第219話 くつろいだ。

 今日はもともと晩餐会が催される予定だったんだけど。

 結局開かれる事はなく。

 そりゃそうだ。

 あんな事があったのに、ノンビリと晩餐会が開かれようはずもないよね。


 後からサミュエルとマギーから聞いた話によると。

 祖父とツァニスが大喧嘩したらしい。


 ツァニスが大喧嘩。

 それを聞いて驚いたけれど、よくよく思い返すと、そういえば私を襲った強盗に対して、激高したツァニスは問答無用で剣を突き刺そうとしていたっけね。普段あまり表情も動かないし口数も少ないけれど、何も感じてないという事もなく、むしろ結構行動そのものに素直に出るタイプなのだという事に改めて気づかされた。

 そっか。

 怒ってくれたんだ。

 そんな事にちょっと嬉しくなったりしていた。


 しかし、二人の喧嘩は平行線のままで終わったらしい。

 そりゃそうだ。話が噛み合わないんだから。

 祖父の言い分は『孫を叱責して何が悪い、お前が甘すぎるんだ小僧(サミュエル意訳』

 ツァニスの言い分は『結婚した時点で俺の女だテメェ何様だ(サミュエル意訳』

 ……結局、お互い両方ともに自分の所有権を叫んだだけで終わり、どっちも否定しようもない事実だったので、決着つかなかったそうな。

 だろうね。


 しかし。

 そこで意外な人物が喧嘩に参戦したらしい。

 母だ。

 しかも、ツァニス側に立っての祖父への猛口撃をくりだしたとか。

「貴女の激しさの理由の一端を垣間見ました」

 とサミュエルが苦笑いしていた。


 そして母の言い分は。

 要約すると『子供はそんなに簡単にポコポコ産めるもんじゃねぇ』だったそうだ。

 それを聞いてハッとした。

 母はあの体で私を含め十人の子供を産んでいるのだ。

 その苦労は、恐らく私では到底理解できようもないものだろう。

 確か、出産って車に轢かれるぐらいのダメージを食らうんでしょう? つまり少なくとも九回も車に轢かれたようなダメージを食らったという事だ。

 ……熊と格闘後、生還を果たした私の奇跡が霞むレベルだよね、それ。つまり、私の身体の頑丈さは母親譲りって事か。

 男児が生まれるまでチャンレンジし続けた両親。それでも、全員が年子であるワケではない。

 私は知っている。

 母は何度も流産を経験している。

 出産の後股関節が歪み歩けなくなったり、産後の肥立ちが悪くてかなり長い間寝込んでしまったり、相次ぐ出産で歯や骨を悪くしているのも見ていた。


 そんな母に、嫡男が生まれるまで産み続けるのが女のつとめだろうと叫んだ祖父。

 対して母は『自分が頑張ったのは単純に沢山子供が欲しかっただけだクソジジイ(サミュエル意訳』と真っ向否定したらしい。


 それを聞いて。

 私の目元が思わず滲んだ。

 祖父は言葉の端々に『セルギオスの存在否定』が含まれている。死んだ男児には価値がないという思考が透けて見えた。

 対して母は、自分が欲しかったから産み続けた、それだけだ、そう言ってくれた。

 つまり祖父は、やっぱりセルギオスが健康で生まれてきていたら、おそらくそれ以外の子供は望まなかったという事。

 母はそうは言わなかった。実際のところはどう思っているかは分からないけれど。

 でも、他の妹たちの存在は否定しなかった。

 そして、私が子供をまだ持とうとしない事自体を責めなかった。

 それが、本当に、嬉しかった。


 そして続けざまに母は『セレーネは侯爵夫人になった。侯爵家の子供事情に他家のお前がクチバシ突っ込むんじゃねぇよ(サミュエル意訳』そう言って、祖父を黙らせたらしい。

「いやあ。猛獣同士の対決。楽しかったですよ」

 マギーが黒い微笑みを浮かべながらもそう締めていた。


 そういえば、養子と子供の件、誰が祖父に漏らしたのかと思っていたら、カザウェテス子爵だったそうだ。猟から帰って来た後、ベネディクトが嫡男になる為に侯爵家に養子に入るんですよ、女性も産むかどうか選べる時代になったのですね、と。何の気なしに。

 そして祖父が激高したらしい。ツァニスが咄嗟に私が決めた事です、と言ったのも祖父は聞こえなかったようで、私が帰って来たと家人から告げられて走って私の元へと来たそうだ。


