第171話 止められた。

「この一行の案内人の責任者は俺だ。だからこの一行の誤射は俺に責任がある」

 アレクシスの顔を見た私に対して、彼は真剣な様子で言い募る。


「アレクシス、貴方は雪山では走れない。だから置いていかれたでしょう。案内人の責任者である貴方を置いて行って、勝手に猟場外で発砲した責任を、貴方が取るんですか?」

「そうだ」

「この坊やが私に銃口を向けて来た責任まで、貴方が負うんですか?」

「そうだ」

 私が彼の真意を知る為にじっと見つめると、彼も真摯に見返してきた。


 アレクシスは一歩も引かなかった。

 暫くの沈黙。

 私はナイフを持った手を、ゆっくりと下ろした。


「きっ……聞いただろ!? 誤射した責任はコイツが取る! 警らに突き出すならコイツを突き出せよ!!」

 ナイフの恐怖から解放された年若い男が、口から泡を飛ばしながらそう叫んだ。汚っ。お前少しは黙れよ。この状況になった原因、お前だからな。

 私がナイフを下ろした事により、周りの人間も猟銃を下ろす。

 そのまま私は彼らから離れて、座るヴラドの傍まで戻った。

「……分かりました。警らには管理組合の管理不行き届きとして届け出ます。

 私に猟銃を向けた罪は、だとして大目に見ます」

 ナイフを腰の後ろにしまいながら、私は冷静にそう告げた。

 クソっ。アレクがいなきゃコイツら突き出してやるところなのにっ……


 緊張感が一気に弛緩し、周りの男たちが一斉に溜息を洩らした。

「いやはやご婦人、どこのどなたか知らんがやり過ぎだぞ」

 先頭にいた男が、溜息と共にそんな言葉を吐いた。

 は? 穏便に済ませてやったのに、どうしても自分優位で終わりたいのか?

「何がやり過ぎですか? 誤射されて危うく死にかけたので届け出ると言い、そうしたら今度は銃口を向けられたから反撃した事の、どこがやり過ぎなのですか?」

 私が速攻で言い返すと、ヤレヤレと肩をすくませて首を横に緩く振る男。

「最初っから謝罪を受け入れていればよかったのだよ」

 は? お前頭大丈夫か?

「いえ、それは違います。そもそも猟場外で発砲しなければ良かったんですよ。そうすれば、管理組合が理不尽に訴えられる事も、私の友人が怪我をする事もなかった」

 まだ分かってないのかよ。それに、謝罪だってマトモにしてねぇじゃねぇか。

「貴方がたの身勝手さが招いた結果ですよ」

 私がイラついて更に言い募ると、誰かが私の手をギュっと握ってきた。反射的にそちらを見ると、手を握るゼノとその背中に手を当てたヴラドが心配げに私を見上げている事に気がついた。

 アレクも私を見つめて、首を横に小さく振る。

 ちっ……分が悪い。なんでみんな私の方を止めるんだ。


「いい加減にしておきなさい、ご婦人」

 私にピシャリと言ったのは、偉そうな男。

「そもそもこういった事にご婦人が口出しするもんじゃない」

 ほう。逆鱗ソフトタッチありがとよ。

「この一連の流れに、性別関係ありました?」

「ああ、揉め事に女性が首を突っ込むべきじゃないんだよ。

 ほら、今だってと気づいてなかろう?」

 なんでこのご一行は、どいつもこいつも『は?』という事しか言わんの?

「どういう意味ですか?」

 私がいぶかし気に眉根を潜めると、偉そうな男は待ってましたと言わんばかりにふんぞり返る。

 しかし口を開いたのは、先頭にいた男。

「この方はバルツァ男爵であらせられるぞ。この方が穏便に済ませてくれた事に感謝して然るべきなのだよ」


 なんでだよ。意味分からんわ。穏便に済ませたのはこっちじゃボケ。認知大丈夫か。

 私が呆れて言葉が出なかった間に、彼らは更に言い募ってくる。

「女性であるから、男爵様の事を存じ上げなかったのだろう? このリゾート地一帯ではみなが男爵様がいらっしゃっている事を知ってる。まぁ無知を恥じる必要はないが……まわりの空気に気づくべきだったな」

 ……鼻の穴を広げて。まるで私に褒めらた時のエリックみたい。いや、エリックは比較にならない程可愛いけど。こっちは比べたくないほど悲惨だけど。

 ってか、知らんわ。周りに誰が来てるとか私は興味ないもの。アンドレウ夫人なら、おそらくそれとなく調査して知ってる筈。そういう部分にはぬかりない人なんだと知ってるし。

 多分、挨拶等した方が良い人がいたら教えてくれたと思うけど、彼女が何も言わなかったって事は、つまりそういう事だろ。


「先ほども申しました通り、興味ありません。私は無知を恥じませんし、そもそもこれは無知ではありません。貴方がたの素性は知る必要性を感じなかったので、調べなかっただけです」

 私がサラリと(若干の挑発を含めて)そう返すと、アレクが片手で顔を覆った。あ。あの仕草、久々見たなぁ。昔はよく見たよく見た。

「無礼過ぎるぞババア!!」

 使用人たちに支えられた年若い男が(腰でも抜けたか)、また余計な口出しをしてくる。お前、その口縫い付けた方がいいぞ。

「無礼はどっちです。貴方が男爵だろうとなんだろうと、敬意を払うべきは怪我を負わせた側でしょう」

 違うか?

「しかも、他人を『ババア』とそしるのはいかがなものでしょうか?」


 私は再度、男たちに真っすぐ向き直った。

 下手な動きを見せたら、またナイフを抜く緊張感を持たせながら。

「誤射の件は管理組合の方が責任を肩代わりしてくださいましたが、貴方がたがやらかしたという事実はなくなっておりません。

 また、私に銃口を向けた罪も、許したわけではありませんからね。

 ゆめゆめ、それをお忘れなきよう」

 私は顎を上げて、立ち並ぶ男たちに順々に視線を這わせていった。

 年若い男が更に食ってかかろうとしたところを、アレクと偉そうな男に止められていた。


「そろそろ退いていただけます? 猟場外で銃を構えた状態で立っているところを他の方々に見られたいのですか?」

 気分悪いから早く消えろ。

 私はもう奴らを見たくないと言わんばかりにプイッと顔を背けて、さっきから私の手を握りっぱなしのゼノ達の方へと向き直った。しゃがんでゼノとヴラドに笑顔を見せる。

「心配かけてすみませんでした」

 一番心配げに私を見上げていたゼノの肩に手を置いて、彼を安心させる。

 私の笑顔に、ゼノの固い表情が和らいだ。

 ザックザクと、人が移動していく足音が聞こえてくる。

 よかった、消えてくれる。背中越しにその音を聞きながら安心した瞬間だった。


「ベッサリオン!」

 男たちの方から、そんな声が聞こえてきた。

 ちッ。案内人の誰かにこっちの名前を聞いたな。

 横目でそちらの方を伺うと、男たちは退散しながらも、ニヤニヤした顔でこちらをチラチラと伺っていた。

「なるほどなるほど。聞いた事があるぞ。あれが『北方の暴れ馬』。なるほど噂に違わぬじゃじゃ馬だったな! さすが、田舎は格が違う!」

 ワザとこちらに聞こえるような大声でそうガハハと笑う男たち。

 当て擦りしやがって。伯爵家の方が位が上だとしても、貧乏だし田舎だし閉鎖的だし、どうせウチ実家の悪口を言ったところで、何もできないとナメてんな。正解だ。祖父や両親なら何も言わなかったろうな。

 でも私は、当て擦りを放っておくタイプじゃねぇぞ。

 今度こそ本気で足腰立てなくしてやろうか、そう思った瞬間だった。


「取り消せ!!!」

 そんな大声が私のすぐそばから上がった。

 私は驚いて、声の主を思わず見上げる。

 ゼノだった。

 普段の柔和で大人しそうな顔に憤怒の表情を浮かべて、男たちに向かって仁王立ちする。

「セレーネ様を侮辱するな!」

 全力でそう叫ぶゼノだったが、握りしめられた手や足が小刻みに震えている事に気づいた。

 そんなゼノの言葉に、男たちが立ち止まって振り返る。驚いた顔をして、激怒するゼノをポカンと見た。

 私もヴラドも、多分同じ顔をしてる。


 ゼノが……怒ってる。

 ゼノが怒ってるの……初めて見た。

 エリックのようにプンスカ怒るのではなく、アティのように烈火の如く怒るのでもなく、イリアスのようにドス黒いオーラをまとわせて静かに怒るのとはまた違く、ゼノは煮えたマグマが噴火するかのように怒った。

 しかも、ヴラドの事でも誤射を謝罪しなかった事でもなく、私の事で。

 ちょっと待ってゼノ。場違いにキュンとさせないで!


「小僧! もう少し大人になったら相手してやるぞ! お? その頃には伯爵様か。ははっ。こっちの頭が上がらなくなるなぁ」

 そんな風に茶化す偉そうな男と年若い男たち。あいつら、ゼノをウチの末の弟と勘違いしてるのか。

「今すぐ取り消せ!!!」

 私やヴラドが呆気に取られている間に、ゼノが怒り狂って走り出した。

 彼を止めようとした私の手が空を切る。ダメだ! 多分あいつら、子供でも小突き回すタイプ!


 私は慌てて後を追いかけようとしたが、ゼノを止めたのは男たちの行列の最後を歩いていたアレクだった。

 ゼノの身体を受け止めて立ち止まらせる。

「ゼノ様、我慢してください」

 静かな声でそう落ち着かせようとするアレクだったが

「なんでアナタは怒らないのですかっ!? セレーネ様がバカにされたのにっ!」

「っ……」

 ゼノのその言葉に喉を鳴らす。

「撃たれたのは事故だけど! アレは違う! あれは悪口だ! 僕にだって分かります!!」

 顔を真っ赤にして、アレクから身体を引きはがそうと大暴れするゼノ。

 アレクはなんとかゼノの手を掴んで離さない。

「ゼノ様。我慢しなければならない時があるんですよ」

 アレクはなんとかゼノを言いくるめようとする。しかし

「それが今だとは思えない!!!」

 そう叫んで、ゼノがアレクの身体を全力で突き飛ばした時だった。


「そうだな。よく言った。怒らなければならない時があるな」

 そんな声が、私やヴラドの後ろから飛んだ。

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