第201話 相談された。
馬の世話は朝が早い。
まだ日が上り始める前から行われる。
まだ冬の名残が濃いベッサリオンでは、この時間が一番寒い。
露出した肌に冷たい空気が刺す。
日中の日差しは暖かくなってきたから、雪が溶け始めてるんだけど、夜になると凍る。
この時期が一番危ないんだよね。気をつけなきゃな。
今手入れした馬に準備運動をさせる。
すると、後ろでガツンガツンと蹄の音がした。
振り返ると、他の馬が厩舎の中で、頭をブンブン上下に振りながら足で地面を蹴っていた。
『早く早く』という催促でしょ。あの子はホント気が早いなァ。
「セリィ姉様、その子は私がやるから」
そう言って、手綱を私から受け取ったのは、妹④・デルフィナ。
屋敷の馬の管理は、彼女と厩務員が行なってる。デルフィナは、ホント馬とツーカーだよね。本当にテレパシーとかで会話してんのかな……?
馬の手綱を妹④・デルフィナに手渡した私は、厩舎の中で荒ぶる馬の元へと行く。
目の前に立つと、馬が首を伸ばして私の肩に鼻先を擦り付けてきた。ついでに肩を甘噛み。
痛いって! アンタのソレ、本人的には甘噛みなんだろうけど甘くないんだって! 荒いの愛情が!!
「ハイハイ、待ってね」
私は馬の鼻先を叩き撫でつつ落ち着かせる。
いくら気心が知れた子だといえ、興奮して蹴られたら無事では済まないからなぁ。
私が帰ってきて嬉しいか! そうか! 分かったから落ち着いて!
確かに、この子は私のお気に入りの牝馬。長い青毛が美しく体格もいい。もう結構な歳なんだけど、頭が良くて気が強く、小娘には負けてないぞという気位がある。
……そういえば、誰だっけ。この子が私にソックリだって言ったの。デルフィナだっけ?
そろそろ足に気をつけないとな。
馬は足をやられたら命取りだ。
もう先がないとなった馬は安楽死させられる。利用価値がないとコストだけが嵩むから。そして、みんなで馬に感謝して、食べることになる。
……この子の事、私、食べられるかな。
いくら私でも、ちょっと、いや、多分無理。解体も出来ない。
……いや、他の人間にやられるぐらいなら、自分がやるかな。他の人間にアレコレさせるぐらいなら、私がやる。他の人間に下手に扱って欲しくない。
この子は、私の子だから。
いや、ホントはね。カラマンリスにも連れて行きたかったぐらいなんだよ。
でもね、母に止められた。流石にダメだと怒られたわ。馬を連れて嫁入りする貴族令嬢が何処にいる、と。いやぁ、文化によってはあるよね? ただの文化の違いだよね??
ま、ダメだったんだけど。それに、こことカラマンリス邸がある場所では気候が違い過ぎる。この子にとっては、向こうは暑すぎるから。
だから、妹④・デルフィナに後をお願いした。変わらず可愛がって貰ってたんだって、再会してすぐに分かった。相変わらず美しかったし。
お気に入りの子が落ち着いたので、厩舎から出してあげる。
すると、走りたい走りたいと飛び跳ね始めた。ダメだよ! まずは準備運動から!! 気が早い!!
私が手綱を持って広場の方へと行こうとすると、服の裾を噛んで引っ張られた。
乗れ、と。そして走ろう、と。
だからダメだってば。鞍を乗せてないし、私は裸馬には乗れないの!!
さては、デルフィナ、この子に鞍を乗せずに乗ってるね? だから、癖がついたね?? もう、私には無理だよ! 私はデルフィナほど乗馬上手くないのっ!!
いいじゃん! ヒトリで走ろうよ! その方が身体に負担かからないから気持ちがいいよ?!
私が鼻先や身体を叩きつつなんとか宥めようとするが、この子はヤダ、乗れ、走ろう、と
「ふふっ。ホント、セリィ姉様ソックリね」
向こうのほうで、馬を走らせ始めていたデルフィナが、振り返りつつそう笑った。
ホント、ソウデスネ……やっぱり飼い主に似るんかなぁ。それとも、似てるから気が合ったのかなぁ。永遠の謎だわ。
なんとか、お気に入りの子にストレッチをさせる。そして、ランニング用の広場に離してあげた。ホントは手綱を持って人の意図通りに走る練習したかったけど、もう、いいかな。どうせこの子は頭がいいから理解してるし、私がやって私の意図通りに動いてもなァ。他の人でやれるようにならないと意味がないし。
離された瞬間、ヒャッハーとテンション爆上がりで走り出す馬。ホント、私にソックリね……くっ!
