第197話 懐かしい思いを沢山した。

 一人でゆっくり考えたい──

 そんな事考えていたけれど、そんな暇はぶっちゃけ殆ど取れなかった。

 そうだった……ベッサリオンでの生活は『暇』とは無縁だったね!!!


 朝食中、いつも通り母からグッチグチ小言を言われ、右から左へと流した。

 ……明日からは、馬の世話をする事を口実に、早起きして顔合わせないようにしようっと。


 私はサッサと朝食を済ませ、厩舎と犬小屋の方へと行った。

 その後ろを、妹⑦・カーラと末弟・ヴァシィがついてくる。

「ヴァシィはお祖父じい様と一緒に行くんでしょ!?」

「違うよ! 今日はセリィ姉さまと一緒!」

「やめてよー! そんな事したら私がお祖父じい様に怒られちゃう!」

「大丈夫だよ。お祖父じい様『いい』って言ったもん」

「でも! 絶対お祖父じい様、セリィ姉さまに小言言うもん! やめなよ!!」

 カーラ、それ、正解。

 末弟には激甘なお祖父じい様は、ヴァシィには何も言わない。

 代わりに私が怒られるだけ。

「カーラ、いいよ。大丈夫。お祖父じい様は誰かに言いたいだけだから。私は構わないよ」

 どうせ左から右へと流すしさ。

「セリィ姉さま、ヴァシィに甘い!! ズルい!!」

「ズルくありませんー。私は全員に甘いんですゥー。あなたたちの為なら、お祖父じい様の小言の一つや二つ平気なんですゥー」

 カーラだって滅茶苦茶可愛がっていますゥー。一回り以上離れた妹が可愛くないワケがなかろうがっ!!

「知ってますゥー!!」

 カーラが私の口真似をして返事をした。可愛いヤツめっ……! 見た目は私には似ずに、クリックリの大きな目にやんちゃそうな顔。性格は私に瓜二つ。可愛くいないワケがないっ!!!


 ケラケラ笑ってついてくる二人を後目しりめに、屋敷の裏にある犬小屋に辿り着く。

 誰か来た事に感づいた犬たちが、ワンワンと吠えまくっていた。

 そういえば、ちゃんと犬小屋に来たのは戻ってきてから初めてだったなぁ。

 犬小屋の扉のかんぬきを抜く。ゆっくりと扉を開けて──

 飛び掛かられたっ!!


 驚いて後ろに尻もちをつくと、扉から解放された犬たちがワッフワフと興奮しながら私に覆いかぶさってきて、ベロンベロン顔を舐めてきた。

 ちょっ……! 呼吸できないんですけど!?

「セリィ姉さまが帰ってきて嬉しいんだよ」

 末弟・ヴァシィが、犬にたかられる私をニコニコしながら見降ろしていた。

 いや! そうだけど! そうなんだけど! これはちょっと熱烈過ぎない!? 帰ってきたばっかりの時に既に感動の再会やってるんだけど!?


「ステイ!!」

 そんな厳しい声が、後ろから飛んだ。

 すると、その声にビクーンと反応した犬たちが、瞬間的に私から散って、地面にビシリと並んで整列してお座りする。

 ……まだ私、子犬に、鼻の孔までなめられてますけどね。そうね。まだ子犬だから、コマンド、入ってないんだね……だから、仕方ないね……

 なんとか声の主の方を見上げると、そこにはビシッと背筋を伸ばしたカーラがいた。

「ゴー!!」

 その言葉と共に走り出したカーラ。すると、犬たちも飛び跳ねるように立ち上がり、猛烈な勢いで走り出したカーラの後を追っていった。

 子犬だけ残していかないでよ……どうしたらいいのさコレ……何匹かはカーラの方行ったけどさ、残った子たちは? どうすんの??


「セリィ姉さまがいなくなった後、ボスになったのはカーラなんだよ」

 犬小屋の中から使い古した藁のクッションを出しながら、ヴァシィが教えてくれる。

 そうそう、結婚前まで犬の群れを管理制御していたのは私。圧倒的ボスとして犬の群れに君臨してた。

 あのワンコたちは、馬や牛たちを守るため、猟のお供として、そして私の心の癒しとして可愛がってたんだよねぇ。ホント、可愛い子たちばっかり。ま、勿論その子たちによって忠誠心はバラバラだし、頭の良い子、それなりの子たちもいたけど。

 このワンコたちも、私の大切な家族。

 アティがここにいたら……きっと、アティも犬に埋もれてキャッキャできただろうな。

 アティ、元気かなぁ。泣いてないかな。寂しがってないかなぁ。……ぶっちゃけ、ちょっと、寂しがって欲しいなぁ……


 子犬を自分の上からどかして立ち上がった私は、ホウキで犬小屋の中を掃除し始めた。あー。子犬がァー。足元をウロチョロして踏んでしまいそうー。怖い! あ! 竹箒たけぼうきを噛むんじゃない! ペッしなさい!!

