第232話 子供達に話に来た。
両親とツァニスとの話し合いの後。
私はベネディクトとベルナがいる部屋に、ツァニスと共に訪れた。
「ベネディクトの養子の件は、カザウェテス子爵が起こした問題で白紙に戻します」
部屋でベッドに並んで腰掛けるベネディクトとベルナに、そうゆっくりと説明する。
──少し、ベネディクトの表情が動いた。
安堵。ほんの少しだけ、彼の口の端に笑みがのぼった。
「しかし、カザウェテス子爵家はこの後どうなるか分かりません。
デルフィナとの結婚話も白紙となった為、貴方たちには庇護者がいません」
正確に言うと、恐らくいる。ベネディクトの生家、ラエルティオス伯爵家だ。
しかし、みすみす子供たちをそんな鬼の棲家にやるつもりなぞサラサラない。
「なので、貴方達二人が成人するまで、もしくはベネディクトが成人するまでは、私たちカラマンリス侯爵家に逗留してもらう事になります」
私がそう告げると、ベネディクトの目がまん丸に見開かれた。
「ただし、それを貴方達が希望すれば、です。貴方達には選ぶ権利があります。
伯爵家へ行くか、侯爵家へ行くか、もしくはベルナの生母の実家という選択肢、他にも、もし貴方がたに希望があれば、私たちはソレを叶える為に尽力します」
本当は傍にいて欲しいけれどね。
ベネディクトが道を踏み外さないか心配だし、ベルナは……可愛いくて良い子だから。アティの良い友達になってくれそうだし。
ベネディクトとベルナは、お互いの顔を見合わせてから困ったような顔をしていた。
だよね。知ってる。分かってる。
私はニッコリと笑った。
「すぐに結論を出す必要はありません。
今回は私たちと一緒にカラマンリス邸へと戻り、そこでゆっくり考えてください。
時間はあります。沢山時間をかけて沢山考えて、必要なら色んな人に話を聞いて、自分達にとって一番良いと思う結果を出してくださいね」
私がそう告げると
「お兄ちゃんはベルナのお兄ちゃんのままなの?」
ベルナがそう問いかけてきた。
私は力強く頷く。
「そうですよ。今までと同じようにこれからも、ベネディクトはベルナのお兄ちゃんですよ」
私の言葉に、ベルナが満面の笑みを浮かべた。
可愛いなコンチキショウ! アティは可憐な見た目でフンワリさんだけど、ベルナは子猫みたい!! 猫に嫌われる猫好きと知っての狼藉かけしからん!!
「ベネディクト」
私は、困惑するベネディクトを改めて見つめた。
「これからも、何か希望があったら言葉にしてください。どんな些細なこと、小さなこと、なんでも構いません。もし口にするのが難しければ、手紙でもいいです。希望を出すのが難しければ、一緒にソレを出すお手伝いをします。
全てを叶えることは難しいかもしれませんが、意見を擦り合わせましょう。貴方がたが生きる為に必要なものは出来る限り提供します。
貴方は自由です。これからは、大人の事情に合わせなくてもいいんですよ」
これはツァニスからの提案だった。
ベネディクトとベルナを、自分のような大人にはしたくない、彼はそう言っていた。
ベネディクトは、ベルナの手をギュッと握る。それに応じて、ベルナはキョトンとした顔で兄の顔を見上げた。
「……ありがとう、ございます」
その時初めて、ベネディクトは私に向かって、ささやかな、それでいて朗らかな笑顔を向けてくれた。
***
ベッサリオン出立の日になった。
私の身体は完全に回復した。毒の量が少なくて済んだからかもしれない。それか、遺伝。
衰えた筋肉復活の為に、腹筋背筋懸垂しているところを母に見つかって、見えないところでやりなさいと怒鳴られた。ですよね。
見送りの為に、玄関にベッサリオンのみんなが勢ぞろいした。
妹④デルフィナ、妹⑤バジリア、妹⑥キリシア、末妹カーラ、末弟ヴァシリオス。
その横には父と母、家人たちがその後ろに並んでいた。
祖父は来なかった。
その向かいには、ツァニスと私、そしてアティ。その斜め後ろにベネディクトとベルナ、更に後ろにサミュエルやマギー、ニコラ、ルーカスを始めとした家人たちが並ぶ。
先に領民たちに別れの挨拶をしたら、みんなに囲まれて握手とハグの応酬をくらい、私の服装は出かける前にヨレヨレになった。
しかも、お土産と称して様々な物を押し付けられたし。遠慮しようとしたんだけど無理だった。みんなそれほど余裕もない筈なのに。嬉しくてちょっと涙ぐんでしまったじゃないか。
いいな。この空気。やっぱり私はこの場所が大好きだ。