それを眺める妹④・デルフィナの横にそっと立った。
デルフィナは、白い息を細く吐き出しながら、馬たちを眩しそうな目で見ていた。
空が白み始めてる。そろそろ夜が明けるね。
「……セリィ姉様」
デルフィナが、ポツリと私の名を呼ぶ。
その声に振り返ったが、デルフィナは私の方を見ていなかった。
「カラマンリス侯爵家はどう?」
そう尋ねられ、私は首を捻る。どう、と言われてもなぁ。最初は針の
「やっと居心地は良くなってきたかなぁ」
そうなるまでは、まぁ色々大変だったね。ガムシャラに突き進んで、やっと今に至るって感じか。
「侯爵様は、優しい?」
ん? どうしたデルフィナ。なんか、いつもと違うけど。
「そうだね。最近は優しくなってきたよ」
それまでは、不要な事も必要な事も、何も言わないタイプだったけれど。ホントアレには参ったね。
「カラマンリスって、どんな感じなのかな」
……どういう事? なんでそんな風に言うの?
──まさか?!
「デルフィナ? もしかして──」
私が慌てて尋ねようとする前に、デルフィナがゆっくり振り返って私の顔を見上げてきた。
「私、結婚するかも。相手は、カラマンリス領のカザウェテス家だって。凄ーく歳上なんだけど、大丈夫かな」
大丈夫じゃねえよ?! 歳上?! 『凄ーく』って評したってことは、下手したら私やツァニスより上だな?!
知らない! そんな事、ツァニスにも聞いてないし!
「なんで?!」
私が問い募ると、いつもは飄々として何にも動じなさそうなデルフィナが、眉毛を下げて困った顔をした。
「セリィ姉様の件で縁が出来たから、是非にって話を貰ったらしいの」
「いつ?!」
「夏過ぎかな。なんか、セリィ姉様、『カラマンリスのダチュラ』って呼ばれてるんだって?」
ぐぁっ!! 噂がとうとうベッサリオンまで!! 悪評って広がるの早ェな!!
ん? 待てよ? 悪評なら、普通、逆の効果じゃね?
「ふふっ。セリィ姉様は、どこへ行ってもセリィ姉様ね。いらっしゃった貴族たちは、セリィ姉様を大絶賛の嵐よ。お
ま、少し? 毒が強いとも言われてたけれど」
ダチュラはチョウセンアサガオの事だもんね。くっ……なんで良い噂だけじゃないんだ。余計な一言つけんなよっ!
小さく笑った割には、デルフィナの顔は曇っていた。
再び、走る馬へと視線を戻す。そして小さく溜息をついた。
「……でも、私は、違うんだけどな……」
ホントだよ?! 姉がダチュラだから妹をって?! アホか!! デルフィナは私の分身じゃねぇぞ?!
顔もあんまり似てないし、私よりも貴族令嬢然としてんぞ?! ……裸馬に乗れるけど。
「でも、オフェリア姉様も、メリッサ姉様も、シンシア姉様も結婚したわ。セリィ姉様も。
次は、私だって」
デルフィナの身体が小刻みに震えてる。これは、寒さのせいじゃ、ないよね?
「オフェリア姉様はいいなぁ。結婚相手がベッサリオンなんだもん。ウチには居なくても、ベッサリオンには変わらないし」
オフェリアとは、私のすぐ下の妹だ。今はアレクの弟と結婚している。アレクが廃嫡されたって事は、次期子爵夫人だ。
「私、ここが……ベッサリオンが好きなの。でも──」
デルフィナが俯いた。彼女の口から、白く細い息が漏れる。
「……結婚したら、出ていかなきゃいけないんだよね。
なんで……なんだろうね……」
デルフィナの肩が上下に小さく揺れた。
泣いてる──
私はデルフィナの身体を抱き寄せて、その身体を強く抱きこむ。
彼女の顔を私の肩へと押し付けた。そして頭を撫でる。彼女の頭を撫でるのなんか、いつぶりか。
デルフィナはしっかりしてて、お
姉たちが結婚して居なくなった後、デルフィナが我々の代わりに色々仕切って来ていた。
そう、思ってた。
内心、こんなに不安がってて怯えてたのに。
私は気づかなかった。
姉なのに。この子のオシメを変えてきたのは私なのに!!!
私は自分が不甲斐なくなる。
「ごめんね、デルフィナ。気づいてあげられなくて」
そう呟きつつ、妹の体をより一層強く抱きしめた。
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