第213話 町を散策した。

「あんれセレーネ様! どうしたんだい戻ってきたんかい?」

 私がアティとベルナの手を引いて町の商店街を歩いていると、商店から威勢の良い声をかけられる。その声に振り返ると、肉屋の名物女将さんが私たちに向かって手を振っていた。

 私は笑顔でそちらへと近寄っていく。


 ここはベッサリオンの城下町。

 春を控えていて、みんな浮足立った活気にあふれていた。

 私は、アティ、妹⑤バジリア、妹⑥キリシア、妹⑦カーラ、そしてベネディクトとベルナを連れて、町へとくり出して来ていた。

 それ以外にも、サミュエルやマギー、ルーカスを始めとした傍仕えや護衛たちも一緒に。かなりの大所帯になっていた。

 祖父とツァニス、そしてカザウェテス子爵たちは山へと猟へ向かった。

 祖父が獲れたての鹿を振る舞うと躍起になっていたよ。妹④・デルフィナと末弟・ヴァシィはそっちへとついていった。

 ヴァシィは犬担当として。デルフィナは──


 物凄く意外だったけれど。

 ツァニスの進言で。

 ゲストと狩りへ行く時は、祖父はあまり女を連れて行きたがらないから、当初は行く予定はなかった。ホント、あの人お祖父様そういうの何なんだろう。普通の猟の時は私とかも平気で頭数に入れるクセに。どういう見栄だよ意味分からん。

 ツァニスからの進言なら無碍ムゲにするわけにもいかず、という顔をして、祖父は了承した。

 恐らくツァニスは、私が話した事を踏まえて、デルフィナとカザウェテス子爵が話すタイミングを作ろうとしてくれているのだろう。

 本当にありがたかった。


「ええちょっとした帰郷。女将さんの作ったジャーキーが恋しくなっちゃって」

「あら嬉しい事言ってくれちゃって! 今年は鹿が沢山獲れたから沢山あるよ! もってくかい!?」

「じゃあ、ちょっとだけ」

 そう伝えると、女将さんはバタバタと店の中へと戻っていき、紙袋を持ってバタバタと戻ってきた。

「はいよ! これどうぞ」

 女将さんが紙袋を差し出してきたので、私はマギーから受け取った財布から、適当だと思われるお金を出した。

「いいんだよ持っていきな!」

 女将さんはお金を受け取らず、私に紙袋だけを押し付けようとする。

「そんなワケにはいかないよ! ダメ、お金受け取って!」

「いいんだよ! セレーネ様への今までの感謝と、日頃から妹さんたちが頑張ってくれてるお礼さ!」

 ぐう。そう言われたら受け取るしかないじゃないか。

「ありがとう。みんなで大切に食べるね」

「たくさん食べてまた買いに来ておくれ!」

「うん、そうする」

 私は笑顔で、あらためて女将さんから紙袋を受け取った。


「あらあら。この可愛い子たちは誰だい?」

 女将さんは、私が連れていたアティとベルナを豪快な笑顔で覗き込む。

 アティは体をビクリとさせて私の足の影へと隠れ、ベルナはただ単にその場で固まっていた。

「こっちはアティ。私の娘です。そしてこっちがベルナ。親戚です」

 そう紹介すると、アティとベルナは反射的になのか、スカートの端をつまんでぴょっこりとご挨拶をする。躾完璧かよ! 最高の女の子たちだねまったくもうけしからん!!

「お嬢ちゃんたちにはジャーキーはまだ早いかね」

「あ、いや。アティはジャーキー大丈夫だと思います」

 なんせ、ジビエ料理大好きな肉食系女子だからね。私は貰った紙袋の中から、小さなジャーキーを取り出してアティとベルナに手渡す。

「食べてみて。おいしいよ」

 手渡された二人は、目を真ん丸にしてお互いと手にしたジャーキーを見比べていた。

 そこで私は、ベネディクトや妹たち、そしてサミュエルやマギー、ルーカスなど全員に貰ったジャーキーを手渡した。そして自分も一枚とり、二人に向かって食べて見せる。

 スパイスとハーブの辛みと肉のうま味、そしてちょうどよい塩気が口の中いっぱいに広がった。

 本当にお世辞抜きで、この女将さんの作るジャーキーは世界で一番おいしいんだよね。

 妹たちはすかさずジャーキーにかぶりつく。サミュエルやマギーたちもジャーキーを口にした。ベネディクトだけは、ジャーキーを持ったまま口にせず、じっとこちらをうかがっていた。

「美味しいですよ。食べてみて下さい」

 私はそう言って、ベネディクトに向かってジャーキーを頬張って見せた。

 すると、恐る恐るジャーキーを口にするベネディクト。

「どうですか?」

 小さく噛みちぎってモグモグすら彼に問いかけてみた。

「肉の味がする」

 そうだね。するね。確かに。間違いない。

「ベネディクトはこの味は好きですか?」

 更にそう問いかけてみると、彼は少し視線を巡らせたのち

「多分」

 そうポツリと呟いた。


 それを見たアティとベルナも、恐る恐るジャーキーに噛みついた。

 固いからなかなか嚙み切れないのか、顔を真っ赤にしつつブチャイクに歪ませて。

 もうその様子が萌えツボ連打されまくり! アティたちのこんな顔を見るなんて。贅沢以外のなにものでもないね!

