閑話

閑話 ある執事兼私兵の手記

 私は長年、ベッサリオン伯爵家で執事兼私兵としてお仕えしております。

 もう三十年以上になるでしょうか。


 今回、セレーネ様がお帰りになった事は、心からお喜び申し上げました。ハイ。

 ……そのですね。僭越ながら、親にも似た感情を持っておりますので。

 本当に嬉しかったですよ。


 いや、セレーネ様が帰って来た時の領民と家人たち、そして妹君たちや弟君のテンションたるや。ええ、私も思わず浮足立ってしまいましたけれども。

 一種お祭り騒ぎとなりましたね。

 セレーネ様は様々な人たちから慕われておりますから。それも頷ける話でございます。


 先代はご存じありませんが、セレーネ様は領民と伯爵家との間を取り持つ、いわば架け橋のような存在でございました。

 ああいう方ですから、気さくで分け隔てなく人と接します。領民たちもセレーネ様を伯爵令嬢としてではなく、同じ場所に住む若い娘のように扱っていましたからね。

 時には作業を手伝ったりもしていらっしゃいましたから。とても距離が近かったのだと思います。

 しかしそれでも伯爵令嬢です。上手く領民たちから不平不満を聞き取り、その先にある本質的な要件を抽出し、整理しまとめさせて伯爵家へ提出させていましたから。

 あれは、今は亡きセルギオス様と思いついた事だそうです。

 そうでした。セルギオス様もよく城下町へ降りて、領民たちとお話をしておいででしたからね。

 今は、妹君がたや弟君が同じ事をしておいでです。

 そのおかげか、少なくとも城下町は随分と良くなった気がしますよ。

 懐かしい。あの頃、護衛として付き従っていたのは私でしたからね。


 しかし……先代の、あの態度は。お仕えしている方なので大っぴらには言えませんが……その。どうにか、ならないのでしょうか。

 私は一介の執事兼私兵でしかありません。ご意見など到底できる筈もありませんが……正直、少しやり方には疑問がございました。

 昔はこうではなかったような気がしますが……セルギオス様が亡くなった辺りから、少し変わったように感じます。

 セレーネ様への当たりが強くなったのもその頃です。

 いえ。セレーネ様ご自身もセルギオス様がいなくなった頃からお変わりになられましたね。生きる気力を失っているようにもお見受けしました。

 その後、すぐにメルクーリへと嫁いで行かれましたが……怪我をなされた挙句、離婚ですからね。

 正直、なぜこの方ばかりがこんな目に遭わなければならないのだろうと思ったものです。


 ……実は、私たち夫婦には子供がおりません。欲しかったのですが……最後に妻が死産した後は……ついぞ授かる事はできませんでした。

 そんな我々夫婦から言わせていただければ、何故あのようにセレーネ様を扱いになれれるのか、本当に分かりません。折角授かった命を……女の子だからなんだと言うのです。あのような可愛らしく聡く元気な方を授かれて、幸運以外の何物でもないではないですか。

 確かにセレーネ様は少し変わっておいでです。少しですよ、少しです。剣をたしなみ馬をる、大変活発な方でいらっしゃいます。

 え? ……ええ。そうですね。僭越ながら、剣のお相手をし、護身術などもお伝えしましたね。

 ……え? 剣術大会? はて。何の事は存じ上げませんね。


 今回は正直、どうなる事かと思いました。

 デルフィナ様の結婚話をしている時、予想通り先代はデルフィナ様に発言を許しませんでした。案の定、セレーネ様がその事を指摘され……

 いや、まさかその場で手をあげられるとは正直思いませんでした。

 え? ハイ。咄嗟にタックルしたのは私です。

 あの場をおさめる為でした。セレーネ様には申し訳ありませんでしたけれどね。

 先代が侯爵様子爵様の前で、あらゆる罵詈雑言をセレーネ様にぶつけるのを見たくなかったのです。あの場で先代を抑えれば、更に激高し手が付けられない状態になっていたでしょう。

 止める為でした。本当にセレーネ様には申し訳ない事をしてしまいましたが……


 しかし。二度目は止められませんでした。

 本当に不甲斐ないです……

 そして、あのような暴言を実の孫にぶつけるなど。いくら激怒していたからといって、言って良い事と悪い事がございますよ。何故あのような事が言えるのでしょうか? お仕えする方ではありますが、正直──


