第217話 手が差し伸べられた。

「それはダメ。セレーネ様、消えちゃダメ」

 その声にゆるゆると振り返ると──


 そこにはニコラがいた。

 よくよく見ると、その後ろには馬を連れたデルフィナ、バジリア、キリシア、カーラ、ヴァシィがいた。

 それぞれが肩で息をしている。


「なんで、ここが……?」

 自分でも闇雲に走って、気が付いたらここにいただけなのに。

 なんでここが分かったの?

 しかも、ニコラまで……


「セレーネ様、前に、ここの事言ってたでしょ? 寝る時に、教えてくれた場所……」

 ニコラが、両手を胸の前でモゾモゾさせながらも、そうポツリと呟く。

 寝る前……ああ、ベッサリオンに来る前に、みんなで一緒に寝た時の。

 そうか、聞こえていたんだ。そして、覚えていてくれたんだ、ニコラ。

「だからね、デルフィナさんにお願いして連れてきてもらったの。きっとここにいるからって」

 デルフィナに。そうか。彼女はここに連れて来た事があったな。だから覚えていたんだ。そうか。なんだか、少し、嬉しいな。


「セレーネ様消えちゃダメ……だって、僕はセレーネ様がいたから、生きてるんだもん」

 ニコラがゆっくりゆっくりと私の傍に近寄ってくる。

 そして私の隣に腰掛け、私の肩に頭を乗せて来た。

「セレーネ様が、死のうとしていた僕を助けてくれたの。セレーネ様が僕に、大丈夫、嫌わないって言ってくれたの。だから僕は今ここにいるの」

 私を横目で見上げるニコラの目に、ジンワリと涙が浮かんできていた。

「僕ね、テセウスの事知ってるよ。おじいちゃんが教えてくれたの。僕の中にテセウスがいるって事」

 ポツリポツリと、消え入りそうな声で語るニコラ。おじいちゃん……? ああ、厩務員さんの事か。そうか、そこまで彼と仲良くなっていたんだ。

 それは嬉しい。ニコラとテセウスにも、彼らとして仲良くなれた人ができたんだもん。嬉しい。

「僕の記憶がない時は、テセウスになってるって、おじいちゃんが教えてくれた。でも怖い事ないって。テセウスも僕と同じ良い子だからって。

 でね、僕、テセウスに手紙を書いたの。

 そしたらテセウスが返事をくれた。お父さんとお母さんから助けてくれたのは、セレーネ様だって。セレーネ様は僕が嫌がる事はしないから大丈夫だって、教えてくれたの」

 ニコラの大きな目から、ポロポロと涙がこぼれ始める。

「だから消えないで……僕はセレーネ様に居て欲しい……」

 ニコラ……そこまで、思っててくれたんだ。

 嬉しいよ。ありがとうニコラ。


「私もだよ、セリィ姉様」

 そう言葉を継いだのは、妹④デルフィナだった。

 私とニコラの方へと手を差し伸べてくる。

「セリィ姉様でしょう? カラマンリス侯爵に進言してくれたの。だから私、少しカザウェテス子爵様と話できたの。

 カザウェテス子爵は、私が分からない事とか不安に思ってる事は、聞いてくれれば答えるって言ってくれた。だから、結婚に向けて不安な事とか、全部聞く事にしたの。

 セリィ姉様がそうしてくれたから、私は色々知る事ができたのよ」

 そうか……カザウェテス子爵と話できたんだ。良かった。ツァニス、ちゃんとやってくれたんだ。ありがとうツァニス。


「それだけじゃないよ!」

 デルフィナの言葉尻に乗ったのは妹⑤バジリア。

「セリィ姉が私たちに色々教えてくれたんだよ! ナイフの扱い方も護身術も! 銃は……アレク兄だけど、それ以外にも沢山! セリィ姉が教えてくれたんだよ! そうじゃなかったらボクたちは自分の身の守り方も知らなかったんだから!」

 バジリアは力こぶを作って私に見せつけて来た。相変わらずだなぁ。そんなバジリアが好きだよ。


 その横に、妹⑥キリシアも立って一緒に手を差し伸べて来た。

「セリィ姉さまの勉強の教え方がねー。一番分かりやすかったんだよー。だから私、勉強が大好きになったんだー。この国では誰にも負けない自負があるよー? セリィ姉さまのおかげなんだよー?」

 ほんわりとした癒される喋り方。私はキリシアのこの喋り方が大好き。


 その彼女の隣から、ぴょこっと顔を出したのは妹⑦・カーラだった。

「セリィ姉さまはお姉ちゃんだけどお母さんなんだよ!? 抱っこしてくれたのも、叱るのも、いつも全部セリィ姉さまだったもん! 最初、私はセリィ姉さまから生まれて来たんだと思ってたんだから!」

