第210話 なんとか気持ちを伝えた。

「貴方が主導権を持ってるんですよ」

 私がそう答えると、ツァニスはハッとした顔をした。

 気づいた? 気づいたよね。

 私にどれだけ主導権がないかを、ツァニスはベッサリオンに来て見たでしょう。


「私にはありませんでした。意見できる立場にもありませんし、そもそも権利がありません。逃げる夫を捕まえる力もありませんでした。嫁なんだからと義両親の口も塞ぐ事もできず、ただのサンドバッグでした。

 貴方は違う。違うんです。

 貴方は、意見を言う権利を持っているんです。貴方の立場なら、誰も貴方の口を塞げない。サンドバッグでいる必要はないんですよ。貴方の言葉であれば、耳を傾けてくれるんです」

 話していて涙が出て来た。

 私には、逆立ちしたって手にできないものだ。つい先日、私はそれを痛感した。


「しかも、権利を使わない選択肢も選べる。

 もしツァニス様が『周りの意見に逆らいたくない』と思うのであれば、そうすればいい。選べるんですから。その選択肢を選ぶ事に異存はありません。

 でも、それは他人の子供を盾にして良いという事ではないのではないですか?」

 周りの意見に流されただけなんだから、自分が踏みつけた人がいても自分にとがはない。そんな風に、考えて欲しくない。無意識にそんな事をして欲しくない。

「勿論、ツァニス様が私の事を優先して考えてくださった事は理解しています。とても嬉しいです。でも私は、私の代わりに更に弱い誰かが踏みつけられている姿を目の前で見せられて、平然としていられる人間じゃないんです」

 ましてや子供の人生が大きく変えられるのを指をくわえて見てられるほど、私は冷徹になれない。


「しかし……」

 ツァニスの顔が苦悶に歪む。

「立場が、役割がある。おいそれとそれを無視する事は……」

 彼の語尾が消えた。

 そんな彼の手を、私はガッチリと掴む。

 そしてツァニスの顔を下からのぞき込んだ。

「忘れましたか。私はつるぎです。何かと戦う時につるぎがない状態で戦います? まずはつるぎが手元に来るまでひとまず防御に徹しませんか?」

 いつかツァニスが言った言葉だ。

 もともとは彼の言葉ではないだろうが、それでも彼の口から言われた事だ。

「決定を保留にする、とはそういう事です。

 相手の意見を無視してもおりません。考える時間を取るだけです。

 少しでも疑問や違和感を感じたら、一度引いてください。『暫くは判断をつけない』という選択肢も、貴方には許されています。

 しかし、一度決定された事はおいそれと覆す事ができません。特に、貴方の立場なら余計に。だから周りは、貴方が正しいと思う判断を下す前に貴方を追い詰めて、自分たちの都合のよい判断をゴリ押します。

 もし、それが本当に貴方の為を思っての推薦なのであれば、考える余地をくださいます。そうしないという事は、つまりそういう事なんです」

 詐欺師の常套手段だ。相手に考える余地を与えない。

 しかも、駆け引きの上手な人間であれば、ゴリ押しているのだという事を感じさせない事までやってのける。


「ツァニス様も、心のどこかでオカシイと思いませんでしたか? 事が早く運びすぎるって」

 そう問いかけると、ツァニスは視線を一度私から外し逡巡する。そして微かに、首を縦に動かした。

「少し。周到しゅうとう過ぎる、と」

 だろうと思った。

 でも、ツァニス的には以前から考えていた事だったし、悪い話ではないと感じたからそのまま決定したのだろう。きっと、ツァニスに決断させた人物たちは、ツァニスに『ゴリ押ししている』という事を感じさせない手腕だった筈。

 油断できない。私だってそういう手管てくだには絡めとられてしまう。

 だから本当は、ツァニスだけが責められる事じゃないんだ。

「その場に私がいなくても、他にも頼りになる人間はいます。例えばサミュエルやマギー──立場は兎も角、ツァニス様が冷静に判断を下せるよう二人なら話を聞いてくれて、色々と進言してくれたと思います。

 二人は、カラマンリス侯爵家の事を、とても大切に思っていますから」

 少なくとも、二人は『自分はこう思う』という事を伝えてくれる。判断材料となるヒントを、二人から貰えるかもしれない。

「すぐには難しいと思いますが。

 今回は……ツァニス様一人に、判断をさせてしまった私に落ち度がありますね。申し訳、ありませんでした」

 私はそう、改めて謝罪の言葉を口にした。


「……お願いだ」

 俯いたツァニスが、ポツリと、呟いた。

 お願い? ツァニスが私に? 珍しいな。

 その思った瞬間、私が握っていた手から自分の手を引き抜き、ツァニスがガバリとまた私を抱き締めてきた。

 だから痛いって! 背骨折れる!