「ヴァシィは? てっきり、ボスはヴァシィがなるかと思ってた」

 再婚前まで、私と一緒に犬の世話をしていたのはヴァシィだ。まあ、カーラも一緒にやる事もあったけど、一番熱心なのはヴァシィだった。

「うーん。どうなんだろう? 僕は群れの一員として認められてるみたいだけど、みんな僕を弟扱いするんだよね」

 眉毛を下げて苦笑するヴァシィ。

「たぶん、セリィ姉さまがいた時、姉さまが僕を扱うのと同じようにしてるんだと思う」

 なるほど。ボスだった私と同じようにヴァシィに接するのか。面白いな。ま、確かに、あのワンコたちの中で一番年上の子なんかは、ヴァシィがまだアティぐらいの時に生まれたんだしね。犬たちにとってヴァシィは、ボスではなく群れの中で守るべき存在、なんだろうな。

「それに僕、カーラみたく犬に厳しくできないし」

 犬小屋から取り出したクッションを振り回す子犬の頭を撫でながら、ヴァシィがポツリと呟いた。

 あー。そうかもしれない。ダメな事をした時に、ヴァシィは犬を強く叱れない。

 強く叱れないと、犬はダメな事が理解できない。

 ヴァシィが優しい子に育ってくれたのは嬉しいけれど、動物相手にする時は、時には厳しさも必要だしなぁ。

 ……いや、ヴァシィはこのままでいい。その方が彼らしい。

 どうせカーラが新ボスとしてビッシビシ犬たちを躾けているだろうしね。


 ふと、庭を走り回るカーラたちの方へと視線を向けた。

 白い息を吐きながら笑顔で走るカーラと、その周りを飛び跳ねながらついて回る犬たち。

 カーラは、もうすっかり犬たちのボスになっていた。犬たちもそれを認めて凄く信頼している。


 ……もう、私がいない状態で、ベッサリオンが回り始めている。

 それが少し、ほんの少しだけ、寂しく感じた。


 ***


「セレーネ、いつ帰るんだ」

 夕飯の時間。

 家族全員が揃ったほのぼの時間に、そんな冷たい言葉を放り込んだのは、祖父だった。

 ……悔しいぐらいいつも通りだ。クソッ。


 屋敷の食堂はさほど広くないが、天井は高く古いシャンデリアがぶら下がっている。

 とはいえ、何か祝い事でもない限り、それに灯が灯される事はないんだけどね。

 古いけれど手入れがされて美しいテーブルを、祖父を中心にして両親、そして私と弟妹たちが囲む。


 祖父の言葉に、両親、そして弟妹たちの視線が私に突き刺さった。

 妹⑦カーラと末弟ヴァシィの表情が曇る。

 他の妹たちも眉間に皺を寄せていた。

 彼女たちも、私と同じように『またか』という顔をしている。

 私は小さく一度溜息をついてから、フォークを持った手を下げた。

「お祖父じい様は、私の顔を見るのに飽きました?」

 この一年で私も成長したんだよ。

 そう簡単にボコボコにされるか!

 ……帰ってきた当初の時は除いてね。

 まさか出会いがしら罵倒ばとうをそこで喰らうとは思ってなかったから、ボッコボコにされたよ。

 くっそ、手が震えてフォークが皿に当たってカチャカチャいってる。

 フォークを皿の上に置いて手を下げた。


 祖父は私のジロリと睨みつける。

「そうだな。二度も戻ってきた孫の顔などは、もう見飽きた」

 ドスの効いた声でそう吐き捨てた。

 ちょっと待てや。まだ離婚してねぇし。

「それは残念。私はまだまだ見飽きておりませんけれどね。人によるのでしょうか」

 私はニッコリとした顔で言い返す。

 その言葉に、祖父は小さく舌打ちした。

 元伯爵ともあろう者が、舌打ちなんて下品ね! ……人の事言えないけど。


「前の時は許した。冬の狩りの手伝いだ。人手は何人あってもいい。それは構わん。

 しかし今度は、何だ。お前の身勝手ではないか」

 ぐぅ。確かに、前は手伝いの為だった。

 今回は違う。冬の終わりももちろん忙しいけれど、事前告知もなかったし、思い立って勝手に来た。

 それを突っ込まれると痛い。

「孫が実家に戻ってくるのは嬉しくないのですか?」

 戻ってきた理由ははぐらかしつつ、私は祖父の顔を覗き見る。

 相変わらず渋くて嫌そうな表情。そんなに私が嫌なのか。


「私が嬉しいか嬉しくないかではない。嫁がおいそれと家庭を蔑ろにするなと言っているんだ」

 祖父にそう言われた瞬間、頭から血が下がる思いがした。

 祖父は、嫁たる者相手の家に入って尽くせ、と言っているんだ。

 確かに、今は夫と娘から離れてる。

 でも、夫と娘を蔑ろにした事などない。と、思う。多分。

「私は、家庭を蔑ろにした事はございません」

 常に頭の中にあるわい。

「勝手に一人で前の家に戻っているではないか」

 祖父がそう言い募って来たが

「家族の了解はとっております」

 速攻で言い返した。

「家族から離れている時点で蔑ろにしておる」

 返す刀でバッサリ笠懸けさがけに切り込まれた! 心が痛い!! でも負けるもんか!!!

「ではお祖父じい様は、家族から離れる事は、蔑ろにする事とイコールだと仰るのでしょうか?」

「そうだ」

 鋭利で端的。相変わらず私には容赦がなかった。

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