 一生懸命な顔をしてそう言い募るカーラ。そんな嬉しい事言われたらどうしたらいいのさ。


「僕も」

 最後にそう呟いたのはヴァシィだった。

 彼はゆっくりと近寄ってくると、ニコラと反対側の方へと回って膝をついた。

 そして私の方を真っすぐに見る。

「あのね、僕、気づいたんだ。

 セリィ姉さまは、いつも僕と話す時、膝をついて目線を合わせてくれてたでしょう? あれやってくれるの、姉さまたちだけなんだ。他のみんなは僕を見下ろしながら喋るんだよ。

 他の姉さまに対しても、セリィ姉さまはそうやって喋ってきたんでしょ? だから姉さまたちも僕に対してとか、他の子供に対してもそうやって話しかけるんだよ。

 セリィ姉さまがいたから、姉さまたちもみんなそうなったんだ。

 僕は、それって凄い事だと思うんだ」

 ヴァシィがそっと手を伸ばし、私の頭をゆっくりと撫でてくれた。

「セリィ姉さまの手、大好きだよ。いっつも優しく撫でてくれる。

 お祖父じい様は僕に甘いって言うけど、お祖父じい様はいつも僕を兄さまと比較するんだよ。兄さまは頭が良かった、そつなくこなした、これもできた、アレもできた、なんでお前はまだ出来ないんだって。

 でも、セリィ姉さまは絶対そんな事しなかった」

 ヴァシィの目にも、段々と涙がたまってきている事に気が付いた。

 そうか、ヴァシィも見た事もない兄とずっと比較されてきたんだ。それは、辛かっただろう。祖父の中で理想化された嫡男の姿を、ずっと押し付けられてきたのかもしれない。


「セリィ姉様、覚えてる?」

 そう呟きつつ、デルフィナが背中からそっと抱きしめてきた。

「キリシアが生まれた時、誰かがね、言ったの。『また女か』って。

 そしたらセリィ姉様、私と手を繋いだまま、その人の脛を蹴ったんだよ。

 それで一緒に逃げて、逃げた先で言ってくれた事」

 デルフィナに言われて、記憶をまさぐる。どうだろう。沢山そう言われてきたから、もう覚えていない。

「生まれてきてくれてありがとう、私の妹になってくれてありがとうって。

 物凄く大きな声で。みんなに聞こえるように。凄く嬉しかった。本当に本当に嬉しかった。

 あの言葉があるから、私はお祖父じい様に否定されても平気なの」

 デルフィナの腕に力がこもる。

「セリィ姉様。生まれてきてくれてありがとう。私の姉になってくれてありがとう」


 デルフィナの言葉に、視界が歪む。

 とめどなく、涙が流れてきた。


 そうだった。

 私には、この子たちがいる。

 私を私として見てくれるこの子たちが。

 例え肉親に罵倒されたって構わない。

 私は決めたんだ。

 この子たちが将来、生きやすくなるために色々したいって。

 その為に、肉親から存在否定されても構うもんか。私は肉親の為に生きてるんじゃない。

 私を私として必要としてくれる人、そして何より、自分の為に、生きるんだから。


 セルギオスも、私の事を嫌っていなかった。

 最期の時、私と過ごす事を選んでくれたんだから。


『貴女は好きに行動すればいいんです。結果は勝手についてきます』

 迷っていた私に、そんな激励の言葉を投げつけてきたマギーの声が耳に蘇る。


『私はセレーネのそういう部分を含めて全て愛しているのだ』

 いつかのツァニスの愛の絨毯爆撃の言葉も。


『違う。俺はそうは思わない』

 セルギオスと逆なら良かったのにと弱音を漏らした時に、否定してくれたレアンドロス様の声も。


『おがあざまっ……すきなの……』

 私に抱きつき泣きながら、そう頑張って伝えてくれたアティ。


 忘れてた。

 私はこんなに、周りの人に恵まれていた。

 たかが祖父に存在を否定されたからってなんだよ。

 私には他にも大切な人たちがいる。


 ニコラが私の肩に頭を擦り付けてくる。

 ヴァシィがデルフィナごと私を抱きしめてきた。

「セリィ姉さま!」

 そこに、ガシッとキリシアとカーラ、バジリアまで抱きついてきた。

 あぶなっ!

 今、崖近く!! みんなで落ちる気かコラ!!


「ありがとう。みんな」

 私は、私に抱きついてきたニコラ、そして弟妹たちの手をそっと撫でて、その暖かさを実感した。

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