第218話 迎え入れられた。

 屋敷に戻ると、玄関の前でいの一番にアティに抱き着かれた。

 その後ろには、マギーとサミュエルが複雑な表情をしたまま立っていた。


「おかあさま、いたい?」

 私が地面に膝をつくと、アティは私の腫れた頬をサワサワと撫でながらそう尋ねてくる。

「そうだね。少し」

 私はそんなアティの身体を優しく抱きしめて、その背中を撫でた。

 殴られたのも痛かったけど、心に激痛走りましたよ。


 あの場にアティはいなかったと思う。でも、私がいなくなった事と私の今の顔で、何かあったんじゃないかと察して心配してくれている。

 優しい子に育ってる。一年前が嘘のよう。

 これは私だけのせいじゃない。マギーがいて、サミュエルがいて、ゼノがいてニコラがいて、エリックやイリアスがいて家人たちもいて。彼らがアティにその時その時、アティに気持ちを聞くようになってくれたからだ。


 すると私のそばに、おずおずとカザウェテス子爵の子供たち──ベネディクトとベルナも近寄って来た。

 ベネディクトは何も言わずに、私の事をジッと見下ろしてきていた。

 私がその顔を見上げると、ベネディクトは口を一瞬開きかける。

 しかし口をつぐんでしまった。

 私は彼の顔を見上げながら、彼の言葉をじっと待つ。

 前髪の向うにある、アイスブルーの瞳が揺れていた。

「……どうして……」

 ベネディクトが、ポツリとこぼす。

「どうして……そこまでするんですか」

 ベネディクトは私が殴られた姿を見たのかもしれないな。

『どうしてそこまでする』か。多分、『殴られると分かっているのに、なんで身勝手に振る舞うの』って意味だろうな。

 私は少し考えて、口を開く。


「最後に自分を守るのは自分だけだからですよ」

 彼の目を真っすぐに見上げながら、そう答えた。

「自分が本当に嫌な事、出来ない事、無理な事、それをしないように最後まで頑張れるのは自分だけだからです。

 私は、他人から道具扱いされる事は好きではありません」

 他人は他人の都合を押し付けてくる。

 男性社会、貴族社会、血脈至上主義、男系主義、それ以外にも沢山。

 この世の中には、人の数だけ思想がある。

「それは言葉や態度で示さないと、相手には伝わりません。誰かが代わりに行ってくれるとも限りません。だから自分で言うんです。

 私はただ、そうしているだけです」

 そう返答すると、ベネディクトは首を横に傾げた。

 意見を言う事は相手への押し付けではない。ただの表明だ。それを受けて相手がどうするかは相手次第。

 なのに何故そもそも発言を禁じて口を塞ごうとしてくるのか。

「勿論、言った所で認められない事は多々ありますよ。

 特に、貴族社会ではね。

 でも、無言で何も態度に示さなければ、相手は『受容した』と受け取ります。

 それを防ぐには、まず伝えるしかないんです。それが、意見の擦り合わせのキッカケを作ります。

 それが出来るのは自分だけなんです」

 私は道具じゃない、私には感情があり意志がある、好き嫌いがある。それは言わなければ相手には絶対に伝わらない。


 知らずにこちらを踏みつけにしている人がいたとして。

『その足をどけろ』と言わない限り、人は自分が踏みつけにしている事に気づけない。


「……でも、無理でしょう。言ったところで聞いてくれない……」

 ベネディクトの目から光が消える。何かを諦めたような顔。結婚話が出た時のデルフィナのような顔。

 私は小さく頷いた。

「そうですね。相手が聞き入れてくれるとは限りません。相手には相手の事情があるからです。

 それが、因習なのか感情なのか、法律なのか自然の法則なのか、それはその内容によっても違います。

 どうダメなのかは、それを相手から教えてもらわないと分かりません。

 ただ、相手に言ってもらうキッカケを作る為には、こちらから言うしかないんですよ」

 そもそも、言われたくないから説明しない、説得しない、無理強いする、という事もあるだろう。

 貴族社会などそんな事のオンパレードだ。

 私だって時にはそれを行う事がある。


 本来、貴族のあり方は領民を守る事だ。それが唯一無二の使命の筈。

 なのにそこに、合理的ではない血脈至上主義や男系主義など、ある特定の一部の人間の『お気持ち』が入ってきて、それがさも絶対的であるように扱われる事によって、色々おかしくなる。

 そして、本来合理的ではない事がまかり通り、誰かを踏みつけ無視し、搾取する。

 本来は、出来るだけ多くの人間にとって、コスパ最高の状態で活動できるようにする事の方が大切なんじゃないのか。

 その為には対話して相手の状況を知り、意見を擦り合わせて時には説得する。そうやってお互いが譲り合い相手を思いやり、そして自分も気持ちよく生きる事、それが社会の本来の姿ではないのか。

