第221話 毒を盛られた。

 酷く寒い。


 ここはどこだろう。真っ暗だ。


 身体が動かない。動かせない。

 寒い。凍えそうなほど。

 なのに風も感じない。光も感じない。外じゃない。屋敷の中でもない。

 じゃあここは?


 ふと視線を上げると、暗闇の中に、ポツンと誰かがいるのが見えた。

 光もないのに、その人の姿だけが浮かび上がっているよう。


 あれは──自分?


 鏡? いや、違う。だって横を向いて膝をついている。

 自分の横の姿なんて、合わせ鏡を使わない限り見えないんだから。

 その人は、何かを撫でてる。

 何を撫でてる?


 ……あれは……

 ベネディクト?

 でも、大人だ。大人のベネディクト。乙女ゲーム中に出て来たぐらいの……


「貴方は私の言う通りに動けばいいの」

 もう一人の私が、地面にへたりこむベネディクトの顔を優しく撫でながらそう呟く。

「こんな身体にした貴方たちを、私は一生許さない」

 ベネディクトの顔を撫でる手は優し気だったのに、彼女の身体からは猛烈な悪意が駄々洩れて来ていた。

「だから貴方は一生かけて私に償わなければならないの」

 やっぱりアレは私じゃない。私はベネディクトにそんな事言わない。

「私と一緒にカラマンリスを潰すのよ」

 カラマンリスを潰す? 何を言ってるの!?

「貴方には私とカラマンリスと一緒に、地獄に落ちる義務があるの。いいわね」

 義務!? 何言ってんだ! そんなもんあるか!

 くそっ。動きたいのに動けない。身体が動かない。

「馬鹿な男たち。アウラはともかく、私を謀って毒を盛るなど。子供を産ませない方法などもっと他にもあっただろうに。

 一番の悪手をとるだなんて。愚かしくて反吐が出るわ」


 ……今、なんて?

 アウラ? 子供を産ませない? どういう事? ちょっと待って今のってもしかして──


「全て壊れればいい。全てグチャグチャにしてやるわ。私がそうされたように」

 もう一人の私が、ベネディクトの顔を撫でていた手を止め、その爪を彼の顔へと突き立てる。

 彼の皮膚がギリギリと引き裂かれ、血が滲んでいた。

「貴方は私の息子なんだから、私が言う通りにすればいいのよ。一緒に地獄へ堕ちましょう?」

 彼女が最後、そう呟くと。


 彼女の顔を見上げたベネディクトが、何の感情も浮かない顔で

「はい、お義母かあ様」

 そう、返事をした。


 ──思い出した。

 あれは乙女ゲームの回想イベント。ベネディクトのルートに入った時に展開されるヤツだ。

 先ほどの女性は私だけど私じゃない。

 アティとベネディクトの義母。乙女ゲームの継母。

 養子となったベネディクトを洗脳し、自分の手足のように操って暗躍していた、義母。


 そうだった。

 カラマンリス侯爵家が、アティとベネディクトしかいなかった理由。

 乙女ゲームの継母は、毒を盛られて不自由な身体──子供も産めない身体にされていたんだった。確か、カラマンリス領へと行った時に云々とかって。

 それを恨んだ義母は、ベネディクトを洗脳して復讐を企んでいた。

 自分の身体を不自由にしたカラマンリスの貴族たち、そして、そんな事に気づく事すらなかった夫──ツァニスと、何も知らないアティに。

 ベネディクトルートの最後のイベントは、そんな義母の企みを看破した主人公が、一時洗脳状態に戻ったベネディクトを目覚めさせ、義母を倒す話だった筈。


 もともと、カラマンリス領を実質治めているラエルティオス伯爵家とカザウェテス子爵家。彼らは侯爵家の乗っ取りを画策していた。

 しかし、ツァニスを謀殺するのではなく、表立った事件にしない為に緩やかに、数年がかりで。

 その為に突っ込まれたのがベネディクトだ。彼は、ツァニスと義母、そしてアティの行動を監視し、場合によっては暗殺も辞さないよう、洗脳教育を施されていたキャラだった。


 もしかして、ツァニスの父が若くして亡くなっているのも、その計画の一端だったのかもしれない。

 若くして爵位を継いだツァニスは、政治を失敗しないように周りの貴族の言う事を聞かざるを得なかった筈だから。


 そしてアウラ──アティの母。男の子を生む前にその毒牙にかけられた。

 あれ? でも殺してしまったら、新しい妻を娶ってしまうじゃないか。

 ……アウラが死んだのは、意図してじゃなかったのかもしれない。

 妻に子供を産ませないように仕向け、自分達の手足であるベネディクトを養子兼監視役として突っ込む。

 アティと結婚させて婿養子にすればよかったのに、おそらくアティはアンドレウ公爵家とのパイプとして使う為、そうはしなかった。

 という事は、そもそもアティとエリックの婚約も、何かしらのはかりごとの結果だったのかもしれない。


 しかし、乙女ゲーム中の義母は、それで泣き寝入るような人物ではなかった。

 送り込まれたベネディクトを洗脳し返し、そして自分の復讐の為に利用する事にしたんだ。

 ベネディクトの洗脳は簡単だっただろう。もともと思考しないように躾けられてきたんだから、あるじを変えさせるだけだし。

 ……可哀そうなベネディクト。元々の家からも義母からも、ただ利用される為だけに生きてきたなんて。


 そしてアティ。


 アティが母を失ったのは……事故や病気じゃなかった。

 謀殺されたからだったんだ。

 自分達の権力と金の為に、アティから母を取り上げた。ツァニスから妻を取り上げた。

 なんて事を……


 気づけなかった。もっと早くに思い出せていれば。

 ベネディクトとベルナを見た時の嫌な予感はこれだったんだ。

 まさかベッサリオンで毒を盛られる事になるなんて。


 誰だ? 誰の差し金?