 セレーネ様をお守りできなかった……本当に、忸怩じくじたる思いでした。

 今回の事で、家人含め皆が先代の行動に疑問を持ちました。

 確かにあの方は色々な事に剛腕でいらっしゃった。しかし裏を返すとやり方が強引過ぎる所がおありになるのです。過去は上手くいく事もあったでしょうが。

 正直、家人たちや領民の中には、あまり好いていない人間もいました。勿論、好いている人たちもいましたがね。しかし、セルギオス様とセレーネ様を見て彼らと比較してしまうとどうしてもね……


 ……何故、セレーネ様がベッサリオンの領主になれないのでしょうか。

 領民に聞けば、おそらく大多数の賛同が得られるでしょう。勿論、中には女性には領主は務まらないという方もいらっしゃるかと思いますが。

 セレーネ様を性別で区切るなど笑止千万です。剣術大会で──ゲフンゲフン。いえ、なんでもありません。


 お戻りになられた時のあのセレーネ様のお顔が……忘れられません。

 酷く傷ついていらっしゃるのが見てとれるにも関わらず、皆に心配かけまいと笑顔でいらっしゃった。このような方なのに何故……何故、あの方の良さが見えない方がいらっしゃるのか、その方が私には理解しかねますね。


 ……。

 ……ええ。その後、毒を盛られお倒れになられましたね。

 私はその場にはいなかったのですが……後から聞いて……血の気が引きました。

 なんとか持ち直され、本当に良かったです。

 そして、その後、事の真相を聞きました。

 よくできた作り話かと思うぐらいでしたね。そのような事が裏に隠されていようとは。確かに確証はあまりありませんでした。

 しかし、子爵のあの行動を見れば、セレーネ様の予想が的中した事を理解しましたよ。嫌でもね。

 そしてその後に引き起こされた後の事も……

 何故、あの場になっても先代はセレーネ様のお言葉をお聞きになろうとしないのか。何故なのか本当に理解しかねます。


 結局、今回事を裏で収めたのもセレーネ様です。

 先代はご存じではないですが。

 セレーネ様がいらっしゃらなければ、先代も侯爵様もデルフィナ様も、そして救出の為に向かった私兵たちも、全員が死んでいたんですよ。

 しかし、ついぞセレーネ様はその事をおっしゃらなかった。

 あの方は、自分がした事を本当にひけらかさない。興味がないのかと思うぐらい。いや、本当に興味がないのでしょう。自分の名誉よりも、他人が助かった事の方が大切なのでしょうね。

 いや、本当に、なぜセレーネ様が領主になれないのか……


 ま。良いです。

 伯爵様と奥様のお陰で、先代は実権を実質失いましたから。

 すぐにその御威光は廃れないでしょうが、それも時間の問題です。


 ……一つ、不満を言わせていただければ。

 セレーネ様の夫──侯爵様についてですね。正直、少し、頼りない。

 いや、最後の最後に色々申されておりましたが。

 それは、ええ。少しだけ胸がすく思いでしたが。少しですよ、少し。

 え? ええ。先代とかなりの言い合いもさなっておりましたが。

 言い負かせない時点で──ゲフンゲフン。いえ、言葉が過ぎました。


 確かに、確かにセレーネ様はお強い。母君譲りの強さです。

 しかし、いつ何時でも強くあられるワケではありません。

 私はあの方がまだ赤子の時から存じ上げておりますからね。幼少の頃は、膝を抱えて物置に蹲り泣いていた事も見ています。屋敷の屋根、大木の上や小川のほとり、洞穴や岩の影など……いや、そういえば、悔し泣きしながら逃げたセレーネ様を、よく探しに行きましたね。あの方は色々な所に潜んでいるので、探すのが大変だった……

 いつの間にか、人前ではお泣きになることはなくなりましたが、人の本質は成長してもそれほど変わりません。おそらくあの方は、人前で泣くのをやめただけでしょう。


 なので、出来れば、そんな彼女を守れるほど強い方が、そばにいらっしゃればいいな、と思っています。

 いえ、違いますね。あの方と並び立てる程強い方、と申した方が正しいかと。

 セレーネ様は、守られたいと思っていらっしゃらないようなので。昔からそうでした。ゲストでいらっしゃった貴族の方に食ってかかることもございましたよ。

 先代や奥様に怒られていらっしゃいましたが、私はあれは貴族の方が無礼だからだったと知っています。子供だとあなどって、酷い事を平気で仰る方も多かったですしね。そんな時は、他の家人たちとお慰めした事もございました。


 ──親のような気持ちで? ……ええ、そうですね。僭越ながら。

 娘を見守るような気持ちでおります。勿論、そんな事はご本人には申しませんがね。


 まだまだセレーネ様は危険の渦中にいらっしゃいます。

 できれば、心穏やかに過ごせるようになっていただきたいですね。

 本当に、心からそう思います。

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