 貴族社会だって同じ筈だ。何故そこだけバグる。


 何故片方に無理強いするんだ。

 何故両方幸せになる方向を目指してはいけないのか。


 そうでなければ、その『社会に生きる人間』は『貴族男性』だけって事になる。

 領民も女性も、全ては『が幸せに生きる為』のただの栄養なのか。

 違うだろう。

 全てを個人として見て、そして相手を思いやって時には寄り添い、長期的目線で大体同じ方向を向けるよう、努力する事じゃないのか。

 相手に何も説明せず何も決める事も許さず、無理矢理首だけ捻じ曲げ前を向かせて引きずっていく事が、ただ唯一の幸せだとでも?

 アホか。


「確かに、意見や意志を伝えた時、相手がどういう行動をとるのかは、相手の人間性次第ですね。

 ある人は殴ってでも言葉を封殺しようとする。ある人は社会的に殺して封殺する、人質をとる、良心を刺激して罪悪感を植え付ける、騙す、実際に殺そうとする人もいるかもしれませんね」

 それが『正義』であり唯一の絶対的な道であると信じているから。それから外れることを蛇蝎だかつの如く嫌う。

 例えその正義とやらが、ある特定の一部の人たちにとってしか有効ではなくとも、そんな事少しも疑わない。昔は有効だったから今も有効であると、信じて疑わない。


「でも中には、説明してくれたり、納得する為の手助けをしてくれる人もいます。どうしたらいいのか一緒に考えてくれる人も。フォローしてくれる人も。

 そういう、味方になってくれる人たちを見つけるにも、まずは言葉や態度で示すしかないんですよ」

 カラマンリス侯爵家に来た時に、私が無言でただ拒否をし続けていたとしたら、マギーやサミュエルは味方になってくれなかっただろう。

 ツァニスだってそう。


 私は諦めたくない。

 例え、私を道具として扱い聞く耳を持ってくれない人がごまんといたとしても、聞いてくれる人がいる限り、伝え続ける。

 冷笑され、指をさされ、殴られ、頭がオカシイ扱いされる事もある。

 でも、諦めたくない。

 例え貴族でも、女でも、それ以前に私は生きている人間だから。

 私の背中を見ている、弟妹たちやアティ、エリック、イリアス、ゼノ、ニコラ。そしてベネディクトとベルナ。この子たちにも、諦めて欲しくない。


「ただ……確かに、これはいばらの道。とても痛いし疲れる事ですよね」

 本当に。本当に疲れる。殴られれば痛いし、今回は心までへし折られた。

 ニコラや弟妹たちが励ましてくれなかったら、私は人生からドロップアウトしていたかもしれない。

 私がそう言葉を締めると、ベネディクトは眉根を寄せて難しい顔をしていた。

 そして

「……怖い……」

 聞き取れるか取れないかギリギリの声で、そう漏らした。


 私はニッコリ笑って彼の顔を見上げた。

「そうですね。私もです。同じですね」

 そう返事をすると、ベネディクトの顔が少しだけ和らいだ。


「つかれたの? げんきないの?」

 ベルナが心配げに眉尻を下げてそう聞いてきた。

「そうですね。少し、元気ないですね」

 私は素直にそう返答した。

 まだ、空元気を装えるほど復活してないしね。

 それに。

 大人だって元気がなくなる事がある、という部分も見せておきたい。

 大人だって超人ではない。怪我をすれば痛いし、病気になれば動けなくなるし、心が折れれば立てなくなる。

「でも、そのうち元気になりますよ」

 ずっと不安を抱かせておくのも違う。私は笑顔でそうベルナに返答した。


 そこに、家人──執事の一人が私のもとへと近寄って来た。

「セレーネ様。申し訳ないのですが、正面から入らず裏からお入りください」

 彼は眉根を寄せて、そう小声で話す。

「分かりました。ありがとうございます」

 私は頷いて、アティから身体を離して立ち上がった。

 おそらく、正面玄関から入ったら祖父から叩き出されかねない。執事がそれを心配してくれているのが感じられた。

 この執事──両親と同年代であり私兵でもある彼は、両親祖父母に隠れてこっそりと私に護身術や色々な事を教えてくれた人だ。

 小さい頃、何かあると庇ってくれたのも彼。

 本当の父は私に声をかけてくれる事は殆どなかったから、この彼が、私のもう一人の父ような気がしていた。


「では、参りましょうか」

 私はアティの手を取る。すると、ベルナも自然と私の方へと手を差し伸べて来たので、その手をとった。

 執事に導かれるまま、私は裏口から屋敷の中へと戻って行った。

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