 その話を、私は娯楽室でラグの上に座りながら聞いた。

 サミュエルとマギーが説明している間ずっと、傍にあるカウチに座ったツァニスは、ひたすらワインを飲みまくっていた。憮然ぶぜんとした顔のまま。


 晩餐会の代わりの通常の夕餉ゆうげが終わり、その後のくつろぎ時間。

 夕餉ゆうげには祖父や両親は参加しなかった。

 祖父はねて部屋にこもり、両親は別の場所でカザウェテス子爵とデルフィナと共に、食事しながら結婚の話を詰める事になった。

 意外だったのは、その場にベルナも同席させた事だ。もし、デルフィナが子爵と結婚したら、ベルナがデルフィナの継子になるから。その場にベルナも同席させてくれた事に、私はちょっとだけ感動を覚えた。

 なので今この娯楽室には、ツァニスとアティ、弟妹たち、そしてベネディクト、その他にはマギーやサミュエル、ルーカスなどの側付きたちがいた。

 ツァニスと私が許可したので、側付きの使用人たちも呼ばれない限りは椅子に座ったりラグに座ったりして寛いでいる。

 ま、ルーカスは立ったまま壁と同化しているけどね。くつろげばいいのに、本人的にはそういうワケにはいかないだろう。ツァニスがいるからかな。別荘では結構くつろいでいたんだけど。

 弟妹たちとアティ・ニコラは、ラグの上でカードゲームをしていた。

 ベネディクトだけ、私やツァニスの傍──置かれた椅子にちょこんと座って、じっと我々の話を聞いている。何も言葉は発さなかったけれど。


「しかし……女性が拳で殴られる様を、初めて見ました」

 サミュエルがお茶を飲みながらも困惑した顔で呟いた。

「そうですね、普通殴りませんよね。人前では」

 そうマギーが付け足す。……『人前では』という言葉に、彼女らしい毒があったな。マギーも相当苦労してきたな。

「セレーネ様の背景が見えて来た気がします」

 そう呟きながらも、サミュエルが視線を向けたのはツァニスの方だった。

 ツァニスはサミュエルと視線を合わせてから、スッと下げた。

「しかし、あれだけ激しい扱いをされていれば、そのうち……その、ええと」

 サミュエルが一瞬口ごもる。

「反抗する気持ちを失いそうなものですよね」

 続けたのはマギーだった。

「生まれた事自体まで否定してくるような方のもと、よくぞまぁ育ったものです」

 そう少しだけ感嘆の色を浮かべた声をもらしてから、お茶に口をつけていた。


 その言葉を受けて、私はふと、少し離れた場所──ラグの上でカードゲームで一喜一憂する弟妹たちへと視線を向けた。

「……独りでは、ありませんでしたから」

 山の中へと逃げた私を追って来て、暖かな手を差し伸べてくれた弟妹たち。

 当初殴られそうだった時に庇ってくれたあの執事の彼。裏で励ましてくれる家人たち。

 そして、セルギオス、アレクシス。

 私は、一人ではなかった。

 倒れそうな時、いつも誰かが支えて倒れないようにしてくれていたし、時には私を庇ってくれていた。

 だから私も、彼らにも降りかかるかもしれない理不尽について、噛みつき続けた。

 独りじゃない。

 その事実が私を立たせ続けてくれた。


「特に兄が、ずっと私を肯定し続けてくれました」

 ふと、ここにはいない兄の姿を脳裏に浮かべる。

「双子が不吉だとか、お前が一緒に生まれて来たから兄の身体が弱いんだ、そう言われたのは、実は初めてではありません」

 私は、昔ベッサリオンに招待されて来た客の貴族に言われた言葉を思い出す。

「しかしそう言われた時に、兄がすぐに否定してくれました。自分の身体が弱いのは妹のせいではない、と」

 あの頃はまだ私たちは小さかった。それでも、セルギオスは私の手をぎゅっと握って、口さがない貴族に向かって、強くそう反論してくれた。

 ──その時の兄の手は震えていたけれど、私も強く握り返して震えを共有した。


「やはり、セルギオスは高潔だったのだな」

 私の言葉を聞いて、ツァニスが嬉しそうに顔を綻ばせた。

「ええそうです。兄はとても高潔な人間でしたね」

 私もコックリと頷く。

 ワインを飲んだ手を下ろしたツァニスが、何かに気づいたような顔をして私の方へと視線を移した。

「セルギオスの墓参りがしたい。連れて行ってくれないか」

 ワインのせいか嬉しさのせいか、ツァニスが少しだけ頬を染めながらそう呟く。


 その言葉に、私、サミュエル、マギーがほぼ同時にビシリと固まった。

「それは……」

 返事をしようとして、思わず言葉を詰まらせてしまった。

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