第215話 気持ちについて話した。

「別に」

 何の感情も付随しない声で、ベネディクトはそうハッキリと告げた。


 分からない、じゃなくて『別に』か。たぶん『どうでもいい』っていう感想なんだろうな。

 うーん。本来十三・四歳なんて多感な時期のハズなんだけどなぁ。私が十三・四歳の頃なんて──

 ……やめよう。思い出さない方がいい。うっかり黒歴史パンドラの箱を開けてしまうところだった。危ない危ない。


「じゃあ、二人とも、ちょっと考えてみませんか? お兄ちゃんができること、妹ができる事を」

 期待でもいい、困惑でもいい、不満でもいい、嫌悪感でもいい、嬉しい悲しい、もうぶっちゃけどんな感情だって構わない。

 ただなんとなく事実を受け取るんじゃなくて、しっかり認識して感じた事を言語化して欲しい。そして、それを伝えて欲しい。なんでもいい。どう思っているのかを知りたい。そして、もし負の感情だったらなるべく解消できるように、色々説明したい。


 そう伝えてさっそく、アティはベネディクトの顔をジッと見て首をかしげていた。

 ベネディクトの方は、何を考えているのか分からない顔をしてアティからフッと目を逸らして滝の方を見ている。

 ……ベネディクト、もしかしてもう考えるのも面倒になってきてしまっているんじゃないのかな。いや、感じようとする為のやり方が分からない、というか。

 感情は感じないようにしてくると、本当に鈍感になってしまって、自分の事なのに分からなくなってしまう。

 もう十三・四歳ではあるけれど、まだまだ大丈夫。きっと取り戻せる。そうしていって欲しい。


 私がそんな願いを隠しながらベネディクトを見つめていたら

「ダメ!!」

 そんな声が突然ベルナから飛んだ。

 スカートを握りしめて顔を真っ赤にし、プルプルと震えている。


「お兄ちゃんはベルナのお兄ちゃんなの! ダメ!!」

 ええっ?! 私の子供になる事は理解してるのに、それはダメなの?!

「ベルナ、それは──」

「ダメダメダメダメー!!」

 おおう猛烈! 口を挟む余地くれねェ!

