第207話 今の状態を真摯に話した。

 今までは無視してしまっていた事だったけれど、アティに依存しているのだという事に、改めて気づいてしまった。


 アティの傍にいる為に『ツァニスの妻』『侯爵夫人』でいようと思っていた。アティの傍にいる為に、夫の妻となり、侯爵夫人として振る舞おう、そう、思っていた。


 でもそれって、ツァニスや侯爵という責任ある立場を、軽んじていないか?

 例え決定権がなくったって、私はベッサリオンの伯爵令嬢として、自分の能力全てを使ってベッサリオンの事をしてきた。その場所が良くなる為だったら、お祖父じい様やお母様に噛みついてきた。

 だって、大切な弟妹達がいて、セルギオスがいた場所だから。それに、そもそもベッサリオンという場所が好きだったから。

 確かにちょっと閉鎖的で時々息苦しくなる所ではあったけれど。

 セルギオスも、ベッサリオンを嫌ってはいなかった。だから嫡男として、動かない身体の代わりに頭脳を使ってベッサリオンの為に色々してきていた。

 セルギオスはセルギオスとして、自分に出来る範囲の最大限の努力をしていた。


 私は? 今は?


「このままでは、そのうち『アティの為に我慢してきたのに』『アティの為に頑張って来たのに』『アティの為に決意したのに』と、上手くいかない事の理由を、全てアティのせいにしてしまう危険性があります。

 絶対に、そんな風にはなりたくないんです。

 なりたくないけれど……自分が、変な方向へと意固地になって歪んでしまう可能性も、あると思うんです」

 私は変に頑固だから。歪んだ見方をしてしまっている自分に、きっと気づけない。

 そしたら、絶対アティを傷つける。貴女の為なのよと言いながら、アティを自分の思ったように操作しようとしてしまう。

 ニコラの母や、乙女ゲーム中のマギーがそうだったように。


「じゃあ、どうしたらいいんだろうか、なんでアティのせいにしてしまう可能性があるのか、どうしたら、そうはならないようになるんだろうかと、考えてみました」

 まだ、結論は出ていない。

 そんなに簡単には結論は出ない。

 でも、一つだけ、思い至った事があった。


「……私は、ツァニス様と再婚する事も、侯爵夫人になる事も、アティの母になる事も、自分で決めていませんでした」

 だって、決定権がなかったから。

 私の人生の身の振り方は、全て私以外の人間が決めて来た。

 誰と結婚し、どんな立場になり、誰の子を産み、誰の母になるのか。

 そこに、私の意志は、全く含まれていなかった。


 だから、アティの事以外はずっと、

 気がずっとしていた。

 ツァニスの妻でいる事も、侯爵夫人でいる事も。

 全部が全部、他人から『やれ』と命令されてきた事のような気がしていた。


 勿論、その役割の大切さも理解している。

 でも、人間のサガなのか知らないけれど、そうしなきゃいけないと自分で分かってはいる事でも、

 なぜ、こうも人の気持ちって不便なものなんだろうか。


 それを告げてしまうと、ツァニスが物凄く目を見開いて驚いた顔をしていた。

 え? 何に驚いたの? 何か驚くような事、あった?

「ツァニス様? どうし──」

「そうなのか? 私との結婚は……セレーネが了承したのではない、のか?」

 少し震えた声で、ツァニスがそう呟いた。

 ……ああ、そういう事か。

 ツァニス、祖父と父にそう言われたんだね。『私が結婚を了承した』って。

 私はゆるゆるを首を横に振った。

「私がツァニス様と再婚する事を聞いたのは、結婚の日程まで全てが決定してからです。意思確認はおろか、ツァニス様がどんな方なのか、連れ子がどんな子なのかも、知らされませんでした」

 だから、私はアティがだという事を、あの場で知ったのだ。

 そもそも、ツァニス様のファーストネームすら聞かされていなかったと思う。

 祖父も父も、ずっと『カラマンリス侯爵』としか私に説明しなかった。私も、敢えて知ろうとはしなかった。


「しかし……セレーネが? 勝手に決定された事に、反発しないなんて……」

 ツァニスが口元に手を置き、顎をさすりながら呟く。

 ああ、そうだね。ツァニスは、顎掴んで暴言吐く私しか知らないもんね。

 私は、思わず苦笑した。

「当時の私は、若干腐っていました。色々な事を諦め気味で、『嫌』云々どころか何も感情が浮いては来ませんでした」

 領地にまとまった現金がもたらされるし、どうせ何か言う権利すらなかったし。

 意志確認等される筈もなく、かといってこっちから意見したところで聞く耳はもってもらえなかっただろう。

 今回のデルフィナのように。


 ツァニスは、何かに気づいたかのように、両手で頭を抱えてしまった。

 え? どうしたの? 大丈夫!?