 ブチリという音を立ててなんとか一口食べられたアティが、口をモグモグさせた後キラキラと目を輝かせる。

「おいしいっ……」

 やっぱりね。予想通り。アティは好きだと思ったんだ。

 対してベルナは、ジャーキーをくわえたまま固まっていた。

「かたい……」

 あー。そうか。こういうものを食べたのは初めてか。貴族令嬢はジャーキーとかかぶりつかないもんなのかね。

「よく噛むとそのうち噛み切れるよ。ゆっくり味わってね」

 もともとジャーキーはそういうものだしね。

 あー。癒される。屋敷での針のムシロっぷりが嘘みたい。

 最初から、屋敷に逗留とうりゅうせず町でゆっくりすればよかったのかも。


 アティとベルナの微笑ましい姿で癒されていたら、後ろから妹⑤バジリアにちょいちょいと突かれる。

 いかん。本来の目的を忘れてた。

「女将さん、商会の公共経費の申請書についてなんだけど、まだ出されていないらしいんだ。どうしたのかな、と思って」

 そうそう、本当の目的はそっちだったんだよね。いや、町散策のついでがソッチかな。アティとベルナ、ベネディクトに町を色々を案内もしたかったし。

「ああ、そうねぇ。そういやまだ各商店からの申請が集まり切れてないみたいなんだよ。集計がまだなのかもしれないねぇ」

 女将さんは、首を巡らせて商店街にある店々に視線を向けた。

「どうもセレーネ様がいなくなってから、みんな申請を面倒くさがってねぇ。公費で賄ってもらえるんだから申請しろって言ってるんだけどさぁ」

 女将さんはそんな呆れ声を出した。

「前まではねぇ。セレーネ様が町に遊びに来た時に、都度都度声掛けしてくれていたからね。みんな気づいてやってたんだけど、色々忙しいからか、どうしても後回しにしちまうんだよねぇ」

 そう言って、彼女はヤレヤレと肩をすくませた。


 公共経費とは、商会や組合単位で提出してもらう、インフラ整備費の事。道路の補修からガス管や上下水道、電気の配線や街灯云々まで、商会や組合管轄配下にあるインフラに関わる物の修理費は、申請ベースで伯爵家から公費として捻出されていた。

 領民の生活の品質維持の為だ。

 街が荒れると治安が悪くなる。それを防ぐためにね。

 大々的な修理には勿論伯爵家の方から出張るけれど、細々した物には当然目が行き届かない。

 だから各商会や組合からの申請に伴い、経費精算したり予算を配分したりしていた。


 私が関わる前までは、あまり支払われた形跡がなかった。私は小さい頃からよく町に遊びに行っていたので、細かい場所で不具合をよく見かけていた。なぜ直さないのだろうと思い、商店の人に声をかけたのが始まりだった。

 その仕組みを知らない人が多かったのだ。

 私はそういう仕組みがあるのだから、是非使ってほしいと思い、町を巡って都度都度各商店などに声がけをしていた。


 私は政治に直接関わる事はできなかった。祖父や父のやる事の手伝いはしていたが、口出しはタブー。『よく分からんものに口出すな』と怒られた。

 けれど、祖父や父に直接提案できなくても、民意としての改善の提案は出来る。

 だから、私は町の人たちと仲良くなり、都度都度ヒアリングを行って改善内容をまとめさせ、民意として伯爵家へ提言する事をさせていた。

 お陰で、提案の中で採用された物も結構あった。


 祖父や父は、そんな私の動きは知らないだろう。でも、それでいい。私は祖父や両親に認められたいからそういう事をしていたのではない。全ては、仲良くしてくれる温かい町の人たちに、気持ちよく過ごしてもらう為だから。


「じゃあ、今回はそれとなくみんなに声をかけておくよ。……本当は、回覧板や掲示板で意識するクセをつけてくれるといいんだけどね」

 私がそう苦笑いすると

「いつまでもセレーネ様に頼ってちゃいけないからね。みんなにも言い聞かせておくよ」

 女将さんは、ドンと胸を叩いた。

 そんな彼女にお礼を言い、私たちは肉屋の元を離れた。


 私は妹たちに声をかけて、店々に声かけをお願いする。妹たちは軽やかな足取りで町中に散っていった。

「そんな事までしていたんですね」

 その様子を見て、サミュエルがポツリとこぼす。

「私には直接政治に関わる事が出来ませんでしたから。でも、ただ漫然と生きる必要はありません。

 やり方の改善とか裏方など、そういう地道な部分で協力出来るので、それをしていたまでです」

 何もしないという選択肢もあったけれど、性に合わなかった。私は、私の出来る範囲で最大限の事をしたかった。


 家は確かに息苦しかった。

 でも、この国は美しい。街の人も優しいし、活動的で働き者が多い。

 私は、そんなこの国が、本当に大好きだった。

 だから少しでも、役に立ちたかった。

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