第239話 子供たちが興奮していた。

「確かに。あの、存在感を希薄にできる能力は、あれはおそらく彼自身が元々持つ資質でしょうね。斥候せっこうか偵察か、諜報員スパイとしても有効でしょう」

 ヴラドさんもアレクの言葉を受けて、ベネディクトの背中を見つつウンウンと頷いていた。

 二人の会話に獅子伯が振り返る。

「そうだな。貴重な資質だ。しかもまだあの歳だ。他にも恐らく沢山の才能があるだろう」

 獅子伯もそう同意した。


 ええっ!? ベネディクトを軍人にすんのっ!? ちょっと……それはどうしよう!?

 いや、ベネディクトがそうしたいって自分から言ったらそりゃ止めないけれど……でも、今はダメだよ!? 彼は今、お願いされた事や言われた事についてYESとしか返事できないからね!? 連れてこうとしたら全力で止めるからね!?

「あのっ……そのお言葉は嬉しいですが……」

 私はおずおずと、話す三人に声をかける。

「その『軍に』って話は、まだベネディクトにしないでくださいね。彼はまだ、自分の道を選べる程世間を知りませんから」

 ベネディクトの能力を買ってくれる事は嬉しい。でも、スカウトにはまだ早い。

 私はそれとなくそう三人にお願いした。

 すると獅子伯は

「分かっている。俺は少年兵には賛同しかねる。誘うとしたら、彼が成人してからだ」

 苦笑しながらもそう答えてくれた。


 私が獅子伯の言葉にホッとしていると

「セレーネ様ー」

 私たちから少し離れた草原で、ゴロゴロ転がっていたハズのベネディクトに呼ばれた。

 私が顔を上げると、エリックの肩を抑えたベネディクトが、顎をしゃくって地面を示していた。

 ……ああ、なるほど。

「ありがとうございますー」

 私はそうベネディクトにお礼を言い、そばにいるルーカスに視線を送る。

 彼は私の視線を受けて、ベネディクトたちがいる方へと小走りに寄って行った。


「どうしたのー?」

 ルーカスがあっちへ走っていった背中を、アティが首をかしげながら見送る。

 私は笑顔でアティの方へ振り向いた。

「ウサギの巣穴があったんですよ。危ないから埋めてもらいに行ったんです」

 私がそう答えると、今度はベルナが不思議そうな顔をする。

「なんでウサギのすあながあぶないの??」

 ああそっか。ベルナとアティは知らないのか。そりゃそうか。

 私が説明の為に口を開こうとすると

「ウサギの巣穴は、馬が走る時に穴に足を取られて怪我をする事があるんだよ」

 先にゼノが説明してくれた。さすがゼノ、やっぱりメルクーリの人間だね。よく知ってる。かくいう私も、野兎の巣穴の事を知ったのは最初の結婚の時だったけどね。ベッサリオンのウサギは、木の根元とか岩場の影に横穴を掘ったりしてたから。


「でも! そんなことをしたら、ウサギさんこまっちゃうよ!」

 ベルナが、心底悲しい顔をしてゼノに抗議する。ゼノは苦笑い。

 今度は代わりに私が口を開いた。

「大丈夫ですよベルナ。ウサギの巣穴の出入り口は一つじゃないんです」

 ベルナは優しいね。人間の都合でウサギの家を壊しちゃ可哀相って思えるんだね。その気持ちは持ち続けてほしいな。

「そうなの?」

 アティが小首を傾げてゼノを見上げる。ゼノは笑顔でコックリ頷いた。

「だって、家の出入り口が一つだったら、そこでキツネや狼に待ち伏せされて食べられちゃうでしょ?」

 そうゼノが解説すると、アティとベルナがほぼ同時に『そうか!』という顔をした。ダブルで可愛いッ!!


 いつの間にか、ストレッチそっちのけでウサギの可愛さを語るアティとベルナを微笑ましく思いつつ、私はルーカスの背中の方へと視線を向けた。


 ***


「だんちょうっ……ゼノがっ……すごいんだっ……!」

「きれいなの! すごいの!!」

 エリックとベルナが、鼻の穴を広げて頬っぺたを真っ赤にし息を荒らげて、私にそう報告してきた。

 昼下がりの夕方前の時間に、談話室でツァニスや獅子伯、アンドレウ公爵夫妻といろいろ話している時の事だった。


「あ、そうな──」

 そう返事をしきる前に、エリックとベルナが私の両手をガシッと掴む。

「こっちだ! はやくっ!!」

「すごいのっ! すごいのっ!!」

 踵を返した二人は、私の両手を掴んだまま突然のダッシュ。慌てて腰を浮かして二人について行ったがっ……

 ちょい待て二人とも! 幼児二人に合わせた中腰ダッシュキッツ!! コケるコケるコケる!!!

 アンタらいつの間に仲良くなったの?! ベルナ! あの初日の敵意はどこ行った?!