 ベルナの後ろで、護衛の人がオロオロとしている。当のベネディクトはそんなベルナを見下ろして首を傾げていた。


「ベルナちゃん。でも、セリィ姉の子供になるって事は、ベルナちゃんのお兄ちゃんから、アティのお兄ちゃんになるって事なんだよ」

 そばにいた妹⑤バジリアが、膝をついてベルナと視線を合わせてそう優しく話しかける。

 しかし

「ダメなの! それはダメ! お兄ちゃんはベルナの!!」

 ベルナは聞き分ける筈もなく、顔を真っ赤にしてボロボロと大粒の涙を流し始めた。

 あー。そうか。兄が誰かの養子になる事は理解していても、『ベルナの兄ではなくなる』という事までは、まだ実感がなかったんだね。

 しかも、自分の兄ではなくなると同時に、知らん女の兄になる、と気づいたか。そりゃ嫌悪感が生まれても仕方ないね。


 私はベネディクトをチラリと見た。

 彼は泣き叫ぶベルナをただ見下ろしているだけ。表情が読めないな。前髪も長いし。しかし、口元がキュッと結ばれているのは見てとれた。


「ベルナ」

 私はゆるりと動き、ベルナの前へと近寄る。

 そして妹⑤と同じように膝をついてベルナに視線を合わせた。

「ダメなのっ!!」

「そうですね。ベルナはベネディクトがお兄ちゃんが他の子のお兄ちゃんになるのは、嫌なんですね」

 そう問いかけると、彼女は涙でグッチャグチャな顔をブンブンと縦に振った。

「分かります。私にも兄がいました。

 兄が私の兄ではなくなると思ったら許せません」

 セルギオスがもしそうならざるを得なくなったとしたら、私も同じ反応をしていただろうな。


 ベネディクトがいつ子爵家に養子に来たのか分からないけれど、多分ベルナの物心がついた時からベネディクトが傍に居て、彼女の中では『本物のお兄ちゃん』なんだ。

 そこには血の繋がり云々ではないものがあるのだろう。

「ベルナ。大丈夫ですよ。ベネディクトをよく見てみてください」

 泣き叫ぶベルナは顔を真っ赤にしてイヤイヤと首を横に振るだけ。

 私は根気よく待つ。

「大丈夫ですよ。ベルナ」

 落ち着いた声で、何度も彼女へと声をかける。

 少し落ち着いて来たのか、嗚咽を漏らしながらも、ベルナはベネディクトの顔を見上げた。

「ここにいるベネディクトは、例え私の子供になったとしても、ベネディクトである事には変わりません。

 立場的にはあなたの兄ではなくアティの兄になったとしても、ベネディクトがベルナの兄だった事はなくならないんですよ」


 セルギオスが死んでも、私の兄であった事が変わらないように。

 私が結婚しても、ベッサリオン伯爵家の娘だった事がなくならないように。

 祖父にとって私が孫娘であり、両親にとって娘であり、そして弟妹たちにとっては姉であり続けるのと同じように。

 その事実は消えて無くならない。

 例えそこに血縁関係がなかったとしても、培った時間は消えない。


「ベネディクトはベルナの兄でした。ただ、アティの兄にもなるだけです。

 肩書きは片方は消えてしまうかもしれませんが、お互いの気持ちが消えなければ、そうあり続ける事は出来るんじゃないでしょうか?」

 肩書きは確かに変わる。立場も変わる。

 でも、本人達がその気持ちを持ち続ける事は、他人にどうこう出来る事じゃないし、捨てさせる事も出来ない。

 本人達次第だと、私は思ってる。

 私は、例え離婚して名実共にアティの母ではなくなったとしても、母であった時の気持ちを捨てるつもりなんかない。

 彼女の事を大切に思い続ける。

 ただし、立場によって出来る事や許される事は違うけれど。その範囲で、私はアティを想い続ける。アティ自身に、拒絶されない限りは。

 一方的になったら、それは関係の破綻を意味するから。


 私の考えをベルナに伝えつつ、ベネディクトの顔もチラリと見上げてみた。

 ベネディクトは、少し目を見開いていた。

 私はそこに追い打ちをかける。

「ベネディクトは、ベルナの兄をやめたいですか?」

 彼の顔を真っすぐに見上げて、そう問いかけてみる。

 彼は更に目を開き、私からベルナへと視線を動かす。

「……」

 口はわずかに開いたが、言葉が出て来ないようだった。

 誰もがベネディクトの言葉を待つ。

 その場に、木々のさざめきと滝の落ちる音だけがこだまする。


「……分からない……」

 彼の口から出た言葉は、今までの『考える必要がない』というニュアンスの響きではなかった。

 本当に、自分で判別がつけられない、という声だった。

 それでもいい。今までやってこなかった事だろう。一度麻痺してしまった心の感覚を取り戻すのは酷く難しい。でも、その努力を続けていれば、いつかどんな形でも、感覚を取り戻す事が、きっとできる。

「じゃあ、考えてみましょう。

 ベルナも、ベネディクトがベルナの兄でもあり、アティの兄にもなる、という事について、考えていきましょう? 今は嫌でも、もしかしたら変わるかもしれません」

 ホントは抱き締めたり頭を撫でてあげたかったけど、ベルナに勝手にそんな事は出来ないので我慢した。

 その瞬間、ベルナはスパっと走ってベネディクトの足元へとしがみつく。

「ベルナの……お兄ちゃんでいて……」

 彼女は、ベネディクトの足にしがみつき顔を埋めて、そう小さく呟いた。

 当のベネディクトは当初そんなベルナを見下ろして固まっていたが──


 ベルナの震える頭を小さく撫でて

「……うん」

 そう、ポツリと返事をした。


 ***


 町の散策を終わらせ、屋敷へと戻って来た。

 猟に出ていたメンバーたちは、一足先に屋敷に戻って来ていたよう。

 デルフィナ、どうだったかな。ちゃんとカザウェテス子爵と話ができたかな。

 ツァニスが上手くやってくれているといいけれど。

 そんな事を考えながら着替えをして、弟妹たちやアティたちがいる筈の居間を向かっている最中だった。


 屋敷の廊下を、執事の一人がバタバタという足音をたてて走っていた。

 何事かと思って顔を上げると、執事が私の前で立ち止まる。

「セレーネ様」

 彼は息を切らせて小声で私へと話しかけて来た。

「申し訳ありませんが、今すぐ外出していただけますか?」

 彼は走っていたわりには顔を真っ青にして口早にそう告げる。

 え、どういう事?

 彼の態度の意味が分からずそう首を傾げると

「セレーネ!!!」

 そんな怒鳴り声が廊下の向うから響いてきた。

 声の主は──お祖父じい様。物凄い剣幕でこちらへと小走りに近寄ってくる。

 その後ろからはゾロゾロと色々な人が祖父の後を追っていた。

「!」

 その事に気づいた執事が、私をサッと自分の身体の影に隠そうとする。

 しかし、我々のもとに辿り着いた祖父は、執事の肩をグイっと引いて押しのけると──


 ガッ!!


 目の前に星が飛んだ。

 予想外の衝撃に身体が揺らぎ廊下へと倒れ込む。

 いったい……思い切り拳で殴られたっ……

「ヨルギオス様!!」

 あの声は……ツァニスか……?

 脳が揺れたっ……地面が回って、立つどころか周りの様子を見る事すらできなかった。

 周りをバタバタという人の足音で囲まれる。

 誰かが私の肩を抱いた。揺れる視線で見上げると、焦った顔をしたツァニスだという事が分かった。

「いくらセレーネの祖父でも殴る権利は貴方にはない!!」

 ツァニスが猛烈な声で祖父に抗議する。

 顔を真っ赤にした祖父は、床に崩れる私とそれを抱いたツァニスを、鬼の形相で見下ろしていた。

「そうやって甘やかすからダメなのだ! 貴方が侯爵であれど、しなければならない事には進言させていただく!!」

 何……? 話が見えない。どういう事? 何があったの……?


「話は聞いたぞセレーネ! お前はどれほど我が伯爵家の顔に泥を塗れば気が済むんだ! お前が子供を産む事を拒否したあげく、養子を取らせるなどと!! 我儘も大概にしろ!!!」

 祖父が唾を飛ばしながら、私をそう怒鳴りつけて来た。

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