「アティちゃん! ベルナちゃん! また来てね!」
「手紙ももっと欲しいなー! 沢山書いてねー!」
「セリィ姉さま! いつでも帰ってきていいからね!!」
「ベネディクト! また遊ぼう! 今度は僕が遊びに行くからね!」
「ワンコ生まれたら見せに行くよ!!」
弟妹たちの相変わらずのマシンガントークに、私は思わず苦笑した。だからそんなに簡単に行ったり来たり出来ない場所なんだっての。頑張ってまた来るけどさ。みんなが来たら喜んで迎え入れちゃうよ。
「元気で」
父がそう笑いかけてきた。私も笑顔で頷く。
「いつでも帰ってきなさい、セレーネ」
そんな言葉を、父は私に贈ってくれた。
しかし母は、私をジロリと睨みつける。
「気軽に帰ってくるものではないですよ。
ツァニス侯爵に今回の帰郷の事情を簡単には聞きましたが……そういう事は先に言いなさい」
いや、あの祖父がいた手前、言えないって。
母の事も誤解してたしさ。
……ま、次回からはそうするよ。
「分かりました」
私が笑顔でそう返事をすると、母はほんの少しだけ微笑み
「身体を大切になさい」
そう、付け加えてくれた。
ひとしきり挨拶を終わらせ、馬車に乗り込んだ。すぐに、窓の近くに弟妹たちが集まってくる。
またね! 元気でね! と口々に別れの挨拶をする弟妹たち。
アティも窓に張り付いて、チョコチョコと手を振りかえしていた。
馬車が動き出すと、名残惜しそうに馬車と併走を始める弟妹たち。
母の「やめなさいはしたない!」という怒鳴り声が聞こえた。
相変わらずの弟妹たち……でも、私はそんな弟妹たちが大好きだよ。
スピードをあげた馬車。
弟妹たちの姿は見えなくなったが、遠くから『元気でねー!』という大声が沢山聞こえた。
流れゆくベッサリオンの風景と手を振る領民たち。私はその映像とその声を、しっかりと脳裏に焼き付けた。
***
列車での移動の時のこと。
ツァニスがサロン室に誘ってきた。
なので、人払いされたサロン室へと行く。
先にいたツァニスは、ウィスキーのようなものを飲みながら、沈痛な面持ちでソファに座っていた。
私に隣に座るよう促したので、大人しくそこに座る。
そして彼の横顔を仰ぎ見た。
ツァニスは、暫く前を向いたまま、無言だった。
「今回の事で……思い知った事がある」
ツァニスが、そうポツリポツリと話し始める。
「私は……頼りないのだな」
自嘲気味にツァニスはそう零して、グラスから酒を一口呑み下した。
「私は今まで、誰かの判断に乗る事が多かった。
そのせいで、咄嗟の時に動けない。
セレーネが最初殴られた時に、驚きが勝って何もできなかった」
ああ、アレか。デルフィナの話を聞いてほしいと、祖父に進言した時の事ね。
「でも私は、ツァニス様がそこで爵位を振りかざさなかった事は、とても嬉しく思いましたよ」
爵位で相手を黙らせては、相手にこちらの意図が伝わらない。
私が二度目に殴られて、祖父とツァニスが大喧嘩した時もそう。
サミュエルの言葉通りだとすると、侯爵夫人を殴るなと抗議せず、自分の妻を殴るなと抗議していたという事だ。爵位を振りかざさないでいてくれた事は、とても好ましいなと思った。
ま、結局は最後はああせざるを得なかったけれどね。
「それだけではない。
下手をしたら、私は何も知らぬまま、また妻を失ってしまうかもしれないところだったんだ……」
ツァニスの顔が
「父のこともアウラの事も、病だと思ってその死を疑った事もなかった」
ツァニスの横顔に、後悔の念が見える。
「それは違いますツァニス様」
私はすぐさまそれを否定した。
「貴方は肉親を亡くし、そして最愛の妻を失ったんです。
その悲しみは冷静な判断力を失わせます。
気づかないのは当たり前なのです。相手はその弱味につけ込んで来ただけです」
私は覚えている。
数年経ってもなお、アウラの死を受け入れられなくて、アティに接することすら出来なくなったツァニスを。
悲しみを悟られまいと、髭を伸ばし表情を隠していた事を。
そんな状態で、死に疑いを持つのは難しい。
ツァニスが、潤んだ目で私の事を見つめてきた。
「セレーネを失っていたら、私は正気を失っていただろう」
その言葉と共に、ツァニスが私の体をギュウっと抱き締めてくる。
その手は、少し、震えていた。
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