第169話 不穏な音がした。

 ターーーーン……


 ソリ遊びしていた雪山に、聞き慣れた音がこだました事に気が付いた。

 私は思わず反射的に山の方を見る。

 あれは猟銃を撃った音だ。近い。なんで? 猟場はもっと奥の山の筈だけど。

 その音に続いて、今度は犬の吠える声がかすかに聞こえて来た。

 ちっ。狩りをしてて獲物が逃げたから、追ってこっちまで来たな。


「エリック様、アティ、少し休みましょう」

 流れ弾でも飛んで来たら洒落シャレにならない。

 私はもう一回滑ろうと斜面を登ろうとしていた子供たちに声をかけた。

「えー」

「まだやりたい」

 不満声を漏らすエリックとアティ。しかし、猟銃の音に気づいたのは私だけではなかった。

 ソリを抱いて斜面を登ろうとするエリックとアティの前に、すかさず回り込んだヴラドが、膝をついて二人に視線を合わせる。

「エリック様、アティ様、そろそろ喉が渇いたんじゃないですか? 先日炭酸水を仕入れたのです。ブラックベリーを入れて飲む炭酸水の味はご存じですか?」

 ニッコリとそう誘うヴラドに、エリックとアティの目がキラリと輝いた。

「しらない」

「おいしい?」

 ヴラドも上手いな。

「ゼノ様はご存じですよね?」

 ヴラドにそう話を振られたゼノが、反射的にコックリと頷く。

「うん。美味しいよ。甘酸っぱくて」

 その言葉を聞いたエリックとアティは、ソリから手を放してお互いの手をガッチリと握る。

「かえる!」

「のみたい!」

 その言葉とともに、二人はダッシュで斜面を駆け下りて行った。

 こういう時の二人の連携早いなっ!! あぶなっ! 斜面走ったらエリック絶対ころ──ホラ! 転んだ!! アティ道連れにして!! もう!!


 雪の中にダイブした二人を助け起こし、慌てて駆け寄って来たルーカスとサミュエルに二人を託す。

 ゼノの背中を押して、少し離れたところにいるイリアスの方へと向かわせた。

 その時、ふとヴラドが私の背中に「あの」と声をかけてくる。

「実はですね。お伝えしておきたい事が──」

 ヴラドがそう何かを言いかけた時だった。


 ターーーーーーンッ!


 銃声近ッ! もうこっち来たのかよ!

 慌てて音のした方に振り返る。

 その瞬間、犬の激しい吠え声とともに、山の林の中からザッと大型の鹿が飛び出して来た。

 みんなが驚いてそちらの方へと振り返る。

 鹿は手負いなのか、息を荒らげこちらの方へと逃げてきた。

 ヤバイ!

「みんな早く!」

 私が慌てて他のみんなを急かした瞬間だった。


 ターーーーーーーンッ!


 再度銃声が。

 その瞬間──

「ぐぅっ!」

 私の隣にいたヴラドが変な声をあげた。

 まさか!?

 ヴラドが足を抑えて地面に膝をつく。

 その瞬間、微かに雪の上に赤い沁みがついた。


 クソ! 流れ弾がっ!! もしくは遠くから狙ってるから鹿と人間の区別がついてないな!?

 私は山の方へとすぐに振り返り、ありったけの力を腹に込めた。

 そして

「撃つなーーーーッ!! 人がいるぞーーーーッ!!」

 全力でそう叫んだ。

 しかし、人の声なんて届く範囲が狭い。私は両手を大きく振って人間である事をアピールした。

「セレーネ様っ……お逃げください!」

 よろめきつつもなんとか立ち上がったヴラドが私の身体を横へとグッと押す。

「嫌です!!」

 私はコートを脱いで両手に持ち、そのコートを大きく縦に振った。

 心配げに見るルーカスやサミュエルたちに向かって

「子供たちを遠くへ! 危ないから早くッ!!」

 コートを振りつつ、私は鋭く叫んだ。

 ルーカスは一度戸惑ったが、アティを抱き上げたサミュエルに促されてエリックを抱え上げると、イリアスたちがいる方へと走った。


 大型の鹿は、私たちの横をすり抜けて奥へと逃げて行く。

 それを追っていた犬たちが、人間がいた事で立ち止まって、コートを振る私に向かって吠え始めた。

 犬が威嚇したら鹿だと思われるって! もう!!

「主人の元へ帰れッ!!!」

 ありったけの殺気と勢いで犬を怒鳴りつける。

 その瞬間、犬がキャインと鳴いて尻尾を下げ、ちょっとグルグル辺りを回ってから山の方へと戻って行った。


 山の林の所から、人影が出てくる。

 その人物は、私たちが鹿ではない事に気が付いたのか、林の奥の方へと手を振っていた。

 良かった、気づいたみたい。


 私はコートを放り出してヴラドの方へと向き直る。

「傷は!?」

 私は彼の足を見る為にしゃがみ込んだ。血がにじむ部分を見つける。左足のすねの部分だった。

「かすり傷です」

 ヴラドがそう強がりを言ったので

「貴方ほどの人が本当にかすり傷だったら、恐らく声もあげていないでしょう」

 私は彼を雪の上に座らせて、彼のズボンの裾をブーツから抜き取った。

 大小様々な傷跡が残る脛を露出させると、脛の骨の横に小さく穴が開き、そこから血がダラダラと流れ落ちてきていた。

 これは入った跡か、出た跡か。

 私は足のふくらはぎの表面をそっとさする。

 ……反対側に穴がない。クソっ! 体内に弾が残ったな。

 出血量からすると、おそらく太い血管は幸い逸れた。でも油断できない。

「ルーカス! 人を呼んできて! あと担架を!」

「ハイ!!!」

 エリックを俵担ぎしていたルーカスが、エリックをそっと地面におろすと、ダッシュでコテージがある方へと走って行った。


「大丈夫です、歩けます」

 立ち上がろうとしたヴラドの動きを、私は手で制する。

「ダメです。どこに弾があるか分からない状態では動かせない。万が一太い血管に当たって止まっていたら、弾が動いた瞬間に大出血します」

 私は首元に撒いていたスカーフを抜いて傷の少し上を少しだけキツめに結ぶ。


「サミュエル! マギー! 子供たちをコテージへ! ケアしてあげて!」

 こんな状態を子供たちに見せたくない。もう既に、ルーカスに地面に置かれたエリックが、そのまんまの格好で顔すらも硬直させて動かない。

 そんなエリックを、走り寄って来たイリアスとマギーが抱き上げた。

 サミュエルに抱っこされたアティも、サミュエルの首にギュっと掴まりつつも目を見開いてこちらを凝視して固まっていた。


「ヴラドさん!」

 泣きそうな顔したゼノが、こけつまろびつヴラドの方へと駆け寄って来た。

 彼がその勢いのままヴラドに抱き着こうとしたので、私はその前にゼノの身体を抱き留める。私の腕から逃れようと、必死に手を突っ張るゼノ。

 ゼノの力、強い! 私はなんとか彼の身体から手を離さないようにして、耳元で落ち着いた声で話しかける。

「ゼノ、心配なのは分かります。でもヴラドさんの身体を動かしてはいけません」

 無言で暴れるゼノを抱く腕に力を更に込めた。

「ゼノ、落ち着いて。今はまだ大丈夫。大丈夫ですから」

 すると、次第にゼノの腕から力が抜けていく。

 それとともに、彼の身体を腕から少しずつ解放すると、ゼノはヴラドの隣へとヘタリ込んだ。

「ヴラドさん……」

「平気ですよゼノ様。これぐらいでは私は死にません」

 顔を真っ赤にして泣きそうなゼノに、ヴラドは優しく声をかけた。


「ゼノ、貴方にお願いがあります。ヴラドさんは今は大丈夫そうですが、平気ではありません。けれど彼は『平気です』と言って無理して動こうとしてしまうでしょう。

 彼が下手に動かないように、見張っていてください」

 私のその言葉に、ヴラドは苦笑して、ゼノは驚きの顔をする。真剣にゼノの顔を見つめていると、次第にキリッとした表情に変化するゼノ。

「うん」

 ゼノが力強く頷いた。

 よし、これで大丈夫だろう。


 私にはやるべき、重大な事が残ってる。

 私はヴラドとゼノの傍から立ち上がり、山の林からゾロゾロと出てくる人たちの方へと向き直った。


 先頭を歩くのは見覚えのある男。

 前日、私に向かって『退け』と言ってきた、あの男。

 その後ろには、見せてと言ったワケでもないのに鹿を見せて来た偉そうな男と、年若い男。

 おそらく使用人と思わる人間たちもそれに続いていた。みんなそれぞれ、手には猟銃を持っている。

 ──アレクの姿が見えない。今日は案内人じゃないのかな。

 まぁいい。むしろ、邪魔が入らなくて、いい。


 彼らが私たちの傍に辿り着く前に、私は拳を握りしめた。

「猟場はもっと奥の山です! ここは猟場ではないッ!! 何故銃を撃ったのですかッ!!!」

 ありったけの怒りを込めて、私は近寄ってきた男たちをそう怒鳴りつけた。

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