第158話 料理を教える事にした。
「これなんだ!?」
「それはジャガイモです」
「じゃばいも!?」
「ジャ・ガ・イ・モ」
エリックが、丸々と大きなジャガイモをマジマジ見つめつつ、私の返答にへーと感嘆の声を漏らした。
いつも食べてるのに、多分料理前の状態を見た事もないし、名前も聞いた事がなかったんだな。
反応がイチイチ可愛いぞこのやろうっ!!!
私たちは今、コテージのキッチン(というにはデカイ)にいる。キッチンはダイニングと繋がってるから、まぁ広い広い。なんなんだこの贅沢な空間の使い方!!
そんな贅沢空間で、私たちは夕飯の準備をしているところだ。
勿論、その場にはアンドレウ公爵家、カラマンリス侯爵家からわざわざ連れて来た料理人四名もいるけど。
私は、勿論冬の遊びを子供たちに教えたくて、このリゾート地に来た。
でもコテージ・コンドミニアムを選択したのは、遊び以外にも教えたい事が沢山あったからだ。
手始めに教えたかったのは『料理』。
もし万が一サバイバルしないといけない状況に陥った時に、ちゃんと自分で食べられる物を作れるようになって欲しくてね!
え? そんな状況に? ならない保証はどこにもないよねっ!! ゼロじゃないよね!! ゼロじゃなければ、知っておいた方がいいのだっ!!! いつでもサバイバルできるようにならいとね!
お菓子作りは下手だけど、普通の料理なら私もできるしっ!!
でも、勿論全部を子供たちにはやらせないよ。
メインどころは全て料理人たちがやってくれる。その時に、使っている食材とそれをどう使うのかを教える。
マッシュポテトを作るというので、今私はジャガイモを握りしめて子供たちと対面していた。
実はこの日の為に、子供用包丁を職人にお願いして作ってもらっていた。この世界には、まだペティナイフもなかったし。あったとしても先が鋭くて危ないしさ。
職人さんに、作る時にどんなものかを伝えたけど、流石に素材まで軽くはできなかった。ステンレスはまだ世間には出回っていなかったし、職人さんが入手も加工も出来ないというので諦めた。残念。
その代わり、小さいけれど大して力を入れずに切れるぐらいの鋭さを求めた。切れない包丁は力の加減が難しくて逆に危ないから。
作ってくれた職人さんが『なるほど売れる』って呟いていたのが面白かったな。
事前に、エリックやアティには散々ナイフの扱い方は叩き込んだし。
木製のなんちゃってナイフだったけど、落とした時に思わず避けるぐらいにはなってる。もうそろそろ大丈夫だろう。
今回は、本物の刃物を使う事を教えるのだ。
ただし。
私は二人に子供用包丁を渡す時に、真剣に伝えた。
「これは、本物の刃物です。刃が当たれば切れます。切れたら痛いです。とても痛いです。血が出ます。絶対に、振り回したり人に向けてはいけません。
先端は刺さらないように丸くなっていますが、足の上に落としたら、運が悪ければナイフの重さで足の先がなくなります。間違って手の上に落とせば指がなくなります。使う時は、その事を常に意識しておいてくださいね。
でも、使えると、凄く沢山の事が出来るようになります。
これを使って、私と一緒に沢山の事が出来るようになりましょうね」
私のそのあまりの剣幕に、エリックとアティが滅茶苦茶真剣な顔をしていた。
もう、その顔が可愛くて愛しくて……抱き締めないように我慢するのが大変だったよっ!!