「私から離れるな。つるぎであるなら盾の傍にいろ」

 私の肩口にそうボソリと零したツァニス。

 ゆっくりと顔を上げて私の瞳を覗き込んできたのち、そっと顔を寄せてきた。

 私はサッと顔を背ける。

 驚き顔になるツァニス。何故受け入れると思った。甘いな。

「残念ながら、ツァニス様がお持ちになっているつるぎには意志があります。なかなか命令には従いませんよ」

 私は口の端を持ち上げて少し笑う。

『お願い』って言ったクセに命令口調だったぞ? それで私が落ちるとでも?

 すると、ツァニスが不満そうに顔を歪めた。


 その瞬間、私は彼の唇にそっと自分のを寄せる。少しして離れてから彼に頬寄せた。

「ただ、まだ暫くはそうします」

 そう答えて、彼の身体を抱き返した。


 ──そう返事しつつも。

 気持ちは晴れない。更に何か重たいものが、私の肩にのしかかって来ている気がした。

 今回、領地で他の貴族の意見をゴリ押されたように。

 私がいざ身動きが取れなくなった状態になった瞬間、周りからの意見に流されてツァニスが手の平を返さないとも言い切れない。


 今の私には、それが受容できない。

 どうしたら、いいんだろうか。


 ***


「それでね! カーラがね! ステイっていうとね! イヌがね! しゅわーってうごいてね! おすわりするの!」

「そっか。しゅわーって動くんだ」

「そうなの! すごいんだよ!」

「そうだね。凄いね」

「でもね! アティがステイっていってもね! ならないの! なんでかな?!」

「うーん、何でだろうね」

 興奮した様子のアティが、頬っぺたを真っ赤にして、身振り手振り全身で犬と遊んだ時のことを教えてくれる。

 よっぽど楽しかったのか、さっきから言葉が止まらない。

 楽しめたようで良かった。


 私とアティ、そして弟妹たちやカザウェテス子爵の息子と娘は、ゆっくりと居間でくつろいでいた。ニコラやマギーも、この部屋で給仕しつつもゆっくりしている。

 今日はゲスト達の旅の疲れを癒す為にと、晩餐会は開かれなかった。

 それぞれのタイミングでの夕飯の後、我々は居間でノンビリと過ごしている。

 祖父やツァニス、カザウェテス子爵は、祖父自慢のワインルームにいるだろう。


 ツァニスと話した後、私は軟禁部屋から解放された。

 ツァニスはあの後、そのまま祖父の元へと話をしに戻ると言って執事とサミュエルを連れて行ってしまった。

 なので私は、そのまま弟妹たちとアティがいる所へとおもむいた。

 犬と遊び終わったアティは、今度は馬に跨らせて貰っていた。

 妹④デルフィナの次に乗馬がうまい妹⑤バジリアが後ろに乗り、広場を速足はやあしで駆け回り、キャッキャとはしゃいでいた。


 それだけではなく、カザウェテス子爵の小さな娘・ベルナも馬に乗せて貰っていたが、彼女は固まっていた。首がガックンガックンなっててちょっと心配になるぐらい。

 後ろに乗る妹⑥キリシアは気にしてなかったんだけど……ちょっとは気にしてあげて欲しかったなァ。


 カザウェテス子爵の息子──養子となる予定のベネディクトは、子犬にまみれて末弟ヴァシリオスと楽しげに話していた。

 ヴァシリオスの物心ついた時には、既にセルギオスはいなかった。

 歳が近く年上の男の子と話せるのがきっと嬉しいのだろうな。

 当のベネディクトはずっと不思議そうな顔をしながら首を傾げ、ジッとヴァシィの話を聞いていた。


 馴染み方が半端なかった。いや、さすが弟妹というべきか。

 うーん。妹②が人見知りが結構あったんだよね。よく私の後ろに隠れていたっけ。

 その子以外の子の辞書には『人見知り』という言葉はないね。うん。


 そして、その後──今に至るワケだけれど。


 私は居間のカウチに寝そべりアティの話を聞きながら、今に至る情報を頭の中で整理していた。頷かないとアティが私の首をクキッと無理矢理頷かせようとするので、頑張って頭の中でマルチタスクしながらね。


 状況の複雑さに、私は思わずため息を漏らしてしまった。

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