第223話 犯人について話した。

 ──やっぱり。

 ツァニスが腰を浮かそうとしたので、私は彼に向って小さく首を横に振った。


「そうだったんですね。ありがとうベルナ。私の事を気遣ってくれたんですね。優しい子ですね、ベルナは」

 私はそう言って、彼女の頭を撫でた。

 しかし、彼女の顔は晴れない。

 どうやら、私が倒れた理由が、ワインに入れたものの影響である事は、なんとなく勘づいているようだった。

「それは、誰かに入れろと、渡されたものですか?」

 そう尋ねると、ベルナはゆっくりと、小さく首を横に振る。

「ちがうよ。もともともってたの」

 ……もともと持っていた? それは予想外。てっきりカザウェテス子爵がベルナに持たせ、ワインに入れろと指示したのかと思っていたのに。

「そうでしたか。そのお薬は、どんなものだったのか知っていますか?」

 責めた口調にならないよう細心の注意を払って、ベルナに問いかける。

 ベルナは少し首を捻った。

「……どうしようもないときにのむんだよって、いわれてたの」

 何かを思い出すかのような口調でそう言うベルナの言葉に、思わず背中が凍った。

 ……その言葉は、古い貴族の習慣では、特別な意味として使われる。

「まさか……」

 ツァニスが、顔を真っ青にしてベルナの事を凝視していた。

 ツァニスも気づいたか。


「お父さまが、セレーネげんきないねっていってたから、おくすりのことおもいだしたの。おくすりでげんきでるかなってお父さまにきいたら、そうだねって……」

 ……やっぱりな。あの野郎。それとなく誘導していたな。これなら『ベルナが勝手にしたこと』と言い逃れもできる。

 しかも。『元気ないね』とベルナを炊きつけたという事は。祖父に養子の件と絡めて、私が子供をまだ持とうと思っていないとワザと吹き込んだな。激高した祖父が、私を追い詰めると分かっていて。ムカつく。あの野郎。

「セレーネは、つかれてるって、げんきないっていってたから。だからげんきにしたかったの」

 ベルナが眉毛を下げて消え入りそうな声でそう呟いた。目には、零れ落ちんばかりに涙がたまっていた。

 なので私は、彼女の身体をやんわり優しく抱きしめ、そしてその頭をゆっくりと撫でる。

「そうでしたか。ありがとうございます。そのお薬は、ちょっと私の体には合わなかったようですが、でもちゃんと元気になりましたよ! ありがとう、ベルナ」

 そう彼女に伝えた。

 そして、視線だけで、ツァニスやサミュエル、マギーや執事の方を見る。

 それぞれが、驚愕の顔をしていた。


 みんな気づいたみたい。

 ベルナが持っていた『おくすり』が、自害用の毒だという事に。

 誘拐されたり人質にされた時に、足手まといにならない為に、女子供に持たされる毒。古い風習だけど、まだそんな事をしている貴族がいたとはな……

 ベルナは、これが毒だと知らなかったんだ。

『どうしようもない時に飲む』という事が『困った時や疲れた時に元気になる為』だと思っていたんだろう。

 だから、心をへし折られて元気がない私に飲ませようと思ってくれたんだ。

 でも、元気になって欲しいと直接言うのは恥ずかしくて、だからこっそりワインに入れたんだね。

 ──カザウェテス子爵に誘導されて。

 ベルナが持つ自害用の毒は恐らく子供用。大人には致死量にならない。

 もともと殺す気はないんだから、それで充分だったんだろう。


 あのクソ野郎ッ……! 自分の娘すらそういう事に使うのかよ!!

 ベルナが大人になりこの事を思い出した時に、事実を知る事になる。

 そうした時ベルナがどう思うのか。

 知らなかったとはいえ、人に毒を飲ませてしまったという事を知ったら──傷つくどころじゃ済まねぇぞ!!!