 この場に外部の者は、カザウェテス子爵とベネディクトとベルナ、そしてその側仕えの家人たち。

 タイミングが悪すぎる。何故こんなタイミングで実行したのか。いや、それよりも。

 毒はワインに入っていたはず。そしてワインは既にグラスに注がれていた。つまり、ワインに毒を入れたヤツが実行犯。

 そして、実行犯が誰にせよ、それを指図したのは間違いなくカザウェテス子爵──


 いけない! デルフィナが危ない!!


 起きなきゃ! 起きなきゃ!!

 クソっ!! 身体が動かない!!

 でも、なんとか動かなきゃ!! ここで死んでいられるかコンチキショウ!!

 動け! 動けよ身体ッ!!

 私の身体が頑丈なのは、こういう時に動けるようにじゃねぇのかよッ!!!

 お願い動いてよ身体!

 私から妹を奪わないで!!

 もうこれ以上、大切な物を失うのは嫌なのっ!!!



 ──セレーネ



 誰かが呼んでる。

 あれは──


 セルギオス?


 ダメ! まだダメ!! 私まだそっち行かないっ!!!

 まだやらなきゃいけないこと、やりたい事が沢山あるの!!

 こっち来ないで! まだ来ちゃダメ!!


 ふと気づくと、セルギオスが目の前に立ってる。

 そして私に手を差し伸べてきていた。


 ヤダ! まだヤダ!! セルギオスのそばにいたいけど、まだ嫌なの!!!


 ──セレーネ、目を開けて。


 目を開ける? いや、やろうとしてるんだけど出来ないんだって! 身体が動かないの! どうしても動かないの!!


 ──一度目を閉じてごらん。


 やだ! そんな事したらセルギオス私を連れてっちゃうでしょ!?


 セルギオスが笑ってる。

 そして、ゆっくり私の頭を撫でた。

 その手が、私の眼前にスルリと降りてくる。

 自然と、私はその手に合わせて目を閉じた。


 ──怖くないよ。さあ、ゆっくりと目を開けて。


 その声に導かれて、私はゆっくりと目を開けた。


 ***


「セレーネ!!!」

 歪む視界の前に誰かがいる。その人は私の名を叫んだ瞬間、ガバリと頭を抱きしめてきた。

 その人の名前を呼ぼうとしたけれど、口が上手く動かなくて呼べなかった。


「ツァニス様、お気持ちは分かりますが……」

 誰かの心配そうな声。その声とともに、私の頭を抱きしめていた人が離れた。

 次第に焦点を結ぶ視界に、ツァニスの顔が見えた。


 その向かいには、医者らしき人が立っていた。

 私の手首を持って脈をはかっている。

 視界がまだ揺れてる。音の聞こえも変だ。でも、意識が戻ったみたい。良かった……なんとかまた生き残れた……


 ──もともと、致死性の毒ではないのかもしれない。

 私を殺す事が目的ではなく、子供を産ませない為の筈だから。死んでしまったらまたツァニスが新しい妻を迎えてしまう。そうしたらまたイチからやり直しになってしまうし。

 しかし、即効性が強い毒だったな。アルコールに溶かしたからか。

 殴られて口が切れていたから、そこから血中に入ってすぐに症状に気づけた。

 気づかずワイン全部飲んでいたらどうなっていたことやら。


 私は自分の無事を言葉にしようとしたが、口が回らなかった。まだ毒が効いているのかもしれない。


「胃の中の物は吐かせましたが、何をいつ口にしたのか不明です。恐らくまだ油断できませんので、経過観察を怠らぬようお願い致します」

 医者が、私の手首をそっとベッドに戻してそう呟いた。


 ありがとうございます


 そう言いたかったけれど、口が上手く回らなくて言えなかった。

 私はなんとか動く目だけで周囲を見渡す。

 その場には、ツァニスとサミュエル、マギー、両親、カザウェテス子爵、執事と家人たちが数名いた。


 ──カザウェテス子爵……おそらく、首謀者。

 彼は薄っすらと笑みを顔に浮かべて、じっと私を見下ろしていた。

 私が死なないかどうかその目で確認したかったのか、クソが。


 でも、ここで彼がやったと訴えた所で、そんな事はしていないと言い逃れられる。

 それに、下手に騒ぎを大きくしたらカラマンリス領へと逃げられてしまう。

 ちっくしょう。どうしたらいい……


 私はさっき見ていた夢を思い出す。

 そして、その時気づいた事も。


「少し、ゆっくり休ませてあげましょう」

 サミュエルのその言葉に、ツァニスたちが世話をしてくれる家人を残してその場を後にしようとする。

 私はその人が出て行かないように、咄嗟にその人の服の裾を掴んだ。

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