第208話 烈火の如く反対された。

「ダメだ!!!」

 速攻でツァニスが否定の言葉を放ってきた。

 早い。いい。その反応速度、嫌いじゃない。


「ツァニス様、それは──」

「ダメだ!」

「いえ、待ってください。まだ──」

「ダメだ!」

「そうじゃな──」

「いやだ!」

「あのですね──」

「絶対ダメだ!!」

「落ち着けコラ。話を聞け」

 先程から拒否する言葉しか吐かなかったツァニスの両頬をガッチリと掴み、私と無理矢理視線を合わせさせる。


「まだ『それも選択肢のうちの一つ』として考えてるっていうだけです。

 それに、他にもそう考えた理由もあるんですよ。

 今後どうするのかを、その選択肢を込みで一緒に考えたいんです」

 ゆっくり、噛んで含めるようにそう伝えると、ツァニスの両頬をガッチリ掴む私の手首を掴む。

「聞くのが怖い。何を反論しても論破される気がする」

 あー。今まで私が老元子爵や執事たちをコテンパンにしてきた姿を見てるからだね。

 私はハハッと笑った。


「そんな事はしませんよ。

 私はツァニス様と話し合いたいんです。

 意見をすり合わせたいんです」

 ツァニスは敵じゃないからね。打ち負かす事が目的じゃない。

「今までの事やこれからの事、理由や背景などを共有し、私とツァニス様で、お互い条件を出したり譲歩しあったり、一緒に折衷案を考えたりしたいんです」

 ツァニスはまだ微妙な顔をしている。

 あー。そうか。

 彼も私とは違う形で、意見を封殺される恐怖を知ってる。

 私が、大奥様と同じ事をしないかどうか不安なんだな。

「大丈夫です。

 ツァニス様は弱くないのですよ。私よりも圧倒的に強いんです。

 だから、そう思い至った理由を、まずは聞いてくださいませんか?」

 そう伝えると、私の手首を掴んでいたツァニスの手が私の手に重ねられ、やんわりと頬からどかされた。

「分かった」

 そう答えたツァニスだったが、表情が『渋々だ』と物語っていた。


 良かった。

 昔のツァニスだったら、私の理由など聞いてはくれなかっただろう。

 変わってくれて、本当に良かった。

 比較的男性の方に、変化を嫌う人が多いように思う。

 何があっても自分の生活やリズムを変えたくない、自分の手間や労力その他の事を変えたくない、自分が変わるその前までは、相手や周りが先に努力をすべき、そう、無意識にナチュラルに考える人が。

 相手にだけ労力を押し付ける、ツァニスがそういう人ではなくて、本当に良かった。


「先程、自分で決めたい、そして決意したい、私はそう言いましたよね」

 語り始めると、ツァニスは私の両手から手を離して小さく頷いた。

「まず、貴方を『アティの父』や『私の便宜上の夫』としてではなく、ひとりの男性として、見たいんです」

 そう告げると、ツァニスの目が途端に輝いた。

 あまり口数は多くないしあんまり分かりやすく表情に出るタイプじゃないんだけど、この一年で随分分かるようになってきた。

 もしかしたら、更にそこから肩書きを外して彼を見たら、また違った彼の姿を見れるかもしれない。

 今だって、ゼロか百でしか愛を叫べず、口下手でコミュ下手なツァニスに、いとおしさを感じている。ただ、それはまだ恋愛感情ではないだけ。

 それが、獅子伯への気持ちとの、唯一の違い。


「ただ、それがどれほど時間がかかるのか、分からないんです。時間をかけたって、『やっぱり無理』になる可能性もあります。

 そんなに長く結論を先延ばしにできる物でもないのも分かっていますし。

 でも、期限に追われて無理矢理結論を出してしまっては本末転倒になってしまいます」

 私は、納得したいのだ。決意したいのだ。命をかける価値がある意味を見出したい。肩書や役割以外の。

「時間は無限ではありません。また、刻一刻と状況は変化していきます。

 ツァニス様が私の結論を待ちたくても、周りが許してくれない事もあるかと思います」

 ツァニスほどの立場の人間なら、他の人よりは更にその傾向が強いだろう。

「その圧力は、ツァニス様と私を追い詰める事になるかと思います。

 そうならないようにも、私が『侯爵夫人の座』を降りる必要があるのだと、思っています」

 私が、『離婚』の選択肢を出した他の理由を聞いて、ツァニスが眉根を寄せて目元を揉んだ。

 あー。もしや、既に誰かに言われたね?


「これは、ツァニス様に選択肢を残したいからでもあります。

 離婚しなければ、ツァニス様には『私の決意を待つ』という選択肢しか残されなくなります。それは私が嫌なんです。

 状況は常に変わり続けます。

 もしかしたら、ツァニス様に他に添い遂げたいと思う女性が──」

「そんなものは現れない!」

 全部言い切る前にツァニスに遮られた。

 凄いな。言い切れちゃうんだ。……凄い熱量。

「そんな事を言っていただけて、私は嬉しいです。貴方の気持ちを疑ってるワケではないんですよ。

 未来はわからないんです。

 状況がそれを許さなくなるかもしれないし、条件を鑑みて妥協できる相手が見つかるかもしれない。

 子供を早く欲しくなるかもしれない」

 今はそんな事あり得ない、と思っていても、時間と状況が変化したら、そうとは限らなくなる。

「いざそうなった時に、不本意な方法を取らざるを得なくなるような事には、なりたくないし、なって欲しくないんです。

 その為の方法の一つが離婚だと、私は思っています」

 縛られたままでは、お互い上手く立ち回れなくなる事もある。そう、思う。


「それでも、私は、離婚したくない」

 ツァニスが不安そうな顔でそうポツリと零した。

 私はその顔に苦笑で応える。

「はい、分かりました。そのうち、ツァニス様の『離婚したくない』理由も教えてくださいね」

 そう伝えると、ツァニスはコックリと首を縦に振った。

「それに、まだ私自身も揺れているんですよ」

 そう、これは、まだ結論じゃない。選択肢のうちの一つ、というだけ。

「離婚すれば、アティと離れざるを得なくなる。それが一番辛い。

 それに、離婚したら私は伯爵家には戻れないでしょう。祖父は絶対に許さない。ベッサリオンに戻る事もできなくなり、勘当され平民になると思います。

 そうなったら、生活できなくて野垂れ死ぬかもしれません」

 それだけ、女一人が生きるには厳しい時代だ。それに、本当にアティと離れるのは自分でも嫌。でも、このままでは適度な距離を保てる自信もない。血の繋がりがない分、必要以上の近さを彼女に求めてしまいそうで怖い。

 例え、アティと離れたとしても、彼女の為に出来る事は全てやる。アティには周りに沢山の人がいる。間接的にアティの身の回りに働きかける方法もある。暗躍してもいい。


 ──アティが一人の人間として幸せになれるのであれば、私自身が直接、幸せにしなくてもいい。


 だから。


 アティとの生活、対して、自分の選択の尊厳。

 どちらを取るのか。


「離婚についてのリスクも考えた上、ツァニス様の気持ちや意見を鑑みてから、結論を出したい」


 まだ、結論は、出てない。

 他に、良い方法が、あれば良いのだけれど。

 でも──


「もし離婚し、その後何とか生き残れた後、決意できたら──」

 一度そこで言葉を切り、落ち着いて深呼吸してから、改めて口を開いた。

「改めて、私と結婚して下さいとお願いしにいきます。そして、本当の夫と本当の母として、貴方の家族になりたい」

 そして、何の葛藤もない状態でツァニスとアティを愛したい。全力で侯爵夫人として腕を奮いたい。大地をならす勢いでね。


「勿論、その時ツァニス様にも断る権利もありますからね」

 そう付け加えると、ツァニスはフッと苦笑を漏らした。

 離婚して平民になった元妻からの告白など、受ける義理は勿論ツァニスにはないし、周りからの反対もえげつなくなるに違いない。


 私が言い切った後。

 ツァニスは無言だった。

 苦笑を消し口元に手を当て、眉根を寄せて何かを深く考えているよう。

 そう、考えて欲しい。

 考えるのをやめて、誰かから指示された事をただこなすだけの生き方をして欲しくない。


 アティに勿論そんな事をして欲しくないし、ツァニスにも、そうやって生きて欲しくない。

 侯爵という立場なのだから、人よりも気持ちを優先できる状況はそう多くない。

 でも、社会とは個人が寄せ集まって構成される。

『ただみんなで呼吸しているだけ』の形骸化した社会では、意味がない。

 貴族、平民、男、女、大人、子供、健康不健康関係なく、誰もが、自分の気持ちを持ちつつ、他人の気持ちにも寄り添えるもの、そうであって欲しい。


「……!」

 ツァニスが、突然何かを思い付いたような顔をした。

「大丈夫だセレーネ。離婚する必要はない」

 まるで天啓を受けたようなツァニスの表情。

 え、何? 何を思い付いたの?


「実は、カラマンリス領へ戻った時に、決まった事があるんだ」

 ツァニスが、私の肩をガシッと掴んで顔を寄せてくる。

 近い近い近い、圧力が凄い。

「実は、養子を取る事になったのだ。

 これで周りから『嫡男はまだか』と言われる事もなくなる。

 我々への周りの圧力はなくなる!」


 そんなツァニスの言葉に、私の思考が一瞬止まった。

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