「ありがとうございます。ベルナ、娯楽室にお茶とお菓子が用意してあるので、召し上がってくださいね」

 私がそう締めてマギーに視線で合図を送る。

 すると、立ち上がったマギーが、自然な態度でベルナを抱っこした。

 なんとか泣くのを我慢した顔をするベルナ。

 私はベッドの上で力こぶを作って見せた。

「ほらベルナ! 私はこんなに元気になっていますよ! だからありがとうね!!」

 そう伝えると、ベルナの顔にほんの少し笑顔が戻る。無理矢理笑って見せようとする顔。

 笑顔を人に向ける事の意味すら理解しているのか。ベルナは本当に良い子だ。

 それなのに……父親はクソかよ。絶対に許さないからな。


 ベルナとマギーが部屋から出て行った後。

 ツァニスの顔が完全に蒼白になっていた。

「まさか……セレーネは、毒を盛られていたのか……」

 口元を抑えて、本当に信じられない、という顔をしていた。


「これから説明する事は、一部を除いて私のただの推理です。状況を鑑みるとそういう答えが出ただけですから、まずはその事を念頭に置いておいてくださいね」

 私はそう前置きし、推理した内容を説明していった。


 ツァニスの父が、恐らく謀殺された事。

 アティの母、アウラも毒殺された事。

 私も、子供を産まないように死なない程度の毒を盛られた事。

 それが、恐らくラエルティオス伯爵家とカザウェテス子爵家の陰謀である事。

 そして、ベネディクトが養子として決定されたのも、その一端である事。


 みんなそれぞれが、難しい顔をして私の話に聞き入っていた。


「まさか……先代まで……」

 サミュエルが、顔を真っ青にして口元を抑えながら、そう呟いた。

「可能性の範囲を出ませんが、恐らく。

 確か、前に追い出した執事長は、前侯爵の時からの執事ですよね? しかも、出身はカラマンリス」

 そう突っ込むと、ツァニスが小さく頷いた。

 なら、あのムカつく執事長も恐らくグル。追い出して本当に良かったよ全くもう。

「しかし、何故このタイミングになって」

 サミュエルが至極もっともな事を呟いた。

 私は時系列を考える。

「恐らく発端は──大奥様だと思います」

 そう零すと、ツァニスがいぶかし気な顔をして首を捻った。

「たぶんですけれど、ラエルティオス伯爵家とカザウェテス子爵家の一番の敵は大奥様だったのだと思います。あの人には変わらず前侯爵の威光があった」

 だから好き放題やってたんだと思うよ。

「大奥様が出禁になったのは、春の終わり頃です。それで事が動き始めたんでしょう」

 そう言った瞬間、ツァニスが何かに気づいたように、ハッとした顔で私を見た。


「そうか。そういう事だったのか」

 ツァニスが、膝に置いた拳を握りしめて呟く。私は彼が何に気づいたのか分からず、彼の言葉を急かすように目を見つめた。

 それに応えるかのように、ツァニスが口を開く。

「ペルサキス元子爵だ。彼が我が侯爵家に接触しにきたタイミングだ」

 ペルサキス元子爵? ああ、あの失礼千万な老元子爵ね。乙女ゲームの主人公の母・ダニエラの愛人の。

「もともと、父はペルサキス元子爵とは距離を置いていたんだ。その理由を聞く前に父は亡くなってしまったが……今なら分かる。彼のやり方はあまり好ましくない」

 ツァニスは頭が痛そうに額を手で覆った。

 確かに確かに。言い負かした私への制裁で、カラマンリス領が不利益を被るような事をしてくるようなヤツだったしね。平気で私怨を政治力で晴らそうとするヤツとは、関わらない方が身のためだ。下手をしたら、ヤツのはかりごとに巻き込まれてしまう。

 先代侯爵は、人を見る目があったんだな。


「ペルサキス元子爵が繋がりを持つ為にダニエラを連れて来た所で、母は絶対に許さなかった筈だ」

 でしょうね。

「そして……これは後から年間の事業情報をまとめていて気付いたのだが。

 ペルサキス元子爵の妨害工作の影響を、殆ど受けていない者たちがいた」

 え? それって──まさか。

「ラエルティオス伯爵家とカザウェテス子爵家……?」

 サミュエルのその問いに、ツァニスがコックリと頷いた。

 マジか! そこも繋がってたの!?

 ──ああ、そうか。そういう事か。

「なるほど。ラエルティオス伯爵家とカザウェテス子爵家が、ペルサキス元子爵と繋がっていて、侯爵家乗っ取りの協力をしていたんですね。より強固な繋がりの為に、ダニエラを突っ込んで来ようとした。

 しかし、それを、私が意図せずぶち壊したんですね」

 あらやだ、自分が怖い。

 ラエルティオス伯爵家とカザウェテス子爵家は、折角邪魔ものの大奥様がいなくなったと思って喜んでいたら、今度は私が邪魔をしてきた。

 そりゃ面白くなかっただろうね。

「ツァニス様。もし、アンドレウ公爵からのお誘いがなかったら、夏休みはどうしていました?」

 私がそう尋ねると、ツァニスは少し瞬きをする。

「それは勿論、カラマンリス領へ戻って──」

 そこまで言って、彼は自分の口を手で押さえた。


 なるほどなるほど。そういう事か。

「邪魔な私がカラマンリス領へ行かなかった。それでデルフィナに求婚したんですね」

 デルフィナへの求婚の真相が見えてきた。

 私もデルフィナの事を憂いて頭が痛くなってきた。

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