「そんなに脅す?」
って、テセウスに呆れ顔で突っ込まれたけど。
何が怖かったのか分からなかったので、何故ニコラが引っ込んだのかテセウスに聞いてみたら、ニコラは包丁が怖いんだって。
……あの父親に、包丁突き付けられて『殺すぞ』って言われた事があるし。ニコラはそもそも料理自体はあんまり得意じゃないらしく、でも母親に常に料理が上手くなる事を押し付けられて、上手く出来るまでやる事を強要されたらしい。だから『包丁』にはまだトラウマがあるらしいんだけど……
それを聞いて言葉が出なかった。ニコラやテセウスには、まだまだ見えないトラウマが沢山ある。少しずつでいいから、傷を癒していってあげたいね。
テーブルの前に、勢ぞろいする子供たち。
真ん中にエリックとアティ。その両脇にイリアスとゼノとテセウスが。
私はテーブルの向かい側に立って、ジャガイモと包丁を子供たちに見えるように構えた。
ちなみに脇には、救急セットをすぐそばに置いたマギーをはじめとする子守たちも、万全の体制でスタンバイOK。
「まず、ジャガイモを利き手とは逆の方に持ちます」
私は左手にジャガイモをスタンバイ。
すると
「ききて?」
エリックが傾げて来た。
ああそうか。エリックもアティもゼノもイリアスも右利きっぽいから、今までその言葉使った事なかったな。
でも、実はニコラは右利きなんだけど、テセウスが左利きなんだよね。
だから「利き手」という言葉を使ったんだけど……ええと。なんて説明しよう。
「そうですね……エリック様は、さっき雪玉を投げる時、右手を使っていましたよね?」
私がそう尋ねると、エリックは両手をマジマジと見て……悩んだ。
そうか、意識してないか、普段そんな事。
「それじゃあ……はい、エリック様」
私は、自分が手にしていたジャガイモを、エリックの身体の真ん中に向けて差し出した。
エリックは不思議そうな顔をして、両手でジャガイモを受け取る。
「じゃあエリック様。そのジャガイモを、私の手の中に戻してもらえます?」
そう言って私は両手を受け皿のようにして、テーブルの上に差し出した。が、彼から少し距離を取る。ちょうど、彼が片手で伸ばした時になんとか届くぐらいの距離。
最初、両手で差し出したエリックだったが(育ちいいなやっぱり)、私が受け取らずにテーブルの上に手を置いたまま待っているので、ちょっと困った顔をする。
そして、ジャガイモを右手に持ってうーんと伸ばし、私の手の上のポスンと落とした。
「はい、今エリック様は、右手でジャガイモを渡してくれましたよね? この時に使った手が『利き手』です」
そう解説すると、エリックが再度両手を見て『?』の顔をした。
か・わ・い・いっ……今自分でやったのに、やっぱり無意識だったから分からなかったみたい。くっそう! 可愛いヤツめっ!!
「ま、簡単に言うと、よく使う方の手ですね。使いやすい方の手、とっさの時に出る手って事です」
幸い、この国では利き手を矯正される事はないみたい。
が。
ベッサリオンでは実は右手を使うように矯正される文化が残っている。
私は右利きだったけど、本物のセルギオスが左利きだった為、右利きに矯正させられていた。
祖父に理由を尋ねたら、作られている道具が右利き用ばかりで、左手で使うと危ないからというもっともらしい言葉を吐かれたけれど──。
私は覚えている。幼い頃、セルギオスがつい左手でスプーンを持ってしまった瞬間、その手を強く叩き落として『みっともない!』と叫んだ祖母の姿を。
みっともなくないと抗議したが、食事中に騒ぐんじゃないと祖父にビンタされて終わった。
結局『みっともない』を否定される事もなかった。
左利きは生まれつきだ。
なぜ生まれつきのものを矯正しなければならないのだろうか? 目や耳にハンデがある事と根本的に違う。ただ、メインで使う手が左手なだけだ。
世界は右利き用の物であふれている。生活する世界がそうなのだから、そのうち右手を使う事に次第に慣れて行く。矯正する必要はない。
ただ唯一、左手で使うと危険で不便な道具だけ、左利き用のものも用意するだけでいいのではないのか? なぜそれが無視されるのだろう?
セルギオスが必死に右手で練習している姿は、今でも覚えてる。思ったように動かせない方の手を使うストレスは──セルギオスの寿命を縮めたと、本気で思ってる。
確かに、ハサミもそうだしナイフもそう。右利き用に作られたものを左手で扱うのはとても難しい。
でも私は、使い慣れない手を使う方が逆に危ないと思ってる。
だから今回、子供用包丁を作ってもらうのと同時に、職人さんに左利き用包丁も作ってもらった。料理部隊に渡したら、実は左利きがいたらしく物凄く喜ばれたよ。
だから今、テセウスが持ってるのも左利き用。ニコラとどっちがやってもいいように、両方用意しておいた。
テセウスがその事に気づいたようで、包丁を見て嬉しそうに笑った。
多分彼、今まで右手用しか持った事がなかったんだろうな。微妙にニヒルな笑い方になってるけど……それはそれで可愛いぞ。
エリックは『そうだったのか!!』という衝撃を受けた顔をして右手を見つめていた。その見つめ方が微妙に……中二病を発症して『俺の封印されし右手が
エリック……このまま順調に黒歴史を作っていきそうっ……!!
アティは両手をマジマジと見て、さっき私がエリックとやった事をゼノと一緒にやっていた。でも、意識してしまったせいか『無意識』ができなくなってしまったようで、ゼノの手にジャガイモを置こうとして、右手で持って左手で持って──首をかしげていた。
やめてッ!! こっちもゴリゴリ萌えツボ連打してくるっ!!!
ああやめて料理前の私を腰砕けにしてどうする気ッ!??
「……さて。マッシュポテトが出来るのはいつになる事やら……」
そんなやり取りを見ていたマギーが、私の背中に超絶呆れた声をブッ刺してくるのだった。
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