第245話 厩務員になる子を紹介された。

「先程の話ぶりから、馬が好きなのだという事はとても良く感じ取れました。願ってもいない人材です。

 しかも、先程アティを助けてくれた時、馬に鞍も手綱もナシで乗って馬を操っていましたね。

 物凄い技術です」

 そう語りつつ、私はあの時のことを思い出す。


 アティを助け出してくれた後、改めて見てみると、馬に乗るための馬具を何もつけていない状態だった。

 妹④デルフィナも裸馬に乗れるけれど、それと同じぐらい……いや、もしかしたらそれ以上かも。

 私がそう褒めると、マティルダはまた俯いてしまった。

 ……あ、もしかしてアレ、照れてるの……かな?

「しかし、そこまで優秀な方ですと、こちらとしてはむしろ役不足になるのではないかと心配です。

 構わないのでしょうか?」

 そう、そこが心配。

 勿論優秀に越した事はないけれど、ウチでやってもらえる仕事はあくまで厩務員。それとは別業務として、別途アティに乗馬を教えてくれるとしたら願ったり叶ったりだけれど……なんか、勿体無くない? それぐらいしか、仕事ないよ?


 私の言葉に、レアンドロス様はクシャリと顔を歪ませて笑顔になる。そしてマティルダの方を見た。

 見られたマティルダは、私たちから少し視線を外すと──

「厩務員という話だったけど、現状を聞くと専門の調教師がいないみたい。恐らく兼務になると思われる。そもそもメルクーリでは調教師と厩務員は別の専門性のある仕事だけれど、カラマンリス邸はそうじゃなさそう。いや、そもそもあくまで一つの屋敷・家庭において厩務と調教を別で雇うという事自体が、車が移動の主要手段になりつつある昨今では贅沢以外の何物でもないはず。カラマンリス邸がどれ程馬に力を入れてるか正直分からないので、詳しくは現地で現状の厩務員に話を聞かないととは思うけれど、私個人としてはむしろ、少ない頭数であればそれだけ個々の子達に注力できるし、可能であれば王都近くの馬の利用数や系統の調査も行いたいし、人の出入りが激しいのであれば馬の数も相対的に多い筈だし、統計値を取るにはこれ以上ふさわしい場所がないと思う」


 ……立板に水、とはまさにこの事だね……

 ワンブレス、ではなかったけれど、こちらが口を挟む余地がない程の早口だったなぁ。

 ツァニスも驚き顔で固まってる。

 ええと……

「……つまり?」

「問題ないそうだ」

 私の問いかけに、レアンドロス様が苦笑しながら頷いた。

 凄いな。今までの人生で聞いてきた中で、一番長い『YES』の返事だったな……

 確かに、クセは強そう。

 でも、悪い子じゃなさそうだなぁ。

 身元をレアンドロス様が保障してくださるワケだし、悪い話では絶対にないと思う。……多分。

 っていうかね。

 そこはかとなく、懐かしい感じがした。

 こんなタイプの人と、遠い遠い昔に会った事があるなぁ。

 思わず思い出し笑いしてしまった。


 その様子を見て、マティルダがまた俯いてしまった。

 ああしまった!

「すみません! 貴女がオカシイと笑ったワケではないのです。失礼しました」

 私は慌てて頭を下げる。

 しかし、マティルダは俯いたままだった。

「分かってる……私は、人付き合い、苦手だし……変て、言われる……」

 先程とは打って変わって、物凄い小声で辿々たどたどしい言葉。

 そんな彼女に

「変だと思っていませんよ!!」

 思わず前のめりになって否定してしまった。


 私の勢いに、マティルダを始め、獅子伯もツァニスも驚き顔。

 慌てて取り繕う為に咳払いを一つ。……ワザとらしかったかな……?

