第153話 最後のトドメが刺された。

「辞めるという事は、不満があるという事です」

 私は、若干わざとらしくヤレヤレといったテイで言葉を返した。


「給金か、待遇か、仕事内容か。それを提供できない屋敷側に問題があるんです。その人が優秀であって手放したくないのであれば、給金や待遇、任せる仕事の内容を変える努力を、屋敷側がしなければならないのですよ。改善しても辞められるとしたら、それは改善が足りないだけ。

 勘違いしているようですが、私たちは家人たちに『選んでもらっている』のです。この場所で働きたい、と」

 給料や待遇を落とせば優秀な人間は当然状況改善を求めて抜けて行く。優秀な人間はある程度仕事が選べるからだ。メイドたちだって、優秀な人間は別の屋敷に引き抜かれる事だってある。(現に、アンドレウ夫人は虎視眈々こしたんたんとニコラを狙ってるし)


 待遇が悪くても残ったり、そんな場所に新しく入ってくるのは、他の場所では仕事ができない人間たちばかり、という事になる。

 家人の質が落ちれば屋敷がまわらなくなる。余計に待遇が悪くなる。そしてまた人が辞めて行き──魔のスパイラルの完成。

 だから間違っても、他に仕事がないんだからと相手を見下して、悪い待遇のままにすべきじゃない。

 ましてや、辞めていく人間のせいでもない。


「つまり執事長、あなたが私にやった事は、カラマンリス邸の為になるどころか、逆の事だったんですよ」

 私は、ニヤリと口の端を持ち上げてほほ笑んで見せた。


「貴方が自分の仕事にしがみついている間に、他の事は随分とマニュアル化が進みましたよ」

 私の言葉に執事たちがショックを受けてる間に、さらに畳み掛けていく。

 いやぁ、私も鬼畜だね。


「料理長も、まぁ最初はちょっと色々ありましたが、結果的に協力してくれるようになりました。ま、一番は『マニュアルを残せば長期休暇取れますよ』って言葉が一番効いたみたいですけどね」

 私は、今まで苦労して色々やってきたことを色々思い出しながら喋る。

「なんだと!?」

 執事が驚愕の声をあげた。


 え? ちょっと待って。

「気づいていませんでした? 今料理長は屋敷にいませんよ? 先日から長期休暇をとっております。今料理場をまわしているのは、他の方々ですよ?」

 まさか、気づいてなかったとか?

 私ばっかり敵視してて、周りの状況にまで目が届かなくなったんかい。

 それやべぇぞ?


 料理長は、まだ自分の出身の地方にご両親が健在なんだってさ。

 ただ、最近少し調子が悪いという話があったらしく。でもカラマンリス邸の仕事があるから帰れない。

 悶々としていたところに私が話しを持って行ったのだ。

 貴方をクビにするどころか、貴方が自由に他の事まで出来るようになる為だと説得したら、納得してくれたよ。ちゃんと、帰って来ても料理長の立場がなくならない事の契約書も用意したら喜んでサインしてくれたし、料理部独自の帳簿(という名の、メモだらけの小さなノート)までくれたよ。

 アティ大好物の料理の秘伝レシピまで置いてってくれたわ。

 今頃、料理長は地元に帰って親孝行しまくってることだろうさ。

 ま、これはカラマンリス邸の為でもある。彼ほど優秀な料理長がいなくなって困るのは、カラマンリス邸なのだから。


「あと、厩舎の方にも新しい人を入れますよ。厩務員さんの負担を減らす為です。ま、女性ですけど、メルクーリ出身の方々なので問題ないですよね?」

 実は、ゼノの教育の方針の報告ついでに、獅子伯に手紙で良い人を紹介してとお願いしているところ。そのうち返事が返ってくるだろう。彼の見立てなら間違いない。

 それに、馬を扱わせたらメルクーリの人間の右に出る者はいない。例えそれが女性でもね。メルクーリでは子供でも女性でも老人でも、当たり前に馬に乗れるし。

 ま、女性にしたのは執事長管轄になるのが嫌だったからだけどネー。

 それに、そうする事によって厩務員さんの負担を減らして、少しでも長く仕事できるようにしたかった。

 彼が今まで培ってきたノウハウは、多分文字だけでは伝えられない。でも、文字として残せる部分もある。

 彼が長年積み重ねて来た功績を、残しておけるようにしたかった。


「もう口が疲れるほど説明しましたが──」

 私は姿勢を正して、執事長と他の執事たちを順番に見て行った。

「私がやりたかったのは、家人たちの負担を減らしたかっただけです。どこに負担が集中しているのか、それを客観的に判断するには、お金の流れを確認するのが手っ取り早かったから帳簿が見たかっただけですよ。