 二人に連れられて来たのはゼノの部屋。

 中に入ると、床の上に敷かれたシーツの上で、黙々と彫り物をしているゼノが真っ先に目に入った。

 その後ろにあるベッドの上に寝そべって、ウットリ見つめるアティとニコラ、同じくベッドに腰掛けたイリアスとベネディクトが、ゼノの手元をマジマジと見ていた。

「ホントに彫ってたんだ。凄いな……」

 感嘆の声を上げたのはイリアス。

 アティはニコニコとして

「そうなの。ゼノすごいの」

 まるで自分が誉められた時のように、照れた顔をして答えていた。


 さかのぼる事ちょっと前。

 メルクーリ伯爵家別荘自慢の大浴場はやっぱり最高、もし良ければタイミングを見てエリックも私が風呂に入れるよと、エリックの子守ナニーや家人たちと話している時だった。

 まるでこの世の終わりのような絶望の表情をしたエリックが、私の元へとトボトボとやってきた。

「だんちょう……まほうのいし……なくなった……」

 消え入りそうな声でそうポツリと呟くエリック。

 魔法の石? 何の事だ? と思っていたら、エリックの子守ナニーがそっと耳打ちしてきた。

 どうやら、冬休みにあげたあの綺麗な青い透明な石鹸を、アンドレウ公爵領に行った時になくしてしまったらしいのだ。

 どこに出掛ける時もお供に持たせて、手を洗ったりする時に必ず使っていたらしいが。

 多分、どこかに忘れてきてしまったのだろうという事だった。


 勿論、今回もあの透明な綺麗な石鹸は沢山持ってきていた。どうせまた使うだろうと思って。

 ソレをあげようと思ったけれど。

 ふと思いついた私は、ゼノにお願いした。

 エリックの為に、透明な緑の石鹸をざっとでいいのでドラゴンの形に彫ってくれ、と。

 ゼノは笑いながら引き受けてくれた。


 私たちがゼノの部屋に辿り着いた時には、もう仕上げの段階に入っていた。

 手にしたドラゴン型石鹸をクルクル回し、ちょっと削ってはまた見直して、を繰り返してる。

 周りの喧騒は、ゼノには聞こえていないようだった。相変わらず凄い集中力だね。

「よし」

 ため息と共にそう吐き出したゼノは、やっと私達がゼノの周りを取り囲んでいる事に気がついたんだろう。肩をビクリと震わせて、驚いた顔で私たちを見上げてきた。

 その中にエリックを見つけたゼノは

「ハイ、エリック様」

 出来上がったドラゴン型の緑の石鹸を、エリックへと差し出した。


 ドラゴン(石鹸)を目の前にしたエリックは、震える手でドラゴン(石鹸)を受け取る。

「これを……お(↑)れ(↓)に……?」

 ドラゴン(石鹸)とゼノの顔を交互に見るエリック。顔がゆっくりと紅潮してくのが分かった。鼻の穴、もうそれ以上広がらないよね。

「うん、そうだよ。使ってね」

 ゼノが笑ってそう声をかけると、エリックはドラゴン(石鹸)を胸にギュウッと抱きしめる。

 そして肩を震わせ──って、エリック泣いてる?! どんだけ嬉しいのっ?!

「あれ? コレじゃダメだった?」

 多分ゼノは、エリックが飛び上がって喜ぶと思っていたんだろう。予想と違い黙ったまま震えるエリックに声をかけた。

 エリックは顔をブッチャイクに歪ませて緩く首を横に振ると、ボロボロ泣き嗚咽おえつを漏らす。

「ゼノっ……すごいぞっ……こんなのっ……すごいぞっ……」

 むせび泣くエリックに、ゼノはホッとした顔を向けた。

「エリックよかったねー」

 そう声をエリックにかけて、その頭をナデナデしたのはアティ。エリックは小刻みに首をブンブン動かし、アティに返事をしていた。アティもなんだか凄く嬉しそう。


「うわ。アティ様のあの口調、誰かさんソックリ」

 そんな不満げな声は不意に背中から。マギーだな。

 なんですか、ダメなんですか、娘が母に似てはいけませんかねぇ?!

 そう非難の意味を込めて後ろを振り返ると。

 マギーは、物凄く眩しそうな、そして朗らかな笑みを浮かべてアティを見下ろしていた。

 今度は私が驚愕きょうがく。なんて顔をするんだマギー! セリフと一致してませんよ?!

 天下のマジもんの魔王様がなんて慈愛の微笑みを?! 世界のことわりが変わる!!

 ……言わない。言わないけどね。そんな事突っ込んだら、この世に生まれた事を後悔させられそうだし。


 石鹸彫りが終わったゼノは、立ち上がって削りカスが付いた足をパタパタとハタいた。

 そんなゼノの前にしゃがみ込んだベルナは、削りカスの中から小さな緑色の粒を拾い上げる。

 ちっちゃな掌に緑色の石鹸のカケラを乗っけて、ソレを目の高さに掲げてキラキラした目で魅入っていた。

「キレイねー……」

 ハフゥと、感嘆のため息を漏らすベルナ。

 あー確かに、宝石みたいに見えるよね。

「細かいの、欲しい?」

 キョトンとしたゼノが、ウットリするベルナにそう尋ねると、彼女はツンとした目を大きく見開きゼノの顔を見上げた。

「っ……」

 ベルナが、思わず息を飲んだのが分かった。

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