「マティルダが頭の回転が速く聡明である事は、先ほどの言葉で理解出来ました。

 一つの事に造詣が深く、それを、あまり知らない私達に理解してもらう為に、説明したくなったのだと分かります」

 分かる、分かるよ。

 あまり知らない人に、分かりやすく説明しようと思った時、ついつい前提となる条件なども一緒に説明しちゃって、話が長くなるって事。私にも覚えがあるよ。

「説明を嫌い、抱え込んでしまうのは困ってしまいますが、そうではありませんし。

 人付き合いは練習と慣れです。

 しかし、マティルダがそれが苦手であるというのであれば、無理する必要もありません」

 私がそう説明すると、マティルダはホッとした表情をした。獅子伯も嬉しそうに顔を綻ばせる。


「私は、是非マティルダにいらして頂きたいです。ツァニス様は?」

 そう問うと、ツァニスは目をしばたかせてから、コックリと頷く。

「ああ、よろしく頼む」

 そう呟いて微笑んだ。


 私達の言葉を聞いて、レアンドロス様がフゥと大きく息をついた。

 そして、マティルダの背中をポンポンと叩く。

「良かったな、マティルダ」

 そう呟くレアンドロス様の目は……本当に優しげだった。

「うん。良かった、レオ」

 返事をするマティルダも、真っ直ぐにレアンドロス様の目を見て、ニッコリと微笑んでいた。


 二人の間に、言葉にはよらない──信頼と、それ以上の何かが、見えた気がした。


 ***


「妹じゃねぇの?」

 そうあっけらと言うアレク。

 その言葉に、私は眉間に皺を寄せて首を横に振った。

「レアンドロス様に、歳の離れた妹はいない……」

 一度メルクーリ家の嫁になった事があるからね。家族構成はよく知ってる。

 レアンドロス様が長男、そのすぐ下に妹が二人、そして末弟がレヴァン元夫だ。

 あんな、二十歳そこそこの妹はいない。

 私は複雑な気持ちになり、顔を手で覆って俯いた。


 夜。子供達が寝静まった後の事。

 私とマギー、そしてアレクの三人で、別荘の居間でワインを飲んでいた。

 アンドレウ夫人には、『夜更かしはお肌の敵』と断られた。刺さったよその言葉……

 アティには、クロエがそばについていてくれている。

 ツァニスとアンドレウ公爵、獅子伯は、サミュエルや一部の執事たちを連れて、別の場所で『男同士の会話』とやらをしに行っていた。


 暖炉の火がぜる。

 ワインを手酌でグビグビ飲むマギーが、手にしたグラスを空にしてから

「妹ではないとして、貴女にどんな影響が?」

 バッサリと吐き捨てた。

 激痛! 言葉が相変わらず鋭利ですことっ……

「あー。だよなー。だって、もうって思ったんだろ? じゃ、気にすんなよ」

 アレクの言葉も容赦ない!!


 ……ですよね。

 そうなんだよね。

 そうなんだよ。

 決意したじゃん。レアンドロス様と距離を置こうって。

 だから、レアンドロス様とマティルダがどんな関係であろうと、私は気にするべきじゃないんだよ。

 でも……どうすりゃ気にせずに済むんだよっ……

 ああもう、ツァニスの事言えないっ……


「ま、妹じゃないとしたら、従姉妹いとこかもしれませんね」

 マギーは注いだワインをクルクル回しながらそう呟く。

「……なのかな? でも、従姉妹いとこだとしたら、貴族……だよね? でも、そんな風には見えなかった」

 いや、もしマティルダが貴族なのだとしたら、私以上に貴族令嬢らしくない令嬢だよ。

 敬語を使ってなかった──というか、使えないようだったし、格好もラフだった。

 それに、仕事を探してた。貴族子女なら、結婚が最優先になり仕事は二の次だ。あんな、婚期ど真ん中の若い女の子が、仕事を探すって……

 しかも、それをレアンドロス様が世話をしてるって……ああああああ!!


「マギー、私の記憶を消して……」

 私は無理を承知でマギーにそんな事をボヤく。

「頭部への衝撃で記憶を無くした例がありますよね。つまり、死ぬほど強く頭を殴れ、という事ですか。

 嫌ですよ。自分で机の角にでも頭をぶつけて下さい」

 優しくない! 優しくないよマギー! 分かってた!!


 どうすりゃいいのか本当に分からず、私は椅子の背もたれに背中を預けて天を仰いだ。

「どうして気持ちって自分の思う通りにならないの……」

 そうボソリと呟くと、一人お茶を飲んでいたアレクが、小さくため息をついた。

「そうだな。思う通りになると、生きるのが楽になるのにな」

 その声は、アレク自身がその事を一番よく理解できる、というような声だった。


「嫉妬したくない……嫉妬する権利もない……こんな身勝手な気持ちを、他人にぶつけたくない……」

 私は天井の模様を眺めながらそう呟く。

 マティルダはアティを助けてくれた。厩務員として余るほどの能力と才能を持ってる。

 私の身勝手な感情で、マティルダに悪い気持ちを向けたくない。

 なのに、真っ直ぐに彼女を見れない。

『レアンドロス様と彼女の間に何があるのか』

 それが気になって、歪んだ見方を彼女にしてしまう。そんなの嫌だ。彼女とレアンドロス様との関係は、私と彼女の関係には無関係なのに。


「本人に確認するのが、手っ取り早いんじゃねえの?」

 アレクの言葉。

 あー……

「だよね……」

 それは、分かってるんだけど……そうだよね……

「レアンドロス様には流石に聞けないから、マティルダに聞こうかな……」

 マティルダの口から聞ければ、こう、なんとか、決着つけられるかな。

「獅子伯にお伺いすればいいではないですか。嫉妬の原因はそちらでしょう?

 彼が彼女をどう思ってるのか。

 遠回りせず、直接フラれてきた方が、ケリが早くつきますよ」

 マギーのそんな言葉が、グッサリと胸に突き刺さった。

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