 言いましたけど。言いましたけどね。

 私はお金をどうこうしたかったワケでも、貴方が勝手に使いこんでいるお金の事をとやかく言いたかったわけではありません。

 負担が減れば時間に余裕が生まれる。そうすれば自然と心にも余裕が生まれます。

 生まれた余裕は、その人の人生を潤わせ、そしてその潤いが、結果仕えているカラマンリス邸に返ってくるのですよ」

 頭でアレコレ考えなければならない事が減らせば、時間的・心理的余裕に繋がる。

 更にミスを起こさない為のチェックリストと、いざという時のリスクヘッジがあれば、それ自体が更に安心感に繋がる。


 結果、屋敷全体の空気そのものが、安穏とした空気に包まれるのだ。


 帳簿の事も識字率の事もマニュアルも全て、カラマンリス邸の為なのに。


 変える事への抵抗感が、そして私への敵意が、目を曇らせてしまったな。

 あげく、やらかしたのが、この事件とか。

 救いようがないよ。


「使い込み……?」

 ツァニスが、怪訝な顔をして振り返った。

 あ、やべ。つい言っちゃった。

「いえ? 私は何も知りません。私はそこには全く興味がありませんから」

 私はそしらぬ顔をして、ツァニスの視線から逃げた。

 私は知りませんとも。執事長が料理部に回すお金を少し高く予算立てて、実際にはそれより少し低い金額を渡していて、ねた上前を懐に入れてた事なんて、知りませんとも。

 ええ、ええ。帳簿の金額と料理長のメモにあった金額が合わなかったから気づけたなんて、言いませんとも。

 厩務員さんが文字を読めない事をいい事に、他の執事たちも厩舎の方に対して同じ事をしていた事なんて、厩務員さんからの聞き取り調査で判明したなんて、口が裂けても言いませんとも。


 ツァニスが、溜息を一つついて首を横に小さく振った。

「お前達は長くこの屋敷に勤めてくれて、維持する事に尽力してくれた。それは勿論評価している」

 ツァニスの顔に、少し影が落ちてる。

 沈痛な表情。本当に残念だ、そう言いたげだった。

「しかし、維持していればいいというものではない。時代は変化し、人も物も変わる。

 事実カラマンリス侯爵家も、しばらく前に父から私の代に変わったのだ。前と同じではない。私は父ではないからだ。

 セレーネは、変化のキッカケを与えてくれたに過ぎない。変化させていくのは、私や使用人たちを含め、このカラマンリス侯爵家にいる全ての人間たちで、だ。

 変化に対応出来ないものは、取り残されやがて淘汰とうたされる。

 ……お前達のようにな」

「そんな……まさかっ……」

 執事たちが、ツァニスの言葉に膝を震えさせる。一人は立っていられなかったのか、その場にガクッと膝をついた。


「あれだけの事をしておいて、何故自分たちの地位は脅かされないと思っていた?」

 ツァニスが、少しイラついた顔をする。

「私たちは……貴方の為に……」

 執事長が、顔を蒼白にして震える膝で一歩前に出た。が、それが限界だったのか、その場にペシャリと崩れ落ちる。

「それは違うだろう。お前達は私をあなどり、自分たちの都合の良いように動かしたかっただけだ」

 ツァニスが厳しくそう言い捨てる。

「しかしツァニス様! 我々がいなくなったら屋敷が──」

 なんとか食らいつこうと、執事の一人が最後の足掻あがきをする。

 しかしツァニスは鋭い視線で彼らを睨み返した。

「自分たちがいなくなったら仕事が回らなくなる状態を、ただ放っておいたのか?

 お前たちは、自分たちが病に倒れた時の事を考えもせず、何も準備していなかったのか?」

 うわ。これはYES・NOどっち答えてもアウトじゃん。

 執事たちは、もう何も言えなくなくなったのか、その場に頭を抱えて突っ伏してしまった。


 一度短く呼吸をすると、ツァニスは更に言葉を重ねる。

「すぐに荷物をまとめて出て行け。そうすればセレーネの件は不問にする。いいな」

 うわ。マジか。この場で切るか。

 あー、いやー、仕事の引き継ぎはしてって欲しいなァー。だってまだアイツらが抱えたままの仕事も実際のところ多いしィー……


「サミュエル」

 ツァニスが、クルリと振り返ってサミュエルを見た。まさかここで呼ばれるとは思っていなかったのか、サミュエルは名前を呼ばれてちょっと飛び上がってたよ。

しばらく家庭教師の方は休み、執事代行をしてくれ。新しい執事が来るまでな。

 いや、それか──」

「ツァニス様。私はあくまで代行のみで。永劫はご容赦を」

「そうか、分かった」


 その言葉をもって、その場に終幕の空気が流れた。

 執事たちは床にうずくまって動かない。

 あー、終わった。これでやっと──


「どいてください! 通して!! どうしても、ツァニス様に言いたい事があるのです!!」

 場違いな甲高い声が談話室へと届いてきた。

 あー。忘れてた。彼女。


 メイドたちをかき分け、談話室に乱入してきたのは、あの女──ドリスだった。

 肩で息をしている。

 入り口近くに立っていたメイド長やゼノの護衛さんをかわし、床に転がった男をヒラリとまたいで、ツァニスの前へと躍り出る。


「聞いてください。どうしても、どうしてもこれだけは伝えたいのです!」

 彼女は、今にも涙がこぼれ落ちそうなほど目を潤ませて、ツァニスを見上げていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る