとう。
敵さんは、早速本気で来始めたな。恐らく、本隊が到着したからだろう。今までのような『ちょっと軽く怪我をさせる程度』ではなくなってきた。
当たりどころが悪ければ、当然死んでた。
アティも危なかった。
そっちがその気ならこっちだって。
思う存分暴れさせていただくわ。アティに傷をつけた代償、必ず払わせてやる。
痛みに心拍数が上がる。
私は落ち着けるように深呼吸を繰り返した。
毒は、塗られてなかったか。当たりどころが悪けりゃ死ぬけれど、絶対に殺す、という意志は見て取れない。
そりゃそうだな。殺したら脅迫にならない。
ツァニスの大切なものを、何度も何度も繰り返し傷付ける。そうやって、脅迫は望みが叶えられるまで続けなきゃ意味がない。
ラエルティオス伯爵家の目的は、ツァニスの心を折って、公的に侯爵という爵位をラエルティオス伯爵家に移譲させること。
いやらしいヤツらだな、ホント。公的な記録に残らなければ、どんな汚い事もやってのけるって事だ。
……いいよ。その方法、嫌いじゃない。
バレなきゃいいんだよバレなきゃ。
綺麗事だけでは、望みは叶えられない。
だから、こっちも遠慮なく同じ手を使わせてもらうわ。吠え
そろそろ動かなきゃ。そう思って木の幹から背中を離す。
と、その瞬間。
グラリと地面が揺れた。
あれ、おかしいな、毒は塗られてなかったと思うんだけど。
あ、違う。これは迷走神経反射。ヤバイ。貧血起こす──
私は立っていられなくなり、ズルズルと木の根元に座り込んだ。
息が苦しい。私は顔を隠していた布を下ろした。
大丈夫だ、大丈夫。迷走神経反射では死なない。落ち着けば貧血は治る。
落ち着け、落ち着け……
私はゆっくりと目を閉じて、細くゆっくり呼吸をする。
大丈夫、大丈夫だよ自分。
アティも無事だった。傷も深くない。痛いけど、痛みは他の事を考えれば忘れられる。
こんな事ぐらいでは、私は挫けない。負けない。
大丈夫、大丈夫……
痛みを忘れるため、他の事を考えようとする。
──辛い。
いや、大丈夫。まだいけるよ。私はそんなに弱くない筈だ。
──痛い。
仕方ない。これが自分が選んだ道だから。傷つくのは怖くない。だから、痛みも仕方がない。
──怖い。
怖くない。味方は沢山いる。みんなが協力してくれる。だから、怖くないよ。
大丈夫……大丈夫……
「……大丈夫か」
その声とともに、頬を誰かに触れられた。
しまった! 痛みを忘れる事に集中しすぎて周りの気配に気づかなかった!!
驚きの余り身体が硬直する。身体を引こうとしたが、木が邪魔で引くことが出来ず。
目を開け身構えようとして──
すぐそばで、膝をついて心配げに私を見下ろす、獅子伯の顔が目に入った。
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