「そうか。なるほど。アレか。先ほどのカザウェテス子爵とセレーネの妹の結婚話……つまり、ああいう事だったのだな」

 そう疲れた声で漏らしたツァニス。ああ、そうだね。まさに、アレだったね。

 お祖父じい様は、こと結婚については私たち孫娘の言葉等聞く気はない。

 孫娘たちの結婚は自分が決める事だと思っているからね。そこに孫娘の意志など関係ない。むしろ、邪魔なのだ。下手に聞いて駄々をこねられたら面倒クサイ、そう考えていそう。

 合理的主義も、そこまで徹底していたらある意味脱帽。

 ……昔から、あんな人だったかなぁ。昔はもっと、私たちを道具ではなくちゃんと自分の孫娘として扱っていてくれたような気がするんだけどなぁ……子供、だった、からかな。


 そうか。ツァニスとの最初のすれ違いは、それも理由としてあったんだな。

 ツァニスにしてみれば、『結婚を了承した癖に』と思っていただろう。

 そりゃすれ違うわ。

「はい。それで、考えました。

 じゃあ、と」

 そう言うと、自然とほほ笑みが漏れた。


 そう、全部自分で決定できれば、納得できるのか、と。

 おそらく、できる。『自分で決定する』とは『覚悟する』事だと、私は思うから。

 覚悟が出来ていなければ決定はできない。

 ただし、理不尽な選択でなければ、だけれど。理不尽な選択の場合なら、どの選択肢を自分で決定したとしても遺恨いこんが残る。だって本来どれも選びたくないものなのだし。

 出来れば、選択肢自体にも自分の意見を入れたい。


「今回、デルフィナ──私の妹の結婚について、彼女は納得していませんでした。

 結婚する事は嫌ではない、相手の事を拒否する程相手の事を知らない、でも、ベッサリオンを出たくない、そう言っていました」

 私は、私の胸の中で小さく震える妹の姿を思い出す。

 彼女は不安なのだ。知らない人と結婚し、知らない土地へ行く事が。

 そりゃそうだ。その先に、何が待ち構えているかも分からないのに。

「だから、私はあの場で、デルフィナの意見を聞いて、相手と擦り合わせを行って欲しかった。条件次第では、デルフィナは納得して自分から結婚するという結論を出せたかもしれない。

 でも、今のままでは、そんな事できません」

 私が軟禁部屋に押し込められる前の、デルフィナのあの諦めたような顔。

 あんな顔を、妹にさせたくない。

「そうだな。確かに」

 いつの間にか復活したツァニスが、私の言葉にコックリと頷く。

「しかし、可能なのか? 真っ先にビンタが飛んでくるような相手との対話なぞ」

 そう問われて、私はニヤリと笑った。

「あの時、タックルされていなければ」

 そう、無理矢理止められたのが敗因なのだ。

 もし執事がタックルしてこなかったら、今度は母がもう一発私にビンタして部屋から引きずり出しただろう。

 その妨害さえなければ、私は声をあげられる。


 私の口を、誰かが封じようとしない限り、私は声をあげられる。


 なるほど、という顔をするツァニス。

 しかし、何かに気づいたかのように、私の顔をいぶかし気に見た。

「セレーネはどうなのだ? セレーネは、どうやって『自分で決定』するんだ? もう結婚もしているし侯爵夫人で、アティの母ではないか」

 そう問われて、私は薄く微笑んだ。


 まだ、やり方について結論はでてない。

 でも、これが自分の中では一番シックリくる方法、というものがある。


 私は背筋を伸ばし、ツァニスの顔を真っすぐに見上げた。

 正面から、私の夫と対峙する。


「離婚も一つの手だと思っています。関係を、一度リセットするんです」

 そうハッキリ告げると、ツァニスの顔に驚愕の色が浮かんだ。

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