第172話 あの人が現れた。

 その声の主に、全員の視線が集中する。

 その人は──光を透かすと、ゼノの髪と同じように真っ赤に燃える褐色の髪が獅子のよう。ゼノと同じ翡翠色の瞳をしており、それを眩しそうに細めていた。


 ──レアンドロス様──ゼノの養父、メルクーリ辺境伯、通称、獅子伯。

 うっそ……なんで、いるの? どうしてこういう時ばっか現れるの?


「ヴラド、大丈夫か?」

 彼はザックザクという重たい足音をさせながら雪を上を歩いて、こちらへと近寄って来ていた。肩にはソリ型の担架を担いでいる。その後ろには、大きなカバンを持ったルーカスや、その他救護の為に来たと思われる人たちが続いていた。

「先ほどサミュエル殿とマギー殿、子供たちともすれ違った。どうやら大変な事になっているようだな。

 まったく、騒ぎの中心には必ずセレーネ殿がいる」

 私たちの傍までたどり着いたレアンドロス様は、ヴラドの傍に膝をつきつつ、私を見てそう苦笑した。

 私は……彼の登場が予想外過ぎて、言葉が出なかった。


 言葉が出なかったのは、私だけではなかったみたい。

 ゼノと、それを止めていたアレクも、目を見開いてレアンドロス様を見ている。

 少し離れた所にいるあの失礼千万せんばんな男たちも、レアンドロス様の登場に動きを止めていた。

 唯一驚いていなかったのは──ヴラド。まさか……?

 私が眉根を寄せて疑念の目でヴラドを見ると、彼は申し訳なさそうな顔をする。

「……先程言いかけたのは、レアンドロス様の事だったのです。昨夜、此方に来るという手紙が届きまして。まさか手紙とほぼ同時に到着なさるとは思っておらず。申し訳ありませんでした」

 言うの遅いよーーーー!!!


「お……叔父上……」

 すっかり怒りが抜けたゼノが、まん丸にした目でヨロヨロとこちらへと近づいて来た。

「ゼノ」

 レアンドロス様は、近寄ってきたゼノに対して軽く腕を広げる。

 その瞬間、ゼノはレアンドロス様の胸に飛び込んだ。

「よく言ったなゼノ。誰かの為に怒れる心意気やヨシ」

 ゼノの頭を大きな手でゆっくりと撫でるレアンドロス様は、そう言って顔をフニャリと溶けさせた。

「セレーネ殿に預けて正解だった。俺の予想を遥かに超えて良い男になったな」

 グイングインとゆっくり大きく頭を撫でる手に、ゼノの首が取れそうな程揺さぶられる。

 しかし撫でられるゼノは、少し顔を曇らせてレアンドロス様の顔を見上げた。

「僕は何も出来ませんでした……」

 そう言って目を潤ませたゼノは、悔しそうに顔を歪ませてレアンドロス様の胸に顔を埋める。

「そんな事はない、ゼノ。お前は声をあげ抗議した。

 その場を流して後で文句を垂れ流す事は誰にでもできる。相手がいるその場で行動にうつすという事は簡単ではない。勇気がいったろう。よくやった」

 落ち着いていてそれでいて優しく低い声で、レアンドロス様はゼノの身体をギュっと抱き締めた。


 ゼノの背中を優しくさすりながら、レアンドロス様は傍にいるヴラドの方へとゆっくりと視線を向ける。

「ヴラド、お前も普段からしっかり守り、そして良い手本になってくれているからだな。礼を言うぞ」

「いえ。私なぞ」

「いや、セレーネ殿の手紙にもあった。色々協力してくれているそうだな」

 レアンドロス様の言葉に、ヴラドがはにかんだ微笑みを溢した。痛みなど忘れたようなその顔は、本当に嬉しそうだった。


「さて」

 感動の再会? を済ませたレアンドロス様が、ゼノを緩やかに解放してからその場で立ち上がる。

 そして少し離れた場所にまだいた男たちと、アレクの方へと視線を向けた。

 腕組みをし、まるで値踏みするかのように彼らに順々に視線を巡らせる。

 見られた男たちは、レアンドロス様の鋭い視線に射抜かれて、みなそれぞれにビクリと肩を震わせていた。

 そんな彼らに、レアンドロス様は場違いに穏やかな笑みを向ける。

「俺の連れが世話になったようだな」

 あくまでニッコリと。迫力が凄かったけど。

「ここは猟場外であるハズだが、何故か俺の友人が誤射されたという事は聞いたが──」

 レアンドロス様が、一度そこで言葉を切る。

 その瞬間、物凄い圧力を感じた。思わずその場から走って逃げたくなるほどの気迫。これは……レアンドロス様が発した敵意!?

「さて。どうして貴方がたは、セレーネ殿やゼノを嘲笑あざわらっておられたのかな?」

 顔はあくまで穏やかなのに、視線がヤバい。見られただけで射竦いすくめられてしまいそうな程の厳しさをはらみ、強いというより刺すように痛い。これが、彼の殺気を含んだ視線! 恐ろしい!!


「あのっ……それは……」

 私と対峙した時と全く違い、オドオドと視線を泳がせる偉そうな男と年若い男。周りの人間たちもこちらから視線を外して、足元やあらぬ場所を見ていた。

 返事をしない男たちに顔を順々に見ていったレアンドロス様は、こちらに一番近い所に立っていたアレクに視線を止める。

 見られたアレクは、一瞬息をのみつつ、覚悟したような顔をしてから口を開いた。

「申し訳ありません。私が事を穏便に済まそうとした結果です」

 そう言って、アレクは一度ペコリと頭を下げた。

「私はこのリゾートの管理組合の人間です。あちらのご一行の案内の責任を担っておりました。猟場外での発砲をお止めする事ができなかった上に、それをとがめたセレーネの方を説得しようとしました」

 そう話しながら、アレクはこちらへと少しずつ近寄って来る。

 レアンドロス様の目の前まで来たアレクは、改めて深々と頭を下げた。

「揉め事へと発展してしまった時、聞く耳を持ってくれているセレーネを説得する方が早いと判断しまして。結果、このような事態を引き起こしてしまいました。申し訳ありません」

 アレクのその言葉と共に、偉そうな男たちもブンブンと首を縦に振った。


 その動きに、レアンドロス様の視線がさらに鋭くなった。

 それに恐れをなしたのか、奴らは小走りにこちらへと近寄ってレアンドロス様を取り囲む。

 卑屈そうなきったない笑顔を顔に張り付けた。

「高貴なお方とお見受けしました。その方の友人を、事故とはいえお怪我をさせてしまって申し訳ありません。

 こちらの管理組合の方から十分な謝罪はさせていただきますので、どうぞ穏便にお済ませいただけないでしょうか?」

 オイ。さっきまでのあの失礼千万で高圧的な態度はどこいった。

 なんでレアンドロス様が来た瞬間こうなるんだよ。分かる、分かるけど納得はできない。ムカつく、ムカつく、ムカつく。


 そんな様子を見て、レアンドロス様が眉根を寄せて更に険しい顔をする。

「何故俺に謝る。謝るのなら俺にではないはずだ」

 ホントだよ。なんでレアンドロス様に謝ったんだよ。

「それはそうでしたな! 先ほどは失礼しました、ベッサリオン伯爵嬢。つい口が過ぎてしまいました。申し訳ありません」

 うわ。許したくねぇ。絶対許したくねぇ。

 こんなみたいな誠意のない謝罪を受け入れる人間がおると本気で思ってんのか?

 周りの視線が私へと集まったが、今更こんな視線が集まっても嬉しくない。

 私は視線を、ただ一点──アレクへと向けた。

 アレクは、私を説得するかのような視線を返してきていた。

 ……ズルいよ、その視線。


 私は大きく一つため息をついた。

「……二度はありません」

 あー。やっぱダメだ。『許す』って言えないー。無理。許したくない。許さないもん。許すって言ったら嘘になるもん。これが最大の譲歩だクソッ。


 それに、なんでゼノとヴラドの事無視してんだよ。

 撃たれたのはヴラドだし、ゼノの事を嘲笑ちょうしょうしたの、忘れてねぇか? 私は忘れてねぇぞ?

「撃たれたヴラドと、そしてゼノへの謝罪もお願いします。まぁ、大人が子供を嘲笑ちょうしょうするなど、あってはならない事ですが。銃で撃たれた事も。

 なので、謝罪されても許すかどうかは別ですよ」

 私がゲンナリとしてそう言うと、途端に苦い顔をした年若い男が目に入った。オイコラ。小さく舌打ちしたの聞こえたぞ。

 反省してねぇな、お前ホントムカつく。


 なので私は再度言い募る。

「許すかどうかは本人達に任せます。許されなくても、誠心誠意謝罪して下さいね」

 私が顎を上げて、偉そうだった男と年若い男を若干見下げる。

 ヤツらは、一瞬苦々しい顔をしたものの、すぐにそんな表情を消して卑屈な笑みを顔に貼り付けた。

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