第168話 ソリで遊んだ。

「エリック様! 前見て前!!」

 緩やかな斜面を、イリアスと一緒にソリに乗って結構なスピードで滑り降りるエリックに、私は慌てて声をかける。

「あっははははー!!」

 しかし、ソリのスピードに完全に酔いしれたエリックは、当然私の声は聞こえず。

 斜面の途中に立つ私に、超絶笑顔の熱視線を送ってきていた。

 前見ろって!! こっち見んな!!


「サミュエル! ルーカス! 避けて!」

 私が慌てて、斜面の終端にいるサミュエルとルーカスに叫ぶ。

 サミュエルとルーカスは、斜面の終端に子供たちが滑り過ぎないようにとソリを止める為の山を雪で作っていたが、私のその声を聞いて

「おぅっ?!」

「うわ!」

 左右に分かれて横っ飛びし、突撃してきたエリックたちのソリを避けた。

 見事に雪山に突っ込んで止まるエリックとイリアスのソリ。

 ついでに、ぶつかった衝撃でエリックとイリアスがソリから投げ出された。

 ゴロゴロと横に転がってから仰向けになったエリックが

「すげーーーーー!!」

 両手足をバタバタさせてそう叫んだ。

 ……アカン、ヤバイ遊びを教えてしまったなァ。


「みなさん大丈夫!?」

 私は慌てて斜面を駆け下り、雪の上に転がる四人の元へと駆け寄る。

「たのしい!!」

 うん、エリック大丈夫そう。

「危なかった……」

 サミュエルとルーカスは、ホッとした顔で立ち上がる。

 そして最後に

「……もうやだ、コレ……」

 イリアスは、体中に雪をつけたまま物凄くゲッソリとした顔で身体を起こした。

「僕もうソリはいい……」

 本当に心から『嫌』という顔をしたイリアス。あー。みたいだね。イリアスはこういう遊びは好きじゃないか。ま、好き嫌いはあるよね。

 私は、立ち上がった彼の頭についた雪を払ってあげる。

 ──あれ?

「イリアス、背が伸びました?」

 彼の頭の位置が前と違う事に気が付いた。

「そうだね。結構伸びたよ。夏ぐらいからかな。少し膝が痛くなるぐらいには」

 イリアスが少し頬を赤らめつつ、それでもちょっと嬉しそうにそう呟いた。

 成長痛! マジか。ま、イリアスはもうすぐ十二歳だもんね。そろそろグングン伸び始める頃か。

 身体を動かすようになって、良く食べるようになったからかな。

 前は青白くてヒョロ長い印象だったイリアスも、顔色も良いし結構体つきが良くなって来た気がする。変声期ももうそろそろかな。

「あっという間にセレーネを超すよ」

 イリアスが、そうニヤリと笑う。

「そうですね。すぐに私は抜かれてしまいますね」

 きっと身長抜かれるのは、それほど未来の話じゃないね。


「サミュエル、僕将棋がやりたい。相手してくれる?」

「え」

 イリアスの言葉に、スコップを持って再度雪山を作ろうとしていたサミュエルが、ギクリと身体を震わせた。

 ああ、そういえば前に、サミュエルはイリアスに将棋でボッコボコにされてたっけなぁ。

「えっと──」

 一瞬、目を泳がせたサミュエル。そんな彼に代わって

「イリアス様。私で良ければお相手致しますが」

 そう進言したのは……なんとマギー。

 先ほどまで脇のベンチで座って見ていたのに、いつの間にかそばまで歩いて来ていた。

「マギーさん……将棋できるの?」

 イリアスも驚いた顔をしていたが

「人並みに」

 マギーがサラリとそう答えた為、イリアスは楽しそうに微笑んだ。

 イリアス、気づいたね。マギーが『人並みに』って言うって事はつまり『強いよ』って事だって。

「よし、じゃああっちのベンチでやろう」

 そう言って、突然ウキウキした顔になったイリアスは、マギーを伴って脇にあるベンチの方へと歩いて行った。

 あの二人、似た性質を持ってるせいか、なんか滅茶苦茶相性いいんだよね。

 ふふっ。……心配。あの二人がタッグ組んだら、私、絶対、勝てない☆


 そういえば。

 ニコラは今ここにいない。アンドレウ夫人が化粧とコスプレで遊びた──違った、ファッションの事でニコラとアレコレやりたいと熱望されたから。だからニコラは今夫人とコテージで遊んでる。

 ニコラにも聞いてみたら是非にとの事だったし。

 屋敷ではアレコレ勉強しなきゃいけない事も多かったしね。ニコラにも、時には大好きな事を思いっきりして欲しい。

 ま、気が向いたらこっち来るでしょう。


「セレーネ様! アティいきますよー!」

 そんな声が、斜面の上の方からかかる。

 その声に視線を上げると、斜面の上の方でソリに乗ったアティとゼノが両手を振って私に合図していた。

 ソリの後ろのゼノが座り、その足の間にアティが座ってる。アティ、目が爛々らんらん。エリック並みに興奮してんなぁ。

 私はエリックのソリを持ってエリック共々脇に退避し、二人に手を振って応える。

「アティー! ゼノー!」

 興奮冷めやらないエリックが、二人に向かって両手をブンブン振っていた。

 ふふ。エリック、ちょっと落ち着こうか。そんなに興奮すると、鼻血出すよ。


 私とエリックが退いた事を確認したゼノの護衛さん──ヴラドが、アティとゼノの二人の背中をゆっくりと押した。

 ズズッと動き始めたソリが、斜面をゆっくり滑り始め、やがてスピードをあげていく。あっという間に結構な速度に達した。

「ゼノ! スピード落としてください!」

「ハイ!」

 私の声に、ソリ脇のハンドルをグッと掴むゼノ。

 しかし

「だめ!!」

 アティがピシャリ。マジかアティ!?

「だめじゃないよアティ!?」

 ゼノがアワアワとそう叫びながら、ハンドルを引いてブレーキをかけた。

 すると、先ほどエリックたちがぶつかった雪山の前に、無事到着するアティとゼノのソリ。

 良かった。ぶつからなかった。

 と、思ったけれど

「ゼノブレーキかけちゃだめ!」

 アティが、ソリから立ち上がってプンプンとゼノに怒りだした。

 怒られてアワアワするゼノ。

「アティ様、ぶつかったら怪我をしてしまいますよ。ゼノ様はアティ様が怪我をしないようにしてくださったのです」

 ちょうど傍にいたルーカスが、膝をついてプンスカ怒るアティに進言する。

「アティけがしてもいいもん!」

 今度はルーカスに怒りをぶつけるアティ。困った顔をするルーカス。

「アティ」

 そんな彼女に声をかけたのは、さっきまでアワアワしていたゼノだった。

 ソリから立ち上がって、ルーカスの横についてアティの方を向く。

「ダメだよアティ。怪我をしたら痛いよ。遊べなくなっちゃうよ。ルーカスは、アティが怪我をしないで、長く遊んで欲しくて言ってくれてるんだよ」

 少し困ったような声だったけれど、しっかりとした口調で、ゼノはアティをそうたしなめた。


 私はそれを見て──言葉を失う。

 ゼノが、アティを、たしなめた。

 今までゼノは、私がアティやエリックをやんわり止めたりするのを、ただ見ているだけだったのに。

 エリックやアティに色々言われると、困った顔をしながらもそれに従って来たのに。

 ゼノ……成長してるっ……!

「えーと……アティは、セレーネ様が怪我をして痛いって言ったらやだよね?」

「ハイ」

「それと同じで、セレーネ様とかルーカスとか僕は、アティに怪我して欲しくないんだ。分かる?」

「ハイ」

「それにきっとね。もしソリで遊んで怪我をしてしまったら、きっとサミュエルやマギーさんは、危ないからってもうソリで遊ばせてくれないと思うんだよね」

 ゼノ、それ、多分正解。

 どうでもいいけど、子供たち、サミュエルは呼び捨てなのに、マギーは『さん』付けなんだ。……分かってるゥ。


 色々言ってくるゼノに、段々アティの顔が暗くなっていった。叱られているからかな。

 ヴラドが斜面から降りて来て私の隣に立った。私を心配げにチラリと見たので、私は首を横に振る。

 たぶん、ゼノなら大丈夫。

「だから、危なくないようにして、いっぱい遊ぼう? ダメかな?」

 ゼノのその言葉に、アティの顔がフワリと和らぎ

「ダメじゃない」

 そう返事をした。

「じゃあ、ブレーキかけていいよね?」

 ゼノが、アティに話が通じたようで心底ホッとしたような顔をして、最後そう問いかけると

「だめ」

 ピシャリとアティはそう言い放った。

 アティィィ!!! そこは譲らないんだ! 頑固!! 誰に似たんだか!!!

 ゼノが、ガックリと肩を落として項垂うなだれた。

 ……お疲れ、ゼノ。キミはとても健闘したよ。アティが頑固なだけだから。たぶん、エリックだったらゼノの空気に押されて『うん』って言ってたよ。


「じゃあアティ、こうしたらどうかな!」

 助け船を出したのは、意外にもイリアスだった。ベンチの所から大声でアティたちに言葉をかける。

「アティはルーカスと乗りなよ! ルーカスならアティを死守してくれるよ!」

 イリアス!? 何言ってんの!? ほら! ルーカスもメッチャ驚いてる!

「え、イリアス様、それは──」

「え? 死守しないの?」

「します」

 ルーカス……十一歳に口で丸め込まれてるぞ……

「ゼノはエリックと乗って、エリックが怪我をしないようにブレーキとか操作してあげてよ!」

「え……うん」

 ニコニコとしたイリアスの進言に、ゼノは若干の疑問を浮かべながらも頷いた。

 ……イリアス、自分がソリに乗りたくないからって。上手いな。


「……イリアス様は、人を動かすのが本当にお上手で」

 私の横で、ヴラドさんが小声でそう呟いたので

「ええ。本当に。将来のこの国は安泰ですね」

 私はははっと笑いながらも